(日本経済新聞 2020/11/20)

「完全に見誤った」――。日本政府関係者が口をそろえる。世界貿易機関(WTO)の次期事務局長選びで、日本による輸出管理厳格化の是非をめぐりWTOを舞台に日本と争う韓国の候補者が最終選考の2人まで残ったことだ。10月末の決選投票で加盟国からより多くの支持を集めた本命のナイジェリア人候補にも米国が反対しており、日本政府は二重の苦しみを味わう羽目に。韓国の外交攻勢を甘く見てはいなかったか。

韓国人候補は兪明希(ユ・ミョンヒ)通商交渉本部長。韓国大法院(最高裁)の徴用工判決を受けた韓国政府の対応に不満を抱く日本政府が2019年7月に対韓輸出品の管理を厳格化した際に「国際規範に合致しない」と撤回を求め、WTOに提訴した韓国の責任者だ。WTO事務局長の辞任を受け、20年6月24日に立候補を表明した。

日本政府は、兪氏がWTOのトップに就けば韓国との貿易紛争が不利に働くと懸念し支持候補から外した。それでも8人が出馬したレースからいずれ脱落するとの楽観論が政府内部では支配的だった。その根拠となっていたのが、兪氏が閣僚経験者や政治家などの「大物候補」ではないうえ、韓国は組織票を持っていないといった分析だったという

■約90カ国に文大統領が電話や親書

この4カ月間、韓国では文在寅(ムン・ジェイン)大統領が先頭に立って加盟国の首脳と立て続けに電話したり、親書を送ったりするなど政府総動員で「兪明希支持」を訴えた。大統領の電話と親書を合わせた数は約90カ国に上ると韓国メディアは伝えている。

決選投票で兪氏に投じたのは60カ国余りとされる。報道によれば、北米や中南米、アジア、中東など韓国経済や企業の影響力の強い地域がめだつ。

トップ外交や官民一体の外交攻勢は韓国のお家芸だ。選挙序盤で劣勢とされていた兪氏は、韓国政府の全面支援に後押しされて急速に挽回した。

なりふり構わない韓国外交を警戒する声は日本政府内にもあった。だが「韓国の候補に勝ち目はない」といった楽観的な見立てや日韓対立を背景とした嫌韓ムードの前にかき消されたかたちだ。選挙後半になると「世界各地の在外公館などを使って兪氏のネガティブキャンペーンに乗りだした」との証言もある。

■「究極の選択」

164加盟国・地域による意見集約の結果、欧州主要国などが支持したナイジェリアのヌゴジ・オコンジョイウェアラ氏への支持が兪氏を上回り、WTOはオコンジョイウェアラ氏への推薦を決めた

日本が胸をなで下ろすわけにはいかない

同氏はナイジェリアの外相、財務相や世界銀行の専務理事を務めた経験があり、調整力に定評がある。半面、ナイジェリアは中国から大規模な経済支援を受けているため、WTOの運営が中国の意向に影響を受ける可能性も指摘される。「究極の選択になってしまった」。政府・与党内からはこんな自省の声も漏れる

ナイジェリア候補者の背後に中国の影をみる米国は、兪氏支持の旗をいまだ降ろしていない。事務局長の選出は全会一致が原則のため、韓国政府も兪氏の落選が確定的になりながらも撤退できずにいる。日本政府にとっても、自由貿易の牙城であるはずのWTOで日米の足並みが乱れたまま決着がずれ込むという好ましくない状況が続く

■14年前も日本の思惑外れる

国際機関のトップ人事で思い起こされるのが、06年10月に国連事務総長に当選した韓国の潘基文(バン・キムン)氏のケースだ。当時、筆者はソウルに駐在していたのでよく覚えている。

予想に反して潘氏がほぼ独走した舞台裏では、有力視されていた潘氏のライバルたちが国連安全保障理事会で拒否権を持つ常任理事国の国々に次々と嫌われ、結果的に穏健路線の潘氏が浮上するという力学が働いた。

日本政府は潘氏を「外交のプロ」「親米派」と評価しつつも、「潘氏支持」を小泉純一郎前首相の靖国神社参拝で悪化した日韓関係を改善するためのカードにする思惑があった。

しかし、国際政治情勢を読み切れなかったため、潘氏への明確な態度を示さないうちに当選が確実になってしまい、支持カードを切るタイミングを逃してしまったのだ。

「第2の潘基文の奇跡」を生もうと韓国政府は今回もアクセルを踏んだ。選挙戦での兪氏の躍進については、先頭集団を走っていたアフリカ勢2候補による票の食い合いにも助けられたとの指摘がある。14年前と似たような構図といえる。日本政府は「国際機関トップ」「世界一」などに執念を燃やす韓国相手の外交に再び課題を残した

■「在外同胞」パワー

韓国との間では、ドイツの首都ベルリン市ミッテ区内の公有地に、現地で活動する韓国系市民団体が元従軍慰安婦の被害を象徴する少女像を設置した問題もこじれている。日本政府の撤去要請を踏まえ、いったんは設置許可が取り消されたにもかかわらず、「少女像を守ろう」と息巻く韓国系市民団体側が裁判所に申請し、その後、同区が設置を「当面認める」と発表した

海外の市民活動やロビー活動でパワーを発揮するのが、在外同胞と呼ばれる韓国からの移住者だ。韓国の在外同胞は18年末時点で世界180カ国・地域、約749万人に達するとされる。移民が集まって暮らすコリアタウンを世界各地で築くなど結束が強いことで知られる。

韓国の大学教授は「日本に植民地支配された経験などから海外でも個人よりも集団に属しているという意識がある。民族的な観点から考え、行動しやすい」と話す。

欧米などは特に人権問題を重視する風潮が強い。その情緒に韓国は訴える。徴用工問題でも日本が主張する「韓国大法院の判決は国際法違反」が正論であっても高をくくっていれば国際社会で思わぬしっぺ返しを受けかねない。韓国に対しては外交交渉はもちろん、対外発信力の強化など総合的な外交力が必要になる

峯岸博(みねぎし・ひろし)
1992年日本経済新聞社入社。政治部を中心に首相官邸、自民党、外務省、旧大蔵省などを取材。2004~07年ソウル駐在。15~18年3月までソウル支局長。2回の日朝首脳会談を平壌で取材した。現在、編集委員兼論説委員。著書に「韓国の憂鬱」、「日韓の断層」(19年5月)。


『明治日本の産業革命遺産』の世界遺産登録のときも担当者(現 産業遺産情報センター長)からこんな↓ことを言われていましたね。

2015年07月25日