(朝鮮日報 2021/10/25)

 21日に韓国が独自開発した宇宙ロケット「ヌリ号」が全羅南道高興郡の羅老宇宙センターから打ち上げられた。最後のダミー衛星の軌道進入には失敗したが、1段目ロケットのエンジン4基を少しの誤差もなく同時に作動させるクラスタリングとロケットの上空での点火など重要技術に最初のテストで完璧な成功を収めた。海外メディアは「韓国は最初の発射テストで一歩足りなかったものの、底力がある衛星打ち上げ国になることは既成事実だ」と評価した。これまで11年7カ月の間、韓国航空宇宙研究院と国内企業300社のエンジニアが数多くの難関を克服した結果だ。

■ごみ箱を掘り返して部品国産化

 韓国航空宇宙研究院のコ・ジョンファン韓国型発射体開発事業本部長は2010年からヌリ号の開発研究を率いてきた。コ氏は米テキサスA&M大学で衛星研究によって博士号を取得し、2000年に研究院でのロケット研究に参加した。コ氏は「米国では外国人にはロケットのようなデリケートな研究は任せなかった」と話した。

 コ氏は韓国のロケット開発の生き証人だ。2000年に韓国初の液体燃料ロケットである「科学ロケット(KSR)3号」を開発したのをはじめ、ロシアとの羅老(ナロ)号の共同開発、今回のヌリ号まで20年以上にわたり発射体研究に没頭した。コ氏は羅老号開発当時、ロシアのエンジニアが落としていった紙を拾い、徹夜で翻訳したり、捨てられた油を分析したりした

 ロケットの部品と素材は全て直接開発に携わった。見慣れない部品と素材を作ってくれる企業を求めて全国を回った。結局ヌリ号に搭載された部品37万個のうち、圧力センサー、温度センサーのように既製品を使用できるものを除く94.1%を国産化した。コ氏は「来年5月2日の2回目の打ち上げで最後の階段を必ず乗り越える」と語った。

■無視していたロシア、共同開発も提案

 キム・ジンハン発射体エンジン開発団長は、ヌリ号開発で最大の難関だった液体燃料ロケットの商用化を率いた。キム団長は羅老号事業からロケットエンジン開発に加わり、18年には75トンエンジンの試験用ロケット発射に成功した。世界で7番目の成果だった。独自技術でロケットエンジンを開発するには海外では平均で10年かかるが、韓国は7年半で打ち上げまで成功した。

ヌリ号の動力となる75トンエンジンの開発は数多くの試行錯誤を経た。地上での燃焼試験で設備が爆発して故障したことがあったほか、エンジンも燃焼が不安定で何度も爆発した。このため、発射スケジュールを2回延期せざるを得なかった。結局20回以上エンジンの設計を変更し、184回、1万8290秒の燃焼試験を行い、エンジンの完成度を高めた。キム団長は「羅老号事業の当時は『韓国がロケットを作るって本当か』と無視していたロシアの研究陣が液体燃料の商用化以降、共同開発を提案してくるほど韓国の技術力を認めた」と話した。

■企業300社、エンジニア500人余り参加

 ヌリ号の開発には韓国企業300社のエンジニア500人余りも加わった。韓国航空宇宙産業(KAI)が組み立てを統括し、ハンファエアロスペースがロケットエンジン、斗源重工業がタンクと胴体の開発に加わるなど大企業と中小企業が手を結んだ。発射台は現代重工業が主軸となって構築した。総事業費の約80%(1兆5000億ウォン=1450億円)が韓国産業界への発注に充てられ、韓国企業が宇宙産業分野で成長する足掛かりを築いた。

 エンジニアは外国企業との競争に打ち勝った独創的アイデアと驚くべき開発速度をヌリ号でも十分に発揮した。ハンファエアロスペースのエンジニアは当初組み立てに6カ月を要していた75トンエンジンの製作期間を3カ月以内に短縮した。今は年間で最大13基のエンジンを組み立てられる能力を備えた。KAIのエンジニアは作業員がミスなく発射体を組み立てられるように、ヌリ号の丸い胴体の周囲を見て回ることができる大型のリング型作業台を初めて開発した。

 現代重工業が製作した発射台は冷却水供給量がロシアの技術で製作した羅老号の発射台の2倍、推進剤は3倍の規模だ。カン・ソンイル発射台チーム長は「発射台の開発に加わった提携企業が途中で倒産すると、開発していた設備を徹夜で移転して作業を行うことを繰り返した」と振り返った。李永完(イ・ヨンワン)科学専門記者 , 崔仁準(チェ・インジュン)記者