朝鮮時代に人身売買ブローカーいた
(聯合ニュース 韓国語 2012/10/22)


チョン・キョンボク韓国学中央研究院教授分析.."身代金の最大半分手数料で取りまとめ"


「私はもともと平海に住んでいた人で、ちょうど大凶年にあって(家族と共に)流離乞食をして、昨年9月に私の父がついに霊徳で飢えて死んでしまいました。(中略)今、遺骨を収拾して地に埋めようと思っても手を回す方法がないです。それでやむを得ず私と私の妹ギメと上のお宅に哀願して(私たちの身代金を)7両と決めて棺と葬儀にいる物品を購入しました私は一生服役して(妹)ギメは後に生まれた子を合わせて永遠に報恩する意向で、これに対し文書を作成して、後日(私の)家中でもし異議を提起する人がいたらこの文書を持って官に告げて正すことです。」

この文はキム・コウジ(金高之)という人が1815年(純祖15)に作成した自売文記だ。

自売文記は“自分自身を他人に売る事実を自ら立証する文書”という意で、朝鮮末期には食べて生きることが難しくて、自身や家族を奴婢として売ることがたくさんあった

キム・コウジ家族は凶年になって故郷を離れて流離乞食しながら霊徳に至ったが、家長であるお父さんが飢えて死んでしまった。キム・コウジと彼女の妹ギメはお父さんの遺骨を収拾して地に埋めようとしたがお金がなかった。結局、キム・コウジは僅か7両で自身と妹をこの生員のお宅に売って、その金で棺と葬儀物品を買ってお父さんの葬式を執り行った。

問題はキム・コウジと彼女の妹ギメの年齢が9歳と5歳しかならなかったことだ。

チョン・キョンボク韓国学中央研究院教授は「いくら儒教の理念が地方の下層民にまで入り込んだ社会だったとしても、やっと9歳と5歳にしかならないキム・コウジとギメが'子供たる情理'を云々して自分たちの体を売って死んだお父さんの葬式を執り行う行為はどうしても自然でない」と指摘した。

チョン教授は「幼い彼女らのそばで誰かがそそのかし、尤もらしい理由を上げて自売を強要したり斡旋して、文が分からない彼女らの代わりに文記まで作成しなかったら、このようなことは起きなかった可能性が高い」と分析した。

チョン教授は、韓国学季刊誌『文献と解釈』第60号に発表した研究論文《朝鮮後期漢陽で活躍した自売斡旋者》で、朝鮮後期の自売斡旋業者の実態に光を当てた。

自売斡旋業者の存在は『承政院日記』で確認することができる。

承政院日記によれば、1748年(英祖24)2月27日、捕盗庁は漢陽で専門的に良人を奴婢と欺いて売り飛ばしたイ・ドオン、チョ・マンチェ、ユン・ポンチャン一党を逮捕した後、彼らの罪状を王に報告した。

チョン教授はこれら一党が「主に地方から上京して自売を望む奴婢や良人に偽りで奴婢文書を作成して売買を斡旋した後、手数料を取った」と紹介した。

また「漢城にはこのような自売斡旋組織が相当多かった」と推定した。

当時、自売は不法であったため自売斡旋業者は良人の自売者の身分を奴婢と欺くために偽造文書を作成した後、これらを購入したい人を物色した

斡旋業者はまた、一定に決まった手数料率はなかったが概ね身代金の4分の1から2分の1程度の手数料を取った。

チョン教授は「広く知られた通り、朝鮮末期には前期に比べて奴婢がより一層頻繁に逃げた」としながら「しかし一方では凶年と飢謹などが繰り返し起きると生きるために平民が自分自身や家族を奴婢として自売することもした」と話した。

彼は「朝鮮末期に逃げたり贖良(お金を払って奴婢身分から抜けること)して賎民の身分から抜け出す奴婢が多かったにもかかわらず、奴婢制度が維持されて奴婢が存在したのは着実に奴婢が再生産されたため」としながら「その理由の一つがまさにこの自売であった」と分析した。(機械翻訳 若干修正)



↑の件ではないですが、韓国国立中央博物館に所蔵されている「自売文記」。

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いい加減自分たちの国はこんな状況だったことを認めないとね。




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