(中央日報 2019/12/19)

イェ・ヨンジュン/論説委員

文在寅(ムン・ジェイン)大統領が今月初め、檮オル(トオル)金容沃(キム・ヨンオク)氏の『統一、青春を語る』という本を読んだ後、国民に一読を勧めた。柳時敏(ユ・シミン)氏のYouTubeチャネル「アリレオ」に出演して大胆な内容を整理したのだ。

※『統一、青春を語る』は、ノ・ムヒョン[盧武鉉]元大統領とキム・ジョンイル[金正日]北韓[北朝鮮]国防委員長の10・4南北首脳宣言12周年である去る10月4日、『人が生きる世の中ノ・ムヒョン財団』のユーチューブチャンネル『アリレオ』を通じて放送された『ユ・シミンが聞いてトオルが答える』を再構成したものだ。(聯合ニュース 2019/12/01)

大統領の推薦もあり、この本を買って読んでものの、84ページからなかなか先に進まず、何度か繰り返し読んだ。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の母親である高容姫(コ・ヨンヒ)が在日同胞出身であることを話している途中に出てくるのがこの部分だ。

▼柳時敏(ユ・シミン)=「北送船に乗った人々のほとんどは故郷が南側の人々なのに、なぜそれほど多くの人々が北朝鮮に移住することになったか理解ができません」

▼金容沃=「我々が知らなければならないことは北送船には全く強制性はなかったということです。(中略)冷戦体制下で資本主義国家から社会主義国家に民族大移動が行われた唯一の事例といいます。(中略)当時日本に住んでいた朝鮮人の立場から見る時、北朝鮮社会が韓国社会よりも道徳性があり、暮らしの条件も魅力があると感じられたということです。このような歴史を私たちは客観的に反すうしなければなりません

▼柳時敏=「ああ、本当に重要なことをおっしゃられています

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▲1959年12月14日、北送在日同胞の第1陣を乗せて新潟港を離れる準備をしているソ連の船舶トボリスク。この日から1984年までに約9万3000人余りの在日同胞が新潟港を通じて北朝鮮に渡っていった。[中央フォト]

北送僑胞の選択は、地域別割当量を充足するための朝鮮総連幹部の督促ないし強権が一部あったとは言っても、形式上では「自発的」なやり方で行われた。「新生社会主義祖国建設」の一員になるという使命感、ないしは愛国心を持つ者もいただろう。

だが、それよりも多くの絶対多数は誰でもお腹いっぱいに食べられ、教育と医療費が全額無償という宣伝に惑わされてて右も左も分からない土地に向かった。金容沃氏の話のように、僑胞が向かった朝鮮民主主義人民共和国は「道徳的で魅力的な国」だっただろうか。彼らは自身の選択を後悔せずに北朝鮮で幸せな生活を送っただろうか。北送はたとえ強制動員でなかったとしても、その本質は「巨大な詐欺」だった。北送僑胞出身の脱北者に数人会っただけでも難なく確認することができる。

◆北送在日同胞脱北者とのインタビュー

満60年前の1959年12月14日、在日同胞975人を乗せた帰国船第1陣が日本の新潟港を出発して清津(チョンジン)へ向かった。北朝鮮が「帰国事業」と呼んだ北送の開始だった。1984年までに計9万3339人が北送船に乗った。初期の1960年36次北送船に高知県の僑胞2世の少年ムン・ジュヒョン(現在71歳)も含まれていた。17日、2000年に脱北してソウルに住んでいるムン氏に会った。

「北朝鮮はお金が必要ない社会だと宣伝していて、私もそう信じていた。誰でも商店で必要な物を必要なだけ持ち出して使う社会だと思った。そのような思いは清津港に到着した瞬間から崩れた。荒野に何もない市内の様子、歓迎に出てきた学生たちの身なりが日本とはあまりにも違いすぎた。『間違って来てしまった』と当惑していた父の表情を忘れることができない」

--北朝鮮に行ったことを後悔してずっと生きてきたのか。

「私は水泳選手になるという夢があったので北朝鮮行きに反対したが、父は『祖国で水泳すればいいじゃないか』と言った。なんと、清津どころか平壌にもプールがなかった。『私をなぜ連れてきたのか』と恨んで、1カ月間、父としゃべらなかったこともある。父も後悔のうちに生き、そして亡くなった。『父はどこへ行っても訴える場所もないのだから、あなたが理解して許してあげなさい』という母の言葉が忘れられない」

--生活はどうだったか。

「私たちは他の人に比べれば苦労をあまりしないで豊かな暮らしをしたほうに属する。母が持ってきた日本製のセイコー時計50個のおかげだ。生活が困るたびにそれを幹部や軍将校にこっそりと売った。事務職で仕事をしていた父の月給が1ウォン60銭だった時期に北朝鮮のお金300ウォンを受け取った。母は『地上の楽園というから来たのに、資本主義社会で一生懸命働いて稼いだものを売って生きていかなければならないのが残念だ』と言った。50個が底をついた後は、日本に残った親戚が訪問団として来るたびに時計を持ってきた。僑胞の中にはすべてのものが無償という話だけを信じて布団さえ持たないで来た人々がいたが、その生活は本当にみじめだった」

--在日同胞は北朝鮮でも差別を受けたというのは事実か。

「初めはなかったが、1976年ごろから都市から追い出された人が多い。金日成(キム・イルソン)の写真が乗せられた新聞を折りたたんで保管したなどの理由だったが、私も阿吾地(アオジ)炭鉱に行って製炭工として働いたことがある。日本に残っていた親戚の中で朝鮮総連の幹部をしていた人が1980年に平壌『光復通り』造成事業をする時に日本円で1000万円を寄付し、私たち家族のゆくえを探して阿吾地まで訪ねてきた。その時に100万円を手に握らせてくれながら『もうすぐいいことがある』と言い、その1~2カ月後に清津に戻った」

ムン氏の証言は大田(テジョン)に住むイ・チャンソン氏やソウルに居住後亡くなったオ・スリョン氏など筆者が接した他の在日同胞出身の脱北者の証言と大同小異だ。今まで在日同胞脱北者200人余りが日本に戻り、韓国にはそれよりも若干少ない人々が暮らしているといわれている。彼らの一部は北送事業に協力した日本政府を相手に損害賠償訴訟を起こした。国交がなかった北朝鮮と日本政府に代わって両方の赤十字社が締結した協定により北送事業が行われた。

少数民族としては過度に高い在日同胞の存在に負担を感じた日本政府は北送事業に積極的に協力した。岸信介内閣の1959年決定文には「在日朝鮮人は治安上問題となり、財政的に負担になっている」という表現が出てくる。治安・財政負担というのは、当時在日同胞の生活保護対象者の比率(4人に1人の割合)が日本人の8倍に達して社会主義指向が強かった事実を示すものだ。日本メディアも批判から自由ではない。北朝鮮当局の招待を受けて現地を取材をした日本の記者たちは北朝鮮が見せるものだけを見て帰ってきて『地上の楽園』宣伝に同調するような内容のルポ記事を相次いで掲載した。

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▲北送船出港を報道した日本新聞の記事には「希望」という単語が登場する。東京の在日韓人歴史資料館示物。

北朝鮮の実状はメディアでなく、ムン氏の父親のように「だまされた」と気づいて僑胞が日本に残っていた家族に送った手紙を通じて知らされた。北朝鮮当局の検閲を経て配達された手紙は「聞いていた通り祖国は地上の楽園だ」という称賛一色だった。だが、残った家族は事前に約束した暗号で真実を知った。「私が到着した後、手紙を縦書きで送ったら残った家族も一日も早く帰国船に乗り、横書きで送ったら絶対に来るな」。不幸にも残った家族が受け取った手紙は横書きだった。このような手紙もあった。「ここでの生活は日本の○○○のように豊かだ」。手紙に書かれた○○○は日本貧民街の地名だった。

北朝鮮では在日同胞の北送事業がどのように知られているのだろうか。太永浩(テ・ヨンホ)前駐英北朝鮮大使館公使に聞いたところこのような答えが返ってきた。

「東西体制の競争が激しかった時期、東ドイツから西ドイツに脱出する人が多かった。社会主義陣営全体の体制優越性を傷つけることだった。同じ分断国家である韓国で逆の状況を作り出せばこれを挽回することができた。そのためソ連が北送を積極支援することになった。僑胞が乗った帰国船もソ連の船だった。だが、北朝鮮で在日同胞は高い地位に上がることはできなかった。知識人出身も行政職程度に終わり、党員になるのは難しかった。私が働いていた外務省にも在日同胞はいなかった。資本主義生活を経験したせいで金日成の唯一領導体制にうまく従うことができなかったためだ。中学校の友人の中にも僑胞はいたが、北朝鮮式会議の進め方に慣れなくて自分の意見を正直に話して注意を受けていた」

要するに、北送事業は体制優越性を国際的に誇示したかった北朝鮮と朝鮮総連、犯罪率が高く社会主義に傾倒した潜在的危険集団を『整理』したかった日本政府が主犯と従犯、共犯として加担して広がった『詐欺』だった。北朝鮮の宣伝にだまされて巧妙に演出された集団狂気に巻き込まれて不帰の海峡を渡った9万3000人は巨大詐欺の被害者だった。彼らの屈折した人生に対する一抹の憐憫でもあるなら、金容沃氏のような発言を公然とすることはできないだろう。

ただ北送事業に関する記述だけでなく、金容沃氏の著書には大韓民国の正統性を問題視して北朝鮮に道徳的優位を置いていると解釈される言及が随所に登場する。個人がどのような歴史観を持ってどのような本を書こうが自由民主主義国家である大韓民国で問題になることはない。だが、そのような歴史観に土台を置いた著書を指して「私たちの認識と知恵を広めてくれる本」という文大統領の推薦には同意することはできない。百歩譲っても北送事業に対する記述だけは「人が先」という大統領が勧めるべき部分ではない


韓国語ウィキペディアによると

キム・ヨンオク(金容沃、1948年6月14日~)は大韓民国の哲学者、宗教学者、思想家、漢方医師、大学教授だ。本貫は光山。号はトオル(檮杌)だ。
(略)
光州で開かれた自分の講義でキム・ヨンオクは、6.25[朝鮮戦争]について「ソウルまで一気に下って部隊は人民軍でなく、中国内戦で磨きあげられた朝鮮義勇軍10万人」としながら「南侵だが南侵と表現できない。南侵を誘導した韓国社会の構造がある」と述べ、「最高の元凶は日本。次はアメリカ」として「朝鮮戦争は南侵、北侵でなく、日本帝国主義の歴史とアメリカ帝国主義の歴史が朝鮮で作った悪辣な罪悪」と主張した。
(略)(機械翻訳 若干修正)