1930年代に日本で活躍した朝鮮の女性歌手たち
(朝鮮日報 2012/11/27)



李愛利秀、姜石燕、キム・ソンチョ…
当時の写真を初公開

韓国歌謡の創始期に当たる1930年代、当時最高の人気を集めていた女性歌手が日本で活動する様子を撮った写真が、初めて公開された。

方烈(パン・ヨル)建国大学総長(71)=元バスケット国家代表チーム監督=と李東洵(イ・ドンスン)嶺南大学国文科教授(62)は26日、1930年代にトップ女性歌手として活躍した李愛利秀(イ・アリス)=1910-2009=と姜石燕(カン・ソクヨン)=1914-2001=、キム・ソンチョ(北朝鮮に渡り、生没年は未詳)が、東京でビクターレコードの専属歌手として活動していたころに撮影された写真9枚を公開した。3人は「荒城の跡」(李愛利秀)、「放浪歌」(姜石燕)などのヒット曲を発表、女優としても活動し、当時尹心悳(ユン・シンドク)=1897-1926=の突然の自殺で生じた大衆文化界の空白を埋める主役になったと評価されている。


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26日に公開された写真のうち李愛利秀、姜石燕、キム・ソンチョの3人は、新年のあいさつのため、「謹賀新年」と書かれたパネルを持ってポーズを取っている。3人がビクターレコードの社員と撮影した記念写真もあった。また李愛利秀と姜石燕は、チマチョゴリ姿で靴を履き、さまざまなポーズを取っていた。姜石燕が東京の劇場で、チマと靴をはいた姿で歌をうたう場面を撮った写真や、同じく姜石燕がビクターレコードのスタジオで録音やラジオ出演を終えた後、スタッフと共に撮った写真なども公開された。これらの写真は、姜石燕の息子の方総長が保管していたものだ。最近、李教授が写真の存在を知り、スポットライトを浴びることになった。

方総長は「母は名門の出身で、京城師範学校卒のエリートだったが、一家の暮らしが苦しく、やむを得ず学生の身分で歌を始めた。歌を歌うときも、韓服姿にこだわった」と回顧し「韓国歌謡界創始期の様子を研究する一助になることを希望して、公開を決心した」と語った。

李教授は「最近、韓国のガールズグループの日本進出が話題になっているが、実際のところ、韓国の女性歌手の日本進出は李愛利秀、姜石燕、、キム・ソンチョなどによって80年以上前に行われていた」「今回公開された写真類は、優れた歌の才により韓日の大衆音楽界で認められた30年代の女性歌手が活躍する姿をリアルに示す貴重な資料」と語った。



日帝=ナチス、旭日旗=ハーケンクロイツ、従軍慰安婦・強制連行=ホロコーストとしてファビョっていますが、ドイツで活躍したユダヤ人歌手は?

さすが「人類史上類を見ない苛烈な植民地支配」ですね。




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