○「一部極右の逸脱越えた状況、過去の歴史を解決できなければ続くだろう」

韓国あるいは韓国人を嫌うこと、『嫌韓』の定義だ。感情のレベルにとどまっていた嫌韓は嫌悪発言と行動にまで拡散し、両国の溝ををより一層深めている。

『嫌韓の系譜』は、日本で韓国を憎む心がどこから始まって広がったのか、その系譜を追跡する
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去る6日、京郷新聞社で会った著者ノ・ユンソン高麗大教養教育院講師は、国内では初めて『嫌韓』を主題に博士学位を受けた。本の土台になった〈日本現代文化の中の嫌韓研究〉論文を印刷所で刷っていた去る7月4日、日本政府の輸出規制が始まった。本が伝える話は現在進行形だ。

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▲『嫌韓の系譜』著者のノ・ユンソン氏が去る6日、京郷新聞とインタビューしている。

『嫌韓』用語が談論に構築された歴史はそんなに長くない。ノ氏の分析によれば、日本の日刊紙に嫌韓が初めて登場したのは1992年3月4日付毎日新聞記事であった

「日韓関係は相変わらず過去の問題などをめぐって軋轢が絶えず、日本には一部に嫌韓気分が高まっていると言う。…韓国人が過去に執着し過ぎると考える前に、韓国人の恨みの背景をもっと具体的に知るべきである。」

当時の脈絡はむやみに韓国を批判する内容ではなく、むしろ自国民の反省を促す内容だった

本によれば、日本国内の他の種族に対する賤視は『被差別部落民』の形で1000年前から存在してきた。今日、何が韓国を問題化させたのだろうか。

「1991年、韓国人『慰安婦』被害者の本格的な証言が出てきながら、マスコミに嫌韓という用語が初めて登場します。結局、嫌韓の核心にも日本軍『慰安婦』問題があります。過去の問題が解決されない状況で嫌韓は続くという意味でもあります。」

ノ氏は、2000年代以降の嫌韓の本格的な拡散を『不安型ナショナリズム』と規定する。経済の低迷で内部の不満が積もって行き、2002年の韓日ワールドカップと2012年のイ・ミョンバク[李明博]大統領の独島訪問は『嫌韓の変曲点』となった。その過程で日本の国内あるいは国際政治で嫌韓が道具として活用され、メディア、そして文化とも結合し、嫌韓は急激に拡散する。「間近にいて、数も多い韓国(人)は、嫌悪をぶちまけやすい他者」であったためだ

本では、韓国でも知られた『火垂るの墓』『ヨーコ物語』[So Far from the Bamboo Grove 竹林はるか遠く-日本人少女ヨーコの戦争体験記]などベストセラーを細かく分析する。歴史と政治社会を越え、文化テキストを通じて嫌悪の作動方式を立体的に見る試みだ。これらの本は、太平洋戦争当時の個人の苦痛を強調し、加害責任を希薄させているという批判を受けている

「過去の政府のせいにして、一般市民には非がないというふうに責任を回避する『日本式平和主義』です。非を離して分離すれば批判意識が弱まざるを得ません。」

安倍晋三総理の「私たちの子や孫、その先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない」という歴史修正主義的な見解とも一脈相を通じる。

本の最後は、1923年の関東大地震[震災]当時の朝鮮人虐殺と、2011年の東日本大地震後に高まった嫌韓を併置する。ノ氏が引用したブライアン・レビンの『憎悪のピラミッド』モデル(先入観‐偏見‐差別‐暴力‐ジェノサイド)によれば、すでに嫌韓は4段階に達した

メディアの『嫌韓商売』と街頭に出たネット右翼、直接的な攻撃行為を一部極右集団の逸脱と見ることはできない状況だ。

「嫌韓を見れば見るほど、漠然とした反感だけで片付けられないという気がしました。彼らがどんな話をしているかを正しく知らなければなりません。これからは感情的な反応でなく論理的な対応で対抗しなければなりません。」(機械翻訳 若干修正)


感情的でなく論理的な対応って・・・「嫌韓」の研究はしても自国民の研究はしてないようですね。

1992年3月4日付毎日新聞記事↓。読むと、ここまで『歴史問題』を大きくして長引かせた日本側の“対応のまずさ”に敷かれた「認識」の一端がわかるような気がしますね。

私見/直言 日韓の歴史認識に大きなギャップ
(毎日新聞 1992/03/04)

駐韓日本大使館公使 小川郷太郎

一月の宮沢総理の訪韓の実質的成果にかかわらず日韓関係は相変わらず過去の問題などをめぐって軋轢(あつれき)が絶えず、日本には一部に嫌韓気分が高まっていると言う。韓国に言うべきことは言うのはもちろんである。しかし、日本側もなすべき努力をなさずに相手を批判できない。むしろ最近は、韓国側において従来の対日批判の陰に、日韓関係についての冷静な自省と日本を客観的に見ようとする姿勢が確かな動きとして看取される。日本側にも反省すべき点が少なくない

 第一は、日韓関係に限らない国際社会における日本の一般的なありかたに関する問題であるが、最近の日本人は経済や技術の成功のために倣饅(ごうまん)になり過ぎていないかということである。国際社会における一国の国力や国威は、いわばその国の総会的な「人格」ともいうべきもので評価される。

 世界を見ると、国際政治分野で大きな貢献をしている国や国民の文化精神生活面での「生活大国」も少なくなく、わが国として学ぶべき点が多い。日本は経済中心の尺度を超えたもう少し複合的な視野から謙虚さと思慮深さをもって行動しないと国際社会の中で信頼を得られない。韓国も日本のこの姿勢を敏感に感じている。

 第二に、世界の激動の波が北東アジアに押し寄せている今日、この地域の平和と安定を高めるうえで隣の韓国は日本にとってもますます欠かせないパートナーとなっている。日本が国際的役割を果たしていくためには韓国との協調が不可欠であるが、そのためには韓国との間で信頼関係を固めなければならない。韓国の対日不信感かいつまでも消えないのは、何と言っても日韓関係史について日本人一般が余りにも知識が乏しく、また、学ぼうとしないからである

 例えば、植民地時代についても、その統治の実態について日本人がどのくらい具体的に知っているのだろうか。また、ちょうど四百年前に始まった「文禄・慶長の役」について、何十万という軍が朝鮮半島に派遺されたことの影響や、これについて韓国人がどう思っているかを、どのくらいの人が知っているだろうか。謙虚に、「知らない」ということをまず知らなければならない

 韓国人が過去に執着し過ぎると考える前に、韓国人の恨みの背景をもっと具体的に知るべきである。歴史的事実についての彼我の知織の量と質の余りにも大きなギャップが日韓の諸問題の背景にある
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小川郷太郎 (外交官)
(ウィキペディア)

主な経歴

 1968年4月 外務省入省
 1969年 フランス語研修(フランスボルドー政治学院)
 1971年 在フランス日本大使館三等書記官
 1979年 在フィリピン日本大使館一等書記官
 1981年 OECD代表部一等書記官
 1985年 経済局国際経済第一課長
 1986年 欧亜局西欧第一課長
 1988年7月 在ソビエト連邦日本国大使館参事官
 1990年11月 在大韓民国日本国大使館公使
 大臣官房外務参事官兼国際情報局
 1995年8月 国際協力事業団総務部長
 1998年4月 ホノルル日本国総領事
 2000年12月2日 在カンボジア日本国特命全権大使
 2003年10月10日 在デンマーク日本国特命全権大使、リトアニア大使を兼任
 2006年9月 特命全権大使(イラク復興支援等調整担当、2007年にはアフガニスタン支援担当大使を兼任)
 2007年9月 退官
 2019年 春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。