(朝鮮日報 2022/11/20)

〇韓国の海は東海にとどまらず北極航路へ…海洋安全保障の生命線はインド洋まで拡張
〇国の運命を左右する海に向けた敬礼を見て思い浮かぶ意味が、せいぜい旭日旗だけなの

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)論説委員

 韓国近代史のミステリーの一つが「李舜臣(イ・スンシン)叙述」だ。1795年に国王・正祖が全書を編さんした後、1908年の申采浩(シン・チェホ)による「李舜臣伝」連載まで、およそ100年以上にわたり韓国において李舜臣の叙述は空白だった

通常、韓国近代の出発点は1876年の、日本の侵奪が始まった江華島条約からと見なされる。当時の状況で李舜臣は、最高の時代的象徴だった。なのに亡国直前まで、韓国で李舜臣は英雄として召喚されなかった

 コインの裏表のように存在するミステリーが、日本の近代における李舜臣叙述だ。作家の司馬遼太郎はさまざまな著書で、旧帝国海軍の将校が、ロシアのバルチック艦隊との決戦のため出港する際、李舜臣の魂に向けて祈りをささげる場面を描いた。作家の想像ではなく事実だ。日本のエリートの一部は李舜臣を研究し、尊敬していた。これを一つの動力として戦争に勝ち、遂には韓国を併呑した。韓国の歴史において最も逆説的で、悲劇的な場面だと私は考える。

 19世紀の日本における李舜臣叙述は、二つに時期区分することができる。前期は金時徳(キム・シドク)教授、後期はキム・ジュンべ教授の研究で細かく明らかにされた。二人によると、『懲ヒ録』が日本で刊行されてからおよそ50年間、日本の戦争小説に李舜臣は「朝鮮の英雄」として登場する。この立ち位置が、19世紀後半になると「世界の英雄」に格上げされる。李舜臣の叙事は文化現象から政治的・軍事的現象へと幅が広がった。これを主導したのが日本軍、とりわけ海軍だった。

懲毖録:1647年に朝鮮で書かれた文禄・慶長の役を記録したもの。
 1945年の広島への原爆投下時に消失したと知られていた懲毖録(懲ヒ録)の最初の日本語翻訳本『通俗懲ヒ録』(1783)が約70年ぶりに姿を現わした。キム・シドク・ソウル大学奎章閣韓国学研究院人文韓国(HK)教授は最近、『通俗懲ヒ録』の原本を撮影したフィルムを入手し、これに関して作成した論文『広島市立図書館本「通俗懲ヒ録」について』を2日、ハンギョレに公開した。
 懲ヒ録は、柳成龍(リュ・ソンリョン)が1604年まで壬辰倭乱の悲劇を漢文で記録したものだが、その後日本では、17世紀に日本語訓読(漢字の意味を日本語で書き留めること)を加えた『異称日本伝』(1693)、『朝鮮懲ヒ録』(1695)が相次いで出版された。『通俗懲ヒ録』は広島の儒学者カネコタダトミが藩主の浅野重晟の命令により完訳したもので、「通俗」は当時の漢文の日本語翻訳物に添える表現だった。キム教授は「19世紀末のハングル本『光明翻訳懲ヒ録』より100年早く発刊されたもの」と説明した。。[
ハンギョレ新聞 2019/12/03

 李舜臣を「東洋のネルソン」になぞらえた賛辞は、1892年の『朝鮮李舜臣伝』に初めて出てくる。陸軍系列の機関誌「偕行社記事」が編さんした書籍で「李舜臣が豊臣秀吉の大遠征を画餅にした」と記した。賛辞は海軍によって誇張された。後に海軍中将にまでなる佐藤鉄太郎は、著書『帝国国防史論』で「ネルソンは人格において李舜臣に比肩し得ない」とし「匹敵する者は(英蘭戦争で英国を破った)オランダのデ・ロイテルくらい」と記した。海戦の研究に飛び込んだ動機については、同書の緒言で「同将軍(李舜臣)の崇高なる人格と偉大なる功業とは酷(ひど)く吾(わが)精神を引き立て」たと回想した。同じく海軍軍人の小笠原長生(ながなり)も『海上権力史講義』(原文ママ)で「李舜臣が海上権を堅く守っていたことで戦争の大要素が全て消滅し、猛進していた陸軍もおのずと孤立した」と記した(以上、キム・ジュンベ教授の研究)。李舜臣の叙事が、尊敬と賛辞から戦争史的研究へと進化したことが分かる。

 こうした叙述は、韓国でも比較的よく知られている。これを引用する文章には「敵国日本すら尊敬するほかなかった偉大な英雄」という評価がしばしば付いて回る。誇りに思って当然だろう。だが、それにとどまらない重要な含意がある。

米国の海軍理論家、アルフレッド・T・マハンのシーパワー(Sea Power. 海洋権・海洋権力)論が19世紀末に世界を強打した。マハンの理論は「海を制する者が世界を制する」という言葉に要約される。これを受けて国家戦略を変え、帝国へと成長した国が米国だ。日本にも大きな影響を与えた。露日戦争を勝利に導いた秋山真之(さねゆき)は、マハンに師事した海軍参謀だ。日本は海の戦略的価値に目を留めた。陸軍中心の武力を海軍中心に変えて列強へと跳躍するため、マハンの理論を日本の戦争史に適用した

ところが当時、日本に海軍の英雄はいなかった。そこで敵将・李舜臣を引っ張り出し、反面教師のような形でシーパワーの価値を主張したのだ。司馬遼太郎は、日本がシーパワー論を内在化する過程について「黒砂糖を白砂糖にする精製作業」と書いた。李舜臣の叙事は“漂白剤”の役割を果たしたのだ。

 日本を知れば、韓国のミステリーも解ける。当時、韓国は海を知らず、知ろうともしなかった。中国中心の狭い世界観に閉じ込められ、自国の近海すら守れなかった。陸軍の英雄は満ちあふれていても、海軍の英雄を有する国はごく少数だ。海の近代的価値が分からなかったから、李舜臣の近代的価値も分からなかった。だから抗日英雄の救国叙事すら日本に奪われた。狭い世界観がつくり出した悲劇だ

 韓米日が東海で合同訓練を行うと、韓国野党の代表は「親日国防」と攻撃した。「独島沖旭日旗訓練」と描写した。韓国などインド・太平洋12カ国が参加した日本主催の国際観艦式のときも、韓国政界の論争は「旭日旗」だった。韓国海軍が主催国首脳に向けて敬礼する、その方向に、旭日旗と同じデザインの海上自衛隊旗があった。ある野党議員は、国会で旭日旗の模型を壊すという幼児的パフォーマンスまで行った。韓国経済の航路は、東海を越えて北極航路を突破し、欧州へとつながっている。海洋安全保障の生命線はインド洋まで拡張された。韓国が日本近海を通ることなしに太平洋へ出ていくことは困難だ。あの日の敬礼は、国家の運命が懸かった広い海に向けてのものだ。なのに野党の目には、ほとんど旭日旗の模様しか見えていなかったのか

 日本海軍は決戦を前に、過去の敵将・李舜臣の魂に向けて祈りをささげた。東洋人の側に立って西洋の帝国たるロシアに勝たせてほしい、という祈りだったという。胸の痛む歴史だが、勝利する者の行動とは、かくも違うものなのだ