(朝日新聞 2024/03/01)
 群馬県立公園の片隅にあった朝鮮人追悼碑が1月末、撤去された。日本の加害の歴史を反省し、友好を誓う追悼碑が重機で壊されていく――。がれきと化した碑を上空からとらえた画像は、残酷だった

 それから1カ月。公園を訪ねた。あったものが、そこにはなかった。跡地には野の花が供えられていた。

 「碑を守れず、申し訳ない」。追悼碑を建てた市民団体のメンバーは嘆く。

 この間、山本一太知事は「日本人がアジアの植民地の方々を苦しめたことへの反省は安倍(晋三元)総理が述べていて、全く同じ考え」とした上で「最高裁の決定に従った。歴史認識の問題ではない。友好に傷もついていない」と繰り返す。だが額面通り受け止められるのか

 碑は、戦後50年を機に、日本社会が加害行為にも目を向けるようになった流れをくむ。植民地時代に軍需工場などに動員されて亡くなった朝鮮半島出身の人々を悼み、その上で友好を結ぶことを誓い、2004年に建てられた。県議会も全会一致で賛同した。

 ただ、国との調整で碑文に刻めなかった「強制連行」を口にする人がいた。これを発端に、設置不許可とした県の処分をめぐる裁判に発展。22年、県処分は適法との判断が確定した

 碑について、県は「政治的な対立をもたらす潜在的な危険性を有する」と判断し、代執行での撤去を決めた。かかる費用約3千万円が請求されると伝えられ、市民団体は碑文など一部を取り外した後、碑を手放さざるを得なくなった。

 撤去されて初めて碑の存在を知った人は少なくない。以前は無関心だった人にも、さまざまな問題が共有されたことに気づいた。

 例えば、第2次安倍政権が発足した12年ごろから、「碑文が反日的」と唱える団体が現れ、県が態度を変えたこと。県が提案した「代替地」が河川敷や廃道だったこと。撤去後、SNS上に「うそのモニュメント」などと碑を中傷する言動が出たのに、県が問題視しないこと。こうした対応は、山本知事がいくら否定しても、差別を助長し、「歴史修正」に手を貸すと批判されても仕方がない

 県はヘイト対策に真剣に取り組むべきではないか。

 これから再建の話が出るかもしれない。願わくば、その時は在日の人のみならず、知る人を増やし、巻き込むことだ。たとえ時代や政権が変わろうとも、翻弄(ほんろう)されずに伝え続けるには、世論が必要なのだから。 (前橋総局)
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 たかき・ともこ 1972年、福岡市生まれ。2000年入社。大阪社会部で人権や平和などを担当し、編集委員や論説委員を歴任。昨春、21年ぶりに初任地の前橋に。群馬県政やハンセン病隔離政策の「いま」を取材している。