(朝日新聞 2019/04/15)

 北朝鮮が義務教育で使っている教科書を朝日新聞が入手した。約300人が死亡した韓国の旅客船セウォル号の沈没事故や、日本の統治時代に制圧された「3・1独立運動」を批判しつつ、自国の体制称賛に使っている。韓国の専門家は、子どもにうそを教えることで、家庭で体制を批判している親をあぶり出す狙いもあると指摘している。

 教科書は2015年に発行された「社会主義道徳」や「情報技術」「英語」など計20冊。いずれも北朝鮮が義務教育(17年4月から12年制、それ以前は11年制)とする期間のものだ。

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▲朝日新聞が入手した北朝鮮教科書=李聖鎮撮影

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 このうち、初級中学3年用の「社会主義道徳」では14年に起きたセウォル号事故を取り上げた。「傀儡(かいらい)政府(韓国政府)は、救助や真相究明を求める人々の声に耳を貸さなかった」と記し、「わが祖国では、素晴らしい病院で無償医療を受けられる」と説明する。さらに「祖国の懐がなければ、我々も海で死んだ南朝鮮の子どものようになるかもしれない」と強調した。

 高級中学3年用の「歴史」では「3・1独立運動」を紹介「蜂起の失敗は、ブルジョア民族主義だったから。卓越した首領と革命的な党の領導を受けなければ、どんな闘争も勝利できないという深刻な教訓を残した」と記している。

 韓国の文在寅(ムンジェイン)政権は今年、南北関係改善の一環として、「3・1独立運動100周年記念式典」の南北共催を目指したが、北朝鮮は参加しなかった。北朝鮮では、金日成(キムイルソン)主席が建国の主人公で、韓国とは異なる歴史観を教え、昨年9月に建国70周年を祝った。脱北者の一人は「北朝鮮がブルジョアの失敗と位置づける運動の式典に参加するわけがない」と語った。

 このほか、北朝鮮の奇襲で始まった朝鮮戦争を「綿密な計画と準備のもと、米帝が傀儡を駆り立てて挑発した」と記述。日本政府が日本人拉致問題を追及した背景について「過去への謝罪と賠償を逃れ、昔の大東亜共栄圏の夢をかなえるためだった」と説明している。

■何が狙いなのか?

 北朝鮮の教育の目的はどこにあるのか。韓国中央情報部(KCIA)で長年、北朝鮮を分析した康仁徳(カンインドク)元統一相は「金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長を無条件で崇拝する市民をつくることにある」と指摘する。

 康氏によると、教科書にある「無償医療」といった記述について、両親らは虚偽だと気付いているが、子どもには伝えられない。家庭での会話を学校で話されたら、自らが粛清される恐れがあるためという。康氏は、「教育には、子どもたちを告発者に育てる狙いもある」とみる。

 康氏はまた、初級中学3年向けの「偉大な領導者金正日(キムジョンイル)大元帥様革命活動」で、1990年半ばに数百万人が餓死したともされる「苦難の行軍」について、「米帝などの政治軍事的挑発と経済封鎖に自然災害まで続いた」と説明していることに注目。「悪いことが起きれば、最高指導者の責任ではないと強調する。繰り返し教えることで、自分たちの生活がひどいとは思わなくなる。教育ではなくて洗脳だ」と批判する。

 康氏は「教科書のスタイルは北朝鮮が建国した70年前とほぼ同じ」と指摘し、「北朝鮮が今後、少なくとも世襲制をやめない限り、現実と教科書の記述との矛盾は広がり、いずれは破綻(はたん)するだろう」と話した。(ソウル=牧野愛博)