梵魚寺放火被疑者は庵の40代の起居信者
(聯合ニュース 韓国語 2011/01/17) 


釜山の梵魚寺天王門の放火事件は、同寺の庵に起居する40代の信者の所業だと明らかになった。

釜山,衿井警察署は17日、梵魚寺天王門火災の放火被疑者イ某氏(43)を緊急逮捕して調査中だと明らかにした。

イ氏が梵魚寺の末寺の某庵の起居信者身分と確認されたことにより、天王門放火者は捜査初期から警察が重きを置いた内部の所業とあらわれた。

イ氏は警察の調査で、庵に起居して嫌な事を引き受けてしており、去る2009年10月から6か月間、江原道洪川の某庵の仏事現場に体が痛いのに労働しに行くことになり、健康がより一層悪化したことに恨みを抱いて犯行を行ったと述べた

イ氏はまた、自分の病状が、昨年の『日帝残滓』という非難を受けた梵魚寺『普済楼』の解体・復元作業でより一層悪くなったと思い込むなど、個人的な不満のために天王門に火をつけたと話した

天王門放火当日の先月15日午後2時頃、イ氏は金井区南山洞の某ペンキ屋でシンナー4缶を購入、タクシーに乗って庵に到着すると隠しておいて、午後10時頃このうちシンナー2缶を天王門の床と四天王像に振りまいて使い捨てライターで火をつけた後、逃走したことがわかった。



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警察の調査の結果、イ氏は犯行前3日にわたり梵魚寺境内を回ってCCTVの位置まで把握しており、先月9日と10日には梵魚寺後方の山の金井山に2度にわたり山火事も出し、14日夜には普済楼の隣の鐘楼に侵入、カッターで法鼓を裂いたりもした。

警察は、天王門放火後、梵魚寺一帯のCCTV51台の映像資料を確保、イ氏の歩き方、人相、着衣などを分析して被疑者と特定した。

イ氏は、去る1990年代梵魚寺庵で起居し、2008年しばらく庵を離れてまた戻り、2009年10月から6か月間江原道の庵の仏事現場で働いた後、梵魚寺で生活してきた

警察は当初、先月19日に容疑線上に登ったイ氏を呼んで調査したが否認すると、すぐにまた補強捜査を経て15日午後にイ氏を呼んで犯行一切を自白させ、緊急逮捕した。

警察は、イ氏を相手に詳しい犯行動機を追及する一方、共犯の有無を調査している。(機械翻訳 若干修正)




梵魚寺と焼失前の天王門。


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焼失当時の記事。

釜山汎魚寺の天王門が全焼…放火か
(中央日報 2010/12/16)

  海印寺(ヘインサ)、通度寺(トンドサ)とともに嶺南(ヨンナム)3大寺院とされる釜山(プサン)梵魚寺(ボムオサ)に15日、放火と推定される火災が発生し、木造建物の天王門(チョンワンムン)が全焼した。

  汎魚寺と消防当局によると、この日午後10時20分ごろ汎魚寺境内の天王門に火事が発生、建物全体を燃やし、1時間20分後に火は消えた。消防当局は消防車およそ30台を動員したが、火が瓦の下に入り消火作業は難航した。

  また、この建物が宝物第1461号の一柱門(イルジュムン)と不二門(ブルイムン)の間にあるうえ、近くに僧侶の宿舎があり、火が広がる恐れがあるため、天王門自体を倒すことになった。

  警察は「天王門に設置されたCCTVに、一人の男が何かを建物の中に投げた後、出火する場面が確認された」という寺院関係者の話に基づきCCTV画面を確保する一方、正確な火事の原因を調べている。



釜山汎魚寺の天王門が焼失
(中央日報 2010/12/17)

  15日夜、放火と推定される火事で全焼した釜山(プサン)汎魚寺(ボムオサ)の天王門(チョンワンムン)付近に16日、ポリスラインが設置された。警察は寺院の閉鎖回路TVに映った男を放火容疑者と見なし、懸賞金1000万ウォン(約75万円)で公開手配した



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2009年08月から始まった、梵魚寺の日帝残滓清算作業。

梵魚寺、日本統治時代の遺物を撤去
(朝鮮日報 2009/08/16)

標石、石塔前の欄干などの撤去を開始

1000年の歴史を誇る釜山市の代表的な古刹(こさつ)・梵魚寺(金井区)が、日本統治時代の遺物を取り払うため、本格的な作業に着手した。

13日午前11時30分ごろ、梵魚寺の大雄殿の庭にある石塔の前。小雨がぱらつく中、住職のチョンヨ師など8人の僧侶が、石塔の横にある日本統治時代の標石にロープを結び付け引っ張った標石の周りはすでに掘ってあったが、数回にわたって引っ張ったところ、長さ1メートルほどのどっしりとした花こう岩製の標石は「ドーン」という音を立てて倒れた。

標石の裏側には「朝鮮総督府」という字が刻まれていた。

韓国の代表的な古刹の一つとして知られる梵魚寺に、1937年に建てられたこの標石が、約70年ぶりに引き抜かれたのだ。この後、パワーショベルを使って、石塔の周りを取り囲んでいた日本式の欄干も解体した



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韓国を併合した日本は1911年、「寺院令」を施行し、寺院の運営権や住職の任命権を朝鮮総督府に移管、日本の支配に協力する僧侶を住職に任命した。

その結果、韓国の寺は次々と日本式の寺院に改造され、とりわけ日本から地理的に近い梵魚寺は著しく変ぼうした。

住職のチョンヨ師は「今回の作業は、境内の奥深くまで残っている日本統治時代の遺物を根こそぎ取り除くことにより、民族の文化を取り戻すという点で、文化史的な意味がある」と語った。

梵魚寺はこの日、標石の撤去や欄干の解体に続き、日本による改造に伴って、端麗で素朴な雰囲気が失われた石塔を元通りに修復する作業に着手した



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このほか、大雄殿の前にあり、講堂として使われていた日本式の「普済楼」を、韓国伝統の楼閣に造り直し、日本式の工法で造られた梵魚寺の外壁なども解体した上で新たに作り直す方針だ

また、境内にあった84メートルに及ぶ日本式の欄干や、大雄殿の石造りの花壇に植えられた、日本の皇室を象徴するキンセンカ3株も抜き取るほか、天王門と不二門の間に植えられている日本産のヒノキや杉の木も伐採し、韓国産の松の木を植える作業などを進めていく。

日本統治時代、日本の様式を取り入れ強引な改造を進めた結果、梵魚寺は伝統的な伽藍(がらん)の配置が大幅に改編され、現在に至っていた。

梵魚寺は民族の文化を取り戻すとともに、中長期的な発展のため、2014年をめどとする「梵魚寺総合整備計画」を策定した11年をめどに進められる第1期事業では50億ウォン(約3億8450万円)を投入する予定で、この日行われた標石の撤去はその第1号の事業だ。

梵魚寺総合整備計画の研究責任者を務める釜山大建築学部の徐致祥(ソ・チサン)教授は「梵魚寺の伽藍の配置を、伝統的な仏教建築の様式に従って復元することは、負の歴史を克服し、韓国の寺院の普遍的な建築様式を後世に伝えるための第一歩だ」と述べた。








日帝残滓を排除したら民族の精気が蘇ったんですね...

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