(朝日新聞 2022/10/30)

 文部科学省が公立・学校図書館向けに出した1通の依頼文が波紋を呼んでいる。「拉致問題の関連本の充実」を求めるもので、内閣官房が文科省に依頼した。特定のテーマで国が図書館にこうした文書を送るのは初めてといい、現場の司書たちからは、戸惑いや抗議の声が上がっている。何が問題なのか。

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 「北朝鮮当局による拉致問題に関する図書等の充実に係る御協力等について」

 9月6日、千葉県の公立図書館で働く50代の男性司書は、県から届いたメールの添付文書に目を止めた。文科省が8月末、全国の公立・学校図書館あてに送った「事務連絡」だった。

◇文書「世論の一層の喚起不可欠」

 文書は、拉致問題の解決には「世論の一層の喚起が不可欠」だと指摘。12月10~16日の啓発週間に向けて関連本を充実させ、テーマ展示をするなどして、「児童生徒や住民が手にとりやすい環境の整備」に協力するよう求めていた

 「国が依頼してくるのはどうなのか」「拉致問題は重要。本を買わないということはないが……」

 男性は「依頼文の通りに展示すれば『従った』ととられる。もう普通の展示はできない」と話す。

 この図書館では、これまで拉致問題に特化した展示はしたことがなく、今後も話し合いを続ける。仮にするとしても、政府の拉致問題に対する政策が適切だったか、朝鮮半島の歴史や在日コリアンへの差別の問題など、多様な視点を示す必要があると男性は考えている

 「若い司書が『図書館の自由』を考えるきっかけになった面はある」としつつ、こう思う。「国は『正しいこと』をやろうとしているのかもしれないが、協力を求めて当然という考え方は怖い。戦前の『思想善導』と同じになる」

■現場の司書「ソフトなもの重なれば当たり前に」

 長野県立高校の50代の男性司書も、メールを受け取った1人だ。「国が特定の分野について図書の充実を求めてきたことはこれまでにない。率直に言うと嫌な感じがした」という。「子どもは大人に比べて、情報をそのまま受け取ってしまいやすい。学校の図書館に働きかける意味は、公共図書館よりも重い」とみる。

 拉致問題は重要で、本をそろえておく必要性は感じている。だが、問題は「権力が号令をかけることだ」と話す。「たとえば、『憲法を守るために憲法関係の本を展示しなさい』というのもダメだと思う」

 今回の連絡はあくまで「依頼」だ。「すぐに『図書館の自由』を害するかわからないが、こういうソフトなものが度重なれば、出すほうも受け取るほうも当たり前になる」と危ぶむ。「取り消してほしいし、そうでなければ、二度とこういうものを出さないでほしい」

 文科省地域学習推進課によると、図書館向けに今回のような文書を出すのはテーマを問わず初めて。「内閣官房拉致問題対策本部から頼まれたから」で、国や自治体に啓発の努力をするよう求めた法律があることも理由に挙げた

 同課図書館・学校図書館振興室の工藤松太郎専門官は「強制ではなく、図書館の自由を侵害する趣旨ではない。撤回の予定はない」と話した。

 拉致問題対策本部も「毎年力を入れている若者の啓発策で、今回のは新たな選択肢だった。外交関係などの周辺事情を鑑みたものではない。お願いにすぎず問題があるとは考えていない」との見解を示した。

■「権力に左右されず……」図書館の自由とは

 図書館には、戦前の反省にたった決意表明といえる「図書館の自由に関する宣言」がある。日本図書館協会が、1954年に採択したものだ(79年改訂)。宣言文にはこうある。

 「図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき(中略)総力をあげて、収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである」

 主体的に本を集め、見せることで「国民の知る自由」に貢献する。それが、憲法のいう「表現の自由」を裏支えする――。そんな精神に根ざすものだ

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 協会によると、戦前の図書館は国の検閲を通った書籍を多く置いた。「思想善導」と言われ、「忠君愛国」など、当時の模範とされた思想を本を通じて広めるという国策の一翼を担った。

 その反省から、戦後の図書館法でも明示されなかった図書館の独立や市民への責任を書き込んだのが、この宣言だという。

 依頼文について植松貞夫理事長は11日、「是認できない」という意見書を文科省に渡した。「拉致問題の一刻も早い進展を期待する」とした上で、「どんなテーマでも選書は利用者の知る権利とそれぞれの図書館の基準に沿うべきだ。国や自治体が誘導するものではない」と強調する。

 図書館職員と利用者、研究者でつくる「図書館問題研究会」も9日、依頼を撤回するよう求める意見書を公表している。(宮崎亮、田添聖史)