軍拡に突き進む南北 正恩氏「平和気分」警戒
(毎日新聞 2019/12/24)

 冷戦が終結して30年。今もなお分断が続く朝鮮半島では、昨年6月の史上初の米朝首脳会談を受け、北朝鮮の非核化と恒久的な平和体制への期待が高まった。ところが今年は一転、再び「緊張モード」へと回帰。北朝鮮のミサイル開発の加速が目立ったが、実は韓国の文在寅(ムンジェイン)政権もその間に国防予算を急増させている。南北ともに「軍拡」に突き進む背景を探った。【渋江千春(ソウル)、米村耕一】

◇正恩氏「平和気分」警戒

 「敵に対する幻想は死を意味する」

 今年2月にハノイで行われた米朝首脳会談が事実上の決裂に終わってから数カ月後、中朝国境に近い北朝鮮北部の各治安機関に「敵と平和に対する幻想を排撃し、全民抗戦準備をさらに徹底的に進めることについて」と題した思想教育用の内部資料が配布された

 毎日新聞が入手した資料の冒頭には、治安機関幹部たちを戒める金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の言葉が記されている。文書は「敵たちは南朝鮮(韓国)・米国連合訓練を再開した」とも指摘しており、「敵」が米国と韓国を指すことは明らかだ。

 一方、この治安機関幹部向け資料が最も重点を置くのが、昨年9月、文大統領が平壌を訪問して以降、北朝鮮国内に広がった「平和ムード」と緊張感の緩みへの対処だった

 「最近、一部の人々はかいらいたち(文大統領一行)が平壌に来たので、朝鮮半島情勢は穏やかになり、平和が来ると錯覚している。そうした平和気分にとらわれ、軍事訓練に参加しなかったり、形だけの参加ですませたりしている」。資料はこう指摘し、「一部の人々」を激しく批判した。

 北朝鮮住民によると、北朝鮮の労働者は年に1カ月、順番に軍事訓練の参加が義務づけられている。しかし、大半の労働者は生活のために副業に携わっており、軍事訓練にはできるだけ参加したくない。そこで、訓練担当の小隊長に30ドル(約3300円)程度を支払って、見逃してもらうのだという。資料が指摘したのは、平壌での南北首脳会談を受けて住民たちの緊張感や士気が下がり、ますます訓練を避ける傾向が強まっているということだった

 北朝鮮指導部にとって最も警戒すべき国内変化の一つが、こうした統制の緩みだ。「時間の4~5割は思想教育」(韓国在住の脱北者)という軍事訓練の参加率が下がれば、住民統制が弱まる恐れがある。

 さらに資料は1991年にソ連が崩壊した原因も、ソ連が「帝国主義者との平和共存」を掲げ米ソ間の緊張緩和を進めたことにあると指摘する。「ゴルバチョフ(元大統領)は軍縮を進め、その結果、ソ連の人々の間で敵や平和に対する幻想が生まれた」。そして、こうした幻想によって「結局は、敵は銃弾を一発も撃たずに、社会主義を崩壊させた」と結論づげ、軍縮政策と平和ムードは体制を危険にさらす、と諭している

 北朝鮮は経済発展のためには緊張緩和が必要だが、これが進みすぎると国内の統制が緩むというジレンマを抱える。

 資料を配布した時期とほぼ重なる今年5月4日、北朝鮮は今年最初の短距離弾道ミサイルを発射。その後12月までミサイルやロケット砲の実験を繰り返した。金委員長が米国との対話の期限とした2019年末が近づく今月14日には、朝鮮人民軍の朴正天(バクジョンチョン)総参謀長は「力による均衡が徹底的につくられてこそ、われわれの発展と未来を保障することができる」との談話を発表し、核兵器開発の継続を示唆している。

◇文政権「軽空母」導入

 北朝鮮との対話を通じ、朝鮮半島での平和体制構築を目指す文大統領。一方で、「いつか統一がなされたとしても、列強の中で堂々たる主権国家になるためには、強い安保能力を持たなければならない」(10月の施政方針演説)と強調、来年度の国防費予算は約50兆2000億ウォン(約4兆6000億円)と初めて50兆ウォンを突破した。

 特に注目されるのは、青瓦台(大統領府)の意向で計画が大幅に前倒しされたと言われる「大型輸送艦」だ。実際は軽空母になるとみられ、空母建艦を進める中国や日本の護衛艦の空母化を意識している

 17年5月の文政権発足後の国防費予算は、18年度約43兆2000億ウォン(前年比約7%増)▽19年度約46兆7000億ウォン(同約8.2%増)。来年度も前年比約7.4%の増加だ。これは、保守系だった李明博(イミョンバク)、朴槿恵(パククネ)政権時の09~17年度の平均増加率約4.7%を大きく上回っている

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 保守政権より増加率が高いのは、保守系が米韓同盟強化を目指すのに比べ、文政権を含む革新系には米国に頼らない「自主国防」志向が強いためだ。文大統領は17年8月、国防省幹部に「莫大(ばくだい)な国防費をつぎ込んでも北朝鮮の軍事力に対応できず、韓米合同の防衛力に頼るのでは残念だ」と語った。

 来年度の国防費予算の内訳を見ると、兵士の給料増額などの人件費(約6.2%増)もあるが、兵器購入や性能改良などに使われる「防衛力改善費」も約8.5%増えた。うち最も高い増加率を示しているのが、約25.5%増の「艦艇」だ。大型輸送艦もその中に含まれる

 今回の大型輸送艦は3隻目で、約3万トン級となる見通し。すでに所有する2隻との大きな違いは、F35Bのような、短距離離陸・垂直着陸型戦闘機の運用を可能にする点だ。技術開発や設計に必要な予算271億ウォン(約24億7000万円)は異例のスピードで認められ、金鉉宗(キムヒョンジョン)国家安保室第2次長は記者会見で、安保強化のための核心戦力として軍偵察衛星、次世代潜水艦と共に軽空母を挙げた。

 国防政策で特に文政権が強調するのが、北朝鮮以外の脅威への対応だ。昨年7月に発表された「国防改革2.0」では、現状を「周辺国の影響力強化と軍備競争激化による潜在的脅威が増加」と指摘。韓国紙「中央日報」は、国防費予算に周辺国に対抗する戦力を確保する項目があり、政府内部で非公式的に「北東アジア予算」または「周辺国予算」と呼ばれていると報じた。その予算の代表例が今回の大型輸送艦だという

 韓国周辺では中国で空母2隻が就役中で、日本は護衛艦「いずも」「かが」をF35Bが搭載できるように改修する。国民大(韓国)の朴輝洛(パクフイラク)教授は大型輸送艦について「戦略的というより、中国も日本も造っているから我々も、という発想だ。優先すべき軍備は他にある」と指摘した。

【北朝鮮の核・ミサイル問題を巡る主な動き】

2018年6月12日   シンガポールで初の米朝首脳会談
   9月18~20日 韓国の文在寅大統領が訪朝し、南北首脳会談
2019年2月27~28日 ハノイで米朝首脳再会談、決裂
   5月4、9日 北朝鮮が短距離弾道ミサイル発射
   6月30日   板門店で米朝首脳会談
   7月25日   北朝鮮が短距離弾道ミサイル発射
   8月6日   短距離弾道ミサイル発射
     10日   短距離弾道ミサイル発射
     16日   短距離弾道ミサイル発射
     24日   短距離弾道ミサイル発射
   10月2日   北朝鮮が潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)発射
     5日   スウェーデンで米朝実務協議
     31日   北朝鮮が短距離弾道ミサイル発射
   11月28日   北朝鮮が短距離弾道ミサイル発射
   12月14日   「核抑止力強化のための重大な実験を行った」と北朝鮮が発表。朴正天朝鮮人民軍総参謀長も談話公表


◇不確実性増す北東アジア

ソウル支局渋江千春

「冷戦時がむしろ安全だったと言う人もいる」。取材中、朴輝洛国民大教授からこんな言葉が飛び出した。

 朝鮮戦争が停戦中で、北朝鮮と韓国に分断されたままの朝鮮半島は、冷戦構造が残る地域とされる。だが、実際は、冷戦後の30年で構造もパワーバランスも大きく変化している。

 旧共産主義陣営のロシア・中国・北朝鮮の結びつきは弱まった。日米韓の安保協力体制も、米国の自国第一主義や日韓の摩擦で揺らいでいる。もはや旧共産主義陣営対資本主義陣営という簡単な構図では語れない状況だ。各国の利害や戦略は少しずつばらばらになり、不確実性は増した。その結果、今の北東アジアは放置すれば軍拡競争が加速する素地をはらんでいる。

 軍縮には国際的な合意が不可欠だ。特に事実上、核兵器を持ってしまった北朝鮮にどう向き合うかは極めて重要だ。03~08年の6カ国協議は北朝鮮の核問題を解決に導けなかった。

 しかし今こそ、朝鮮半島の南北と日米中露の6カ国で、信頼醸成と緊張緩和を通じ、北東アジア地域における軍縮・核不拡散を議論する仕組みが必要な時期に来ているのではないか。

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