(ソウル経済 韓国語 2020/11/30)

日本のマスコミが、日本の最大財閥の一つである三菱グループの創業150周年記念式を大々的に報道した。三菱がこれまで歩んできた足跡を振り返る一方、新型コロナウイルス感染症(コロナ19)事態とあいまって、今後の進む方向についても光を当てた。しかし、三菱重工業の徴用問題など三菱が経た日帝強占期当時の歴史に対する指摘はなかった

◇日本のマスコミ「コロナで立ち位置揺らぐ...『同窓会的集団』になるだろう」

三菱は去る24日、創業150周年記念式を行った。この行事にはグループ内の主な企業の首脳部と幹部などが参加し、記者懇談会も開かれた。創業150周年記念事業委員会委員長を兼ねている宮永俊一三菱重工業会長は記者会見で「(創業者の岩崎弥太郎が)挑戦者として第一歩を踏み出した原点に立ち戻り、力強く新たにスタートしたい」と決意を表明した。

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▲24日、日本,東京で開かれた三菱創業150周年記念式で宮永俊一三菱重工業会長がグループ綱領が書かれた額縁を持っている。/日本経済新聞ホームページキャプチャー

三菱の創業150年に合わせて日本メディアは一斉にこれまでの足跡と進む道を集中的に報道した。

朝日新聞は、三菱が1870年に設立されて海運業から始めたと伝えた。それと共に重工業、商社、銀行など3大核心系列会社がコロナ19を経験して地位が揺らいでいると指摘した。これと関連して田中彰京都大教授は「三菱は高度成長期はグループ内の銀行(三菱UFJ銀行)と商社が幹事役となり、系列融資や集団内取引を通じて傘下企業の成長を促してきた」としながら「しかし、バブル崩壊を契機に銀行と商社は集団内の企業に依存しないビジネスモデルに変わり、集団の経済的なつながりが薄れた。三菱自動車が日産自動車の傘下に入ったのは象徴的な例」と朝日新聞に伝えた。それと共に「今後は精神的なつながりを重んじる“同窓会的な集団”になるだろう」と見通した。集団内取引など系列会社同士で事業を後押しする姿はさらに弱くなるだろうという話だ。

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▲1877年当時、三菱幹部が記念写真を撮影している様子。/日本経済新聞ホームページキャプチャー

日本経済新聞は、三菱が日本産業の近代化を先導したが、令和時代に入り業績不振に陥る系列会社も少なくないと指摘した。代表的に、1884年創業の三菱重工業は、船舶向け回転機の技術を軸に『三菱』のブランドを世界で高めたが、バブル経済崩壊後、年間売上額が約30年間にわたって3兆円(約32兆ウォン)前後をさまよう低成長状態が固定化した。日経は「民間ジェット機事業の迷走で創業以来の経営危機を迎えるなか、ビジネスモデルの転換が急務となる」と指摘した。

◇韓日葛藤の雷管『徴用問題』に言及ない

朝日、日経など日本の有力日刊紙は、三菱創業150周年と関連した記事を大きく報道したが、三菱が経た日帝強占期当時の歴史については言及しなかった。特に最近、三菱重工業の徴用問題が韓日葛藤の核心懸案として浮上したのに、これに対する言及はなかった

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▲日帝強占期間の朝鮮人強制労働現場である三菱重工業長崎造船所の第3ドライドック(dry dock)。/聯合ニュース

三菱重工業は、徴用被害に対する賠償に背を向けているという批判を受けている。去る10日、三菱重工業は徴用賠償訴訟と関連し「日韓請求権協定により、完全かつ最終的に解決されており、いかなる主張もできなくなったと理解している」として、韓国法院[裁判所]が公示送達手続きを進めた資産売却に関する尋問書に対して「当社の意見書を提出する予定」という立場を明らかにした。

これに先立ち、徴用被害者と遺族5人は2012年10月、光州地法[地裁]に三菱重工業を相手に損害賠償訴訟を提起し、2018年11月、大法院[最高裁]で勝訴の確定判決を受けた。

しかし、三菱重工業が判決を履行しないため、被害者と遺族は大田地法にこの会社の韓国内資産に対する差し押さえ手続きを踏んだのに続き、売却命令を申請した。これに対し大田地法は差し押さえ資産売却命令申請事件処理のため、三菱重工業を相手にした尋問書を公示送達し、その効力が10日0時に発生した。公示送達は、訴訟相手方が書類を受けたという事実確認が難しい場合、法院内掲示板や官報などに関連内容を一定期間掲載し、当事者に伝えられたものと見なす制度だ。三菱重工業は、徴用問題は韓日請求権協定で解決され、韓国大法院の賠償判決は国際法違反という日本政府の主張に従って賠償に応じないでいる。(機械翻訳 若干修正)


 三菱150年 揺らぐ御三家、社会貢献に活動の軸足移す
(朝日新聞 2020/11/25)

 三菱グループが創業150年を迎えた。これまでは窮地に陥った身内の企業を支えるなど経済的な結びつきが注目されたが、近年は経済環境が変化。主要企業の立ち位置も揺らぎ、活動の軸足を社会貢献に移しつつある。

 「(創業者の岩崎弥太郎が)挑戦者として第一歩を踏み出した原点に立ち戻り、力強く新たにスタートしたい」。記念事業委員会の宮永俊一委員長(三菱重工業会長)は24日、都内で開かれた式典で決意を表明した。主要26社の代表が集まり、結束力を見せつけた。

 三菱グループは1870(明治3)年設立の海運業「九十九(つくも)商会」をルーツとする。150年事業の目玉として昨年、「三菱みらい育成財団」を立ち上げた。主要企業が10年間で計100億円を出し、子供や若者の教育を支援する。創業100年を機に設立された「三菱財団」とあわせて社会貢献を加速させることになる。

■協力できるのは「三綱領」があるから

 複数の企業が協力できるのは、社会貢献などを掲げる共通理念「三綱領」があるからだ。「所期奉公(しょきほうこう)」「処事光明(しょじこうめい)」「立業貿易(りつぎょうぼうえき)」からなる。「御三家」と呼ばれる三菱UFJ銀行、三菱商事、三菱重工業の3社の存在も大きい。

 御三家は、ビジネス面で注目を集めてきた。2005年には経営が行き詰まった三菱自動車に重工、商事、東京三菱銀行(当時)が計2700億円を出資して支援。「身内救済」との批判も浴びた。

 しかし、近年は三菱自が日産自動車の傘下に入るなど、様相が一変。御三家も揺らいでいる。

 重工は国産ジェット旅客機事業でつまずき、20年3月期(国際会計基準)は営業損益が20年ぶりの赤字。商事も今年、伊藤忠商事に時価総額で抜かれて業界首位を明け渡した。三菱UFJ銀を傘下に持つ三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)は20年3月期の純利益で三井住友FGに抜かれ、初めて業界首位を譲った。グループ企業の現状について会見で問われた商事の小林健会長は「停滞しているとは思わないが、変革を要する時期に来ている。もがいている部分もある」と述べた。(小出大貴、笠井哲也、橋田正城)

■「今後は同窓会的な集団に」京都大・田中彰教授(経営史)

 独立した企業がネットワークで産業横断的につながる日本の企業集団は独特だ。三菱グループは他のモデルになっており、最強にして最後の企業集団だ。高度成長期はグループ内の銀行と商社が幹事役になり、系列融資や集団内取引を通じて各企業と自社の成長を促してきた。しかし、バブル崩壊で銀行と商社は集団内の企業に依存しないビジネスモデルに変わり、経済的なつながりが薄れた。三菱自動車が日産自動車の傘下に入ったのは象徴的だ。今後は「三綱領」をよりどころにした精神的なつながりを重んじる同窓会的な集団になるだろう。

■三菱グループとは… 

1870(明治3)年、土佐藩の有力者である後藤象二郎、板垣退助らが設立した海運業「九十九(つくも)商会」をルーツとする。経営を引き継いだ岩崎弥太郎が73年に三菱商会に改称した。三菱という名前やマークを共有する独立した会社の集まりで、明確な定義はない。「所期奉公」「処事光明」「立業貿易」の三綱領を理念として共有し、スポーツや社会貢献で交流している。約600社とされる。三菱の社名を冠さない企業が複数ある一方、三菱鉛筆はグループ企業ではない