(アジア経済 韓国語 2019/05/24)

・秀吉の居城として使われた後、日帝第4師団司令部として使われる
・第4師団は清日戦争、露日戦争、満州事変など対外侵略の先鋒部隊
・731部隊連想させる訓練機に乗った安倍、軍国主義美化が次第に露骨

日本政府が来月末に開かれるG20首脳会議の記念撮影を『大阪城』で行う計画だと明らかにして、対内的な論議に包まれている

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▲大阪城一帯の全景の姿。(写真=大阪観光局ホームページ)

大阪城は壬辰倭乱[文禄・慶長の役]当時、朝鮮侵略の元凶である豊臣秀吉の居城であり、1930年代の大陸侵略の先鋒部隊の一つであった日帝陸軍第4師団司令部が位置した場所だ。第4師団司令部の建物は現在、大阪城内に位置した博物館として使用されている。これにより、大阪城を記念撮影場所としたことに対して、安倍政府の軍国主義の歩みとあわされたものという疑惑が起きている

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▲大阪城の前に位置した旧日帝陸軍第4師団司令部庁舎の姿。(写真=大阪観光局ホームページ)

朝日新聞など日本現地マスコミおよび外信によれば、日本政府は大阪城でG20首脳会談の記念撮影を行うことを推進しているという。これに対し、日本国内でも論議が起きている。大阪城は過去、壬辰倭乱当時、朝鮮侵略を起こした豊臣秀吉の居城であり、日帝強占期には満州侵略の先鋒部隊の一つと知られた日帝陸軍第4師団司令部庁舎が位置した場所だ。軍国主義の色彩が強いだけに、韓国をはじめ、日帝侵略を直接経験した当事国が不快感を表わす恐れがあるという懸念も高まっている

壬辰倭乱当時、朝鮮侵略の元凶である豊臣秀吉が日本統一後に建てた居城で、17世紀の徳川幕府時代を経ながら数回補修が行われ、1665年に落雷のため消失した[天守]。以後、1928年に日帝陸軍第4師団庁舎が大阪城の敷地に移されながら補修が再び行われ[天守再建・師団新庁舎事業の開始。師団庁舎は元々城内の別の場所に所在]1931年の満州事変が起きた年に天守閣など殿閣が復元された。当時、満州をはじめ、大陸を侵略していた日本の状況にあわせ、日本史上初めて対外侵略を試みた豊臣秀吉の居城を象徴物として復元したわけだ

この日帝陸軍第4師団は、清日戦争が起きた1894年に遼東半島に進撃し、露日戦争と満州事変、1937年の中日戦争、1940年[1941年]の太平洋戦争など、日帝の対外侵略の先鋒に立った部隊だ。1928年[1931年]の大阪城天守閣復元当時、司令部本部を天守閣近くに建てて司令部として使い、戦後は大阪市警視庁、府警察本部などとして使われ、現在は博物館として使われている。このように日本軍国主義の色彩が濃厚に残るところで日本政府がG20記念撮影行事を行うと明らかにし、安倍政府の軍国主義の美化作業の一環であるという疑惑も起きている。

安倍政府が発足して以来、日本は右傾化が深刻化し、日帝強占期の戦争犯罪および軍国主義に対する美化作業が広範囲で推進されている。明治の産業革命世界遺産[明治日本の産業革命遺産]という名目の下、日帝強占期に韓国や中国の強制徴用者などを虐待した羽島炭鉱、別名『軍艦島』をユネスコ世界文化遺産に登録した。安倍総理自身は去る2013年、航空自衛隊訓練基地を訪れ、『731』という数字が書かれた訓練機に乗って記念撮影をして国際的な非難を受けた。731は太平洋戦争当時の日帝関東軍所属の化学戦部隊で、韓国人、中国人捕虜や住民たちを対象に生体実験を行った部隊の名前だ。(機械翻訳 若干修正)

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▲去る2013年、安倍晋三日本総理が宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪れ、731という機番が書かれた訓練機に座って記念写真撮影をした姿。(写真=聯合ニュース)


(朝日新聞 2019/05/23)

 6月末に大阪である主要20カ国・地域(G20)首脳会議で、日本政府が恒例の記念撮影で、背景に大阪城が入る構図を検討している。日韓外交に関わる複数の関係者が明らかにした。大阪城は朝鮮半島を侵略した豊臣秀吉の居城で韓国の反発が予想され、今後調整が行われる可能性もある。

 文在寅(ムンジェイン)大統領は韓国メディアとのインタビューで、G20を機に日韓首脳会談を行うことに意欲を示している。ただ、元徴用工の訴訟をめぐる対応で、両国の溝は埋まっておらず、実現するかは見通せていない。

 関係者によると、韓国政府は2004年12月に鹿児島県指宿市であった日韓首脳会談でも、征韓論を唱えた西郷隆盛とのゆかりや、近くに知覧特攻平和会館があることを問題視したことがある。会談は実現したものの、当時の盧武鉉(ノムヒョン)大統領は小泉純一郎首相と指宿温泉名物の「砂むし風呂」に入ることを辞退。着物姿が韓国内で批判される恐れがあったためという。

 韓国の元外交官は過去の日本での会談場所などについて、「韓国メディアが問題視して騒ぎになったケースがほとんどだ」とし、韓国世論の冷静な対応を求めている。

 韓国各地には、豊臣秀吉が朝鮮半島への侵攻を命じた「文禄慶長の役」の際に、日本軍が築城した「倭城」が残っている。全羅南道順天市にある小西行長軍が立てこもった「順天倭城」の場合、過去に日本の自治体が天守閣復元などで協力する考えを伝えたが、韓国側は世論の反発を恐れて辞退し、独自で石垣だけを復元したという。(ソウル=神谷毅、編集委員・牧野愛博)