(朝日新聞 2019/05/13)

 和牛の受精卵などを中国へ不正に持ち出そうとしたとして、運搬に関わったとされる男性らや受精卵を提供したとされる畜産農家が大阪府警に逮捕される事件があった。3人は家畜伝染病予防法違反罪や同幇助(ほうじょ)罪で起訴され、捜査は終結した。上質な牛肉の代名詞として海外でも人気の和牛。受精卵などを遺伝資源として保護するルールがない中、中国に持ち込まれる寸前で発覚した今回の事件は、「氷山の一角」との指摘もある

 中国南部有数のリゾート地で、「中国のハワイ」とも呼ばれる海南島。「和牛」を提供する店が、高層ビル群の中にある。

 客として入店。店内はすべて個室で、他の客と顔を合わす機会はほぼない。しゃぶしゃぶ用の肉を頼むと、脂肪が網の目のように細かく入っている、見事な「霜降り」が運ばれてきた。肉は非常に軟らかく、舌の上ですぐにとろける。日本で流通する和牛の肉と、外見や食感に変わりは感じられない。店員に調達先を尋ねると、「本社が海南島で育てた和牛の肉です」

 店内や料理の写真撮影は「店の規定」(店員)により禁止されていた。中国ではSNSが普及しており、宣伝効果も期待できるのに、撮影を認めないのは極めて異例だ。「情報管理」に神経質になっていることをうかがわせた。

 価格は100グラムで500元近く。日本円で8千円余りだ。島の飲食店スタッフの日給は、一般的に100元ほど。数口分の肉は、約5日分の労働に相当する。島民の女性(31)は「貴族の食べ物」と評した。

 海南島には、この店を経営する企業が運営する牧場もある捜査関係者は、家畜伝染病予防法違反罪などで起訴された飲食店経営者の男性(51)が、これらの関係者から受精卵の持ち出しを依頼された疑いがあるとみている。男性の携帯電話に記録が残っていたという。

 記者が牧場へ足を運ぶと「何しに来たんだ」とピリピリした様子。塀に囲まれており、中の様子を見ることはできない。立ち去ろうとすると、関係者とみられる男性が追いかけてきた。本当に立ち去るのか、確認するためとみられる。

 この牧場を運営する企業は、過去に地元メディアに取り上げられていた。当時の報道によると、和牛の生産態勢の構築に17年間取り組み、和牛に音楽を聴かせたり、ビールを飲ませたりしているという

 卵子については、牧場内の雌牛から取り出していると説明。人工授精させた後、受精卵を乳牛や水牛などの体内に戻す形で、繁殖させているとしているが、精液の入手先については、報道には記載がない日本についての記述は「日本の画期的な科学技術を導入した」とあるだけだった

 この企業に取材を申し込んだが、「取材は受けられない」との回答だった。(海南島=益満雄一郎)

 ■遺伝資源に法の穴「氷山の一角」

 国内の畜産業界は、和牛を遺伝子レベルで厳選して肉質を向上させてきた。受精卵や精液はいわば「国の宝」(業界関係者)だ。

 かつて生きた和牛や精液が米国に輸出され、海外で繁殖した「WAGYU(ワギュウ)」が広まった。豪州では、日本式の飼育方法を取り入れ、品質を近づけようとする取り組みもあったほど。その後、日本国内で和牛が持つ価値の再認識が進んだ。農林水産省によると、業界団体による輸出自粛の取り組みが拡大。それに加え口蹄疫(こうていえき)の発生もあり、1999年以降は輸出実績はない。和牛の生体や受精卵、精液を海外へ持ち出そうとしても、輸出相手国との取り決めがなければ認められない。

 農水省は2006~07年に和牛を含む家畜の遺伝資源の法的保護を検討したが、家畜は同じ親から生まれても肉質にばらつきがあり資源と位置付けるのが難しいとして見送られた

 今回の事件では、輸出に必要な検疫を受けておらず、証明書がないことに中国の検疫当局が気づいて発覚した。農水省はそこに着目し、疾病蔓延(まんえん)を防ぐ目的の家畜伝染病予防法違反容疑で告発遺伝資源の海外への持ち出しを規制する法律がない中での、「苦肉の策」だった

 「2012年ごろから(中国に)複数回持ち出した」。同法違反罪などで起訴された飲食店経営の男性は、こう供述。今回と同様に依頼されたとしている。中国では富裕層を中心に和牛の人気は高く、改良が進んだ新たな遺伝資源を入手しようとしたことが、事件の背景とみられている

 北海道の畜産農家の男性は過去に数回、海外への売却を持ち掛けられた。男性は依頼を断ったが、今回の事件について、「やろうと思えばできる。氷山の一角だ」と憤った。

 農水省は3月、各都道府県に受精卵と精液の適正な管理や譲渡先の確認などの徹底を求めた。吉川貴盛農水相は法整備について、「しっかり検討したい」と言及している。(米田優人、藤波優)

 ■和牛受精卵不正持ち出し事件

 和牛の受精卵と精液が入った保存用ストロー365本が昨年7月、中国・上海に持ち込まれそうになったことが発覚。輸出に必要な検疫を受けていなかったとして、農水省が大阪府警に告発した。運搬を指示した飲食店経営の男性(51)と運搬した男性(64)が家畜伝染病予防法違反罪などで、受精卵などを提供した男性畜産農家(70)が同法違反幇助(ほうじょ)罪などで起訴された。府警は、中国・海南島の関係者が持ち出しを依頼したとみている

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 ◆キーワード

 <和牛> 農水省によると、明治時代以降に在来種を改良して生み出された「黒毛和種」と「褐(あか)毛和種」「日本短角種」「無角和種」の4品種かその交雑種で、国内で生まれ、飼育された牛を指す。2017年度の生産量は約14万5千トン。国内で生まれ育ったホルスタインなどと交配させたものは「国産牛」と呼ばれ、区別される。