(統一日報 2020/11/18)

 北韓の人権問題に取り組む韓国の社団法人「北韓人権市民連合」は9日、ソウル市内で記者会見を開き、1959~84年にかけて行われたいわゆる「北送事業」[在日朝鮮人の帰還事業]の犯罪責任を国際司法の場で立証するよう、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)などに求めた。

同連合は、これを主導した労働党在日支部(朝総連)が「北韓政府の指示を受け、虚偽の情報で大規模な宣伝活動を行った」としており、北送事業が広範囲にわたって行われたのは当時の日本政府と旧ソ連政府、日本赤十字社、赤十字国際委員会などの支援があったためと指摘している。

北韓は厳密な階級社会だ。「地上の楽園」であると騙された在日朝鮮人たちは、北韓に到着した瞬間から最下層の要監視対象者、つまり「敵対層」に分類され、差別された。極貧生活を強いられた彼らは日本の親族からの仕送りに頼るほかなく、結果的に北韓当局による人質となったのだ。

北送事業では、最終的におよそ9万3000人の在日朝鮮人が北韓へ渡ったが、その8割が最初の2年間で渡北した。以降、その流れが途絶えたのは、先に渡った人たちが「楽園などではない」という真実を手紙で届けたからだ。

しかし、日本共産党はその後も熱心に北送事業を推進し、最後まで在日朝鮮人たちを北の凍土に送り続けた。日本はこのことを自覚し、厳しい自己省察を行う必要がある


 関貴星というコリア系日本人がいる。一九一四年朝鮮に生まれ、後に関家の養子となり、日本国籍を有していた関貴星は一九六〇年八月、「朝鮮解放十五周年慶祝訪朝・日朝協会使節団」の一員として北朝鮮を訪問する。「祖国の真実の姿を知りたい」というのが訪朝の目的であったが、北の共和国に関が見たのは、自分の理想とは遠くかけ離れた状況で、いくら頼んでも帰国者との面会は許されない。わずかに会えた帰国者はおどおどしたり、通り一遍の型どおりの受け答えをくり返すだけで、血の通った対話はできない。どこへ行くにも対外文化連絡協会の工作員が身辺から離れることはない。宿舎の平壌ホテル四階の窓辺からはツルハシをふるって土砂の掘方をしている数人の女性が見える。女たちの服装はチマとチョゴリであるが、裸足である。人民に犠牲を強いている風景には旅行中にも遭遇する。元山から咸興へ戻る途中では、建築用の松丸太を積んだ荷車の後から、腰の曲がった老婆が必死になって食い下がり、素手で丸太の皮を剥いでいる場面を目撃する。咸興製鉄所見学の折りには、頭に荷物をのせ、背中に赤ん坊を背負った貧しそうな女が、炎天の街路を、アカシアの折れ枝をぞろぞろ引きずって歩いている姿を見る。汽缶庫のボタ山あさりや川岸のちっぽけな流枝を拾う姿など、しばしば燃料不足を思わせる情景にぶつかる。

 「これはおかしい。この社会には矛盾がある。しかもとてつもなく大きな矛盾が」と感じた関責星は日本に帰ると、帰国者についての虚偽の宣伝をやめよ、祖国の真実を伝えよと朝鮮総連の幹部たちに要求する。「もしこの事実に眼をおおい、従来どおりの北朝鮮礼賛、帰国促進をつづけていけば、おそるべき人道上の誤りを冒す恐れがある」と訴えるが、幹部たちは耳を貸そうとはしない。しかし帰国運動は継続し、帰国者たちは祖国に幻想を抱いている。そこで関貴星が自分の周囲から運動をはじめることにする

この人びとに、上陸してすぐ役立つ、いな、一日も欠かせない生活用品を持ってゆけ、と教えたい。セビロや自家用車より自転車や防寒服を、木綿を、毛糸を、靴を、ミシンを、医薬品を、ドライミルクや釘一本、鉛筆一本でも余計もってゆくように教えたい。そして、地上の楽園へ帰るなどという甘い考えを棄て、自分らの力で泥まみれになって祖国を建設するのだ、という覚悟をもたなければ帰国する意味がないぞ、と教えてやりたい。

 私は矢も盾もたまらず単独で、まず自分の周囲から実行しだした。

 岡山市の解放会館で一週間のちの船で帰国する人びとの帰国学習会で、私は真実にそった帰国心得を話したとき、同席していた他の幹部が、「帰国する人びとにそんなこと喋っちゃこまるじゃないか」 というのだ。私が反問すると、かれは「一般帰国者は無知なんだ。それでいいんだ。なまじ本当のことを知らせると、帰国者がなくなってしまうからな」と平然たるものであった

 彼ら一握りの幹部は、中央、地方を通じてただ同胞を新潟港から帰還船に乗せるだけが政治目的であって、あとは同胞がどうなろうがそんなことは知ったことではないのだ〉(『楽園の夢破れて』亜紀書房、一九九七年、八三貢、傍点は原文ママ)※傍点の代わりに文字色を変えてます

 右に引用した『楽園の夢破れて』の初版は一九六二年
【鄭大均著 『在日・強制連行の神話』162-164 文春新書】


そりゃ日本共産党と朝鮮総連の関係はこれ↓らしいですからね。

2018年11月15日