(朝日新聞 2022/07/31)

サンデーワールドエコノミー

〇稲田清英いなだ・きよひで 経済部、オピニオン編集部、国際報道部などを経て5月から2度目のソウル。休日にはふらり街歩きが楽しみ。

 韓国の街中で時折見かけるのが、廃品の段ボールなどを集めて歩くお年寄りだ。業者に売ってわずかな収入を得るその姿は「高齢者の貧困問題の象徴」とも言われている

 経済は急速に成長したものの、年金など「老後の支え」となる社会保障の充実が後回しになってきた韓国。平均寿命が83歳を超えた世界有数の長寿社会の一つの断面だ。

 平日の朝、ソウル市内のリサイクル業者が廃棄物を引き取る施設を訪ねた。高齢者らが道ばたなどで集めた段ボールや古紙などを売りに来る。大量の段ボールを積んだリヤカーを引いてくる人もいる

 市内で1人で暮らす女性(76)もここを利用している。夫と離婚し、家族はいない。若いころは食堂で働いたが、年を重ねると雇ってもらえなくなった。段ボールなどを集め始めて20年ほどになる。「この年でもできる仕事は、ほかにない」と言う。

 この日は朝4時半に家を出た。出遅れると、他の人たちに先に回収されてしまう。必死だが、足の痛みなどで歩き回れる時間にも限界がある。毎月の収入は10万ウォン(約1万円)ほど。年金とあわせても40万ウォンに届かない。

 年金はほぼ家賃に消え、福祉団体などが無料で提供する給食を頼ってなお、ギリギリの生活だ。それでも「家でじっとしていても体中が痛む。外で段ボールを集め、人の様子を見ていると忘れられる」と淡々と言う。

 韓国政府は、段ボールや古紙などの収集をなりわいに生きる高齢者が全国に7万人近くいると推計している。ただ実態は十分につかみきれておらず、実際はもっと多いとの見方もある

 特別な技術や経験がなくても始められるが、ひと月当たりの収入は平均で20万ウォン程度という。極度の貧困で食事にも事欠いたり、体の調子が悪くても医者に行けなかったりする人が珍しくない。リヤカーを引いて道路を歩き、交通事故のリスクも高いと指摘される。

■経済成長「漢江の奇跡」 年金は後回しに

 韓国の1960年代後半以降の経済成長は、「漢江の奇跡」と称される。だが、その急速さから「圧縮成長」とも言われる

 製鉄所や高速道路などが次々にでき、財閥と呼ばれる大手企業グループが経済成長を引っ張った過程で、後手に回ったのが公的年金など「くらしの安全網」の整備だった。国民年金制度の導入は88年、ソウル五輪が開かれた年だ。当初は一定規模以上の職場に限られ、「皆年金」の実現は99年だった

 成長の時代を支えた高齢者が、その「ツケ」を背負う。韓国政府によると、65歳以上で国民年金などを受けている人は47%。年間の額も平均710万ウォン(約70万円)だ

■「死ぬまで働くしか…」

 民間シンクタンクの韓国経済研究院によると、高齢者の所得に占める国民年金などの比率は25%ほどで、個人年金などを含めても48%。老後も何らかの仕事を続ける高齢者が多く、「死ぬまで働くしかない」との声も漏れる。

 所得が少なく生活が厳しい人の割合の指標となる貧困率でみると、韓国の高齢者は40・4%(2020年)。経済協力開発機構(OECD)の加盟国で最も高い水準で、日本や米国、欧州の主要国などを大きく上回る

AS20220731000102_R

 韓国政府が手を打ってこなかったわけではない。所得が一定以下の高齢者に支給する「基礎年金」はその一つで、段階的に引き上げられてきた月額は最大30万ウォンになっている。

 一時は50%に近かった高齢者の貧困率がここ数年で下がっている一因でもあり、5月に発足した尹錫悦(ユンソンニョル)政権も40万ウォンへの段階的な引き上げを掲げる。ただ、老後の支えとして十分な額だとは言い難い。

 崇実大の許埈綬教授は「子どもを育てて老年を迎えてみれば、国民年金の恩恵も受けられず、自身の老後への準備が出来ていなかった人が多い」と話す。そのうえで、年金制度の不十分さに加え、家族のありようの変化も影響が大きいと指摘する。「核家族化が進み、家族からの経済的な支えを得にくい独居の貧しい高齢者が増えたことも、貧困率が高い要因だ」と言う。

 さらに、現在の高齢者の子ども世代の家計も苦しい。「受験戦争」の中の塾代など孫世代の教育費はかさみ、住宅費は高騰。一方で働き盛りの時期にリストラに遭い、自営などに転じて食いつなぐケースが珍しくない。さらにその下の若者世代も待遇の良い職場は限られ、非正規職で働き続けるなど就職難に苦しむケースが少なくない。

 ニッセイ基礎研究所の金明中・主任研究員は「親を助けたいと思っても余裕がない人が多い。高齢者の貧困問題を解消していくには社会保障の充実も大事だが、それだけでは限界がある。就職難の若い世代を含めて、自身や親の老後を支えられるような安定した雇用の拡大こそが、長い目でみれば根本的な対策になる」と言う。

 こうした高齢者の貧困問題を「自分ごと」として受け止め、行動に移した若者がソウル近郊の仁川市にいる。

■社会的企業、目標は「滅びること」

 17年に、社会的な目標追求と営利活動を両立させる「社会的企業」を発足させた奇虞振さん(39)。「ラブリペーパー」と名付けた会社は、20年に政府の認定も受けている。

 高齢者が集めた段ボールなどを決められた価格で定期的に引き取り、それを原料に独自のデザインのバッグや絵画のキャンバスなどをつくってオンラインなどで販売する。

 目標は古紙などを集める高齢者に、自身の活動が資源再生につながっているとの自負心を持ってもらうこと。そして、高齢者が老後を生き抜くための雇用の場をつくることだ。

 奇さんはもともとは教師だった。勤めていたのは既存の学校と一線を画し、子どもの個性を伸ばす取り組みを進める「代案学校」。毎日の学校へ通う道で、段ボールなどを集めて歩く高齢者の姿を見かけていた。

 「自分が高齢者になった時に韓国はどうなっているのか。自分はどんな老後を送るのか」。そんなことを思い、高齢者の貧困問題を調べ始めた。論文や新聞記事などを読み込み、高齢者への聞き取りなども進めて現在の活動に至った。

 仁川市内の住宅街を、奇さんの車が進む。待っていた女性(80)の傍らにはリヤカーに載せた段ボール。青果店から回収してきたものだという。奇さんは手早く計量し、声をかける。「最近とても暑いけど、大丈夫ですか?」

AS20220731000107_R

 業者に売れば1キロ数十~100ウォン程度のこともあり価格も安定しない中で、ラブリ社は、数人の高齢者から1キロ300ウォンで定期的に引き取っている。バッグの制作などには正社員として70~80代の高齢者3人を雇う。

 昨年の売り上げは2億ウォンを超えた。まだ多いとは言えないが、少しずつ増えている。大手財閥系の企業などとの連携も進める。記者が今後の目標を問うと、奇さんは「滅びること」と答えた。「格好つけた言い方だけど、高齢者の貧困問題がなくなれば、我々も存在する必要がなくなる。そう思っています」(ソウル=稲田清英)

■記者から  進む世界有数の少子化、構造的課題 韓国の高齢者が直面する貧困や暮らしの不安の問題を、以前から取材してきたが、「お金をためられなかった人の自己責任ではない」という取材先の話が改めて印象に残った。経済や社会の構造に根ざす問題だということだ。専門家の一人は、公的年金の貧弱さを「小遣い程度の額しか受け取れていない高齢者が多い」と評した。急速な高齢化と「備え」の遅れは、韓国社会の最大の課題とも言える。

 昨年末に韓国政府が発表した2070年までの長期人口推計をみると、20年に15・7%だった高齢化率は35年に30・1%、50年には40・1%、65年には45・9%になる。世界有数の少子化も同時に進むなか、老後の安心を社会全体でどう確保していけるのか。

AS20220731000103_R

 簡単に答えは出ないが、国や自治体に限らず、社会的企業など多様な主体が現状を改善しようと取り組む。引き続き現場から追っていきたい。