(スカイデイリー 韓国語 2019/03/25)

・レンギョウ、金剛提灯の在来植物の学名に染みた日帝侵略の痕跡
・自生植物527種中327種の学名に日本人植物学者『ナカイ』の名前付いている

毎年春になると道端や道路の脇に黄色い花を咲かせる植物がある。この植物はあまりにも簡単に見られ、ありふれているので誰一つ関心を持たない。特に黄色い花を撮る人もなく、皆咲いたんだなと行き過ぎたりする。この植物は他でもない“春の伝令士”と呼ばれるケナリ[以下レンギョウ]だ。

驚くべきことにレンギョウの学名には日本の名前がついている。国立樹木園国家生物種知識情報システムによれば、レンギョウの学名は『フォーサイシアコリアナ ナカイ(Forsythia koreana (Rehder) Nakai)』だ。モクセイ科であるレンギョウは韓国特産植物で、学名のフォーサイシアはレンギョウ属を意味し、コリアナは韓国で発見された種という意味だ。ナカイは学界に最初に報告した人の名前だ。

韓国の在来植物であるレンギョウの学名にナカイという名前が付いた理由は、日帝強占期時代に我が国に近代植物学が導入されたためだ。我が国の植物に対する形態分類を最初に始めた人物は日本の植物学者の中井猛之進だ。彼は1908年から始め、解放後にも韓半島[朝鮮半島]全域の植物を探し歩いた。韓半島で発見された在来植物を世界植物学会に報告し、命名者として自分の名前を付けた。

我が国の在来植物に日本人の名前が付いた種はレンギョウに終わらない。韓国を代表する高山植物であり、全世界に2種だけが生息している金剛提灯も日本人の名前が付いている。金剛提灯[ハナブサソウ]の学名は『ハナブサヤアジアティカ ナカイ(Hanabusaya asiatica Nakai)』だ。

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▲金剛提灯花(左側)と種族名に竹島という名称がついた島キリン草は日帝強占期時代に日本人学者によって発見され、日本人の名前が学名に定着した。

金剛提灯花の学名であるハナブサヤは初代日本公使として朝鮮に赴任した花房義質の名前だ。中井が金剛提灯花にハナブサヤという名前を付けたのは、全世界でどこにもない新種の発見だったためだ。提灯科に属する金剛提灯花はハナブサヤという日本人の名前が付いた一つの新しい属になった。

さらに中井は鬱陵島で発見された『島キリン草(Sedum takesimense Nakai)』と『島提灯花(Campanula takesimana Nakai)』などに竹島という種小名(epithet)を付けた。植民地時代だったため、中井は堂々と自分たちが呼ぶ名称である竹島を付けたのだ。だが、これらの植物は独島でなく鬱陵島で育つ植物だ。

我が国に自生する527種の植物のうち、ナカイという名前で学界に登録された学名は何と327種に達する。日帝強占期、韓半島は中井の植物宝物倉庫であったわけだ。日本に名前を奪われた我が国の特産品は植物にとどまらない。韓国特産種と知られているミソン木[以下ウチワノキ 白レンギョウ]は学名が『アベリオフィラムディスティクム ナカイ(Abeliophyllum distichum Nakai)』だ。ウチワノキは1属1種という独特の木だ。

ウチワノキは1917年に発見されて1919年学界に報告された。今でもウチワノキの基準標本は日本の東京大学教標本館に所蔵されている。『エルプ木[ニレ](Ulmus davidiana var. japonica Nakai)』、『ケヌサム[イヌムレスズメ](Echinosophora koreensis Naka)』なども中井の名前が付いている。問題はこのように決まった学名は簡単に変えることができないということだ。

国立樹木園のチャン・ケスン研究員は「学名を変えるには概観的な他の根拠を明確に見つける必要があり、科が異なるということを認められて他の科に分類されなければならないが、これはほとんど不可能だ」とし「学界に認められて他の科に編入されたり分類される場合、特産族という長所が消えることになる」と説明した。

主権侵奪で在来植物の名前まで奪われた悲しみは一線の現場にそのまま現れている。木と花を教えて森を勉強する現場だ。(社)森研究所で森解説士のために植物講義をしているユン・ヨンスン講師は「植物講義をしていれば日帝強占期に主権を奪われた国の国民が、自分の国のものを他国の人に奪われた悲しみを感じるようになる」とし「国際的な規約なので簡単に変えるわけには行かないが、英文名だけでも変えて私たちのことをきちんと知らせればと思う」と話した。

◇海外に搬出された我が国の伝統文化財、最も多く保有しているの国は日本

軟弱な国が国家の主権を奪われ、自国の在来植物が日本人学者によって命名されて学界に報告されたのと同じように、弱小国の悲しみは他の分野でも表れる。まさに文化財保存の現場だ。現在、海外に流出した我が国の文化財は合計17万2,000点余り(2018年4月基準)に達する。国外に流出した代表的な文化財としてはアン・ギョン(安堅)の『夢遊桃園図』が挙げられる。

夢遊桃源図は、安平大君が自分が桃源で遊んだ夢の中の光景をアン・ギョンに描くように指示して誕生した。朝鮮初期の山水画を代表するこの作品は国宝級文化財の価値を持っている。だが、現在、日本の天理大学中央図書館に展示されている。東京博物館に保管されている伽倻金冠、京都の泉屋博古館[住友]に保管されている水月観音図なども我が国の国宝級文化財だ。

現在、国外に流出した我が国の文化財を最も多く保有する国は日本だ。日本には現在7万4,000点余りの我が国の文化財が存在するものと把握されている。これはあくまでも現地調査および資料調査などで確認した数値であるだけに、詳細な調査をする場合、さらに増える可能性が高いというのが専門家たちの大方の意見だ。

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▲最近、国内に戻ってきたカン・ノ
(姜㳣)肖像(左側)と德温公主の印章

日本に私たちの文化財が多い理由としては壬辰倭乱[文禄・慶長の役]、日帝強占期などの期間に略奪が頻繁に行われた点が挙げられる。特に1883年に日本陸軍参謀本部の密偵によって広開土太王碑の碑文拓本が日本に渡りながら、日本人の韓国文化財に対する関心が急増した。

清日戦争期間である1894年9月には東京、大阪などの地で、我が国と中国などの地から奪取した戦利品で展示会が開かれたりもした。1894年には帝室博物館館長である九鬼隆一が『戦時清国宝物蒐集方法』を作成することもした。これらは国権を奪う前から国宝級文化財の略奪について収集方法を記録したのだ。

国権を奪った日本は、我が国の文化財略奪にさらに熱を上げた。文化財庁のキム・ビョンヨン氏は「当時、朝鮮総督府に嘱託として勤めた日本人『小泉顕夫』は『古墳発掘漫談』という本を通じて『慶州・昌寧・大邱・星州など古墳が多い地域を対象に無差別的な盗掘を試みた』と告白した」と説明した。

問題はこのような文化財が国内に戻るのに相当な時間が必要とされることはもちろん、返還が難しいという点だ。これまで政府は、1965年の韓日文化財協定(1,432点)、1991年由来協定(333点)、2011年の朝鮮王朝図書協定(1205本)などを通じて3,000点余りを返還された。だが、いまだに日本には我が国の文化財が多い。特に日本は韓日文化財協定を通じて文化財返還問題が終結したという立場を展開しており、残りの文化財を返してもらうのが容易でない状態だ。

さらに、国際条約は“不遡及の原則”を適用するため、1973年[1972年?]の条約発効以前の事件は適用されない。したがって、文化財の還収は持続的な外交努力が必要なのが現実だ。国外所在文化財財団関係者は「数多くの文化財が海外に流出したが、返してもらうのは容易でないのが現実だ」とし「国家と国家の間の外交的な交渉や個人寄贈、競売などを通じて遺物を取り戻してきている」と明らかにした。引き続き「日本の場合、返還要求が激しいことから現在は韓国の文化財に対する展示や協力も拒否している状態だ」と説明した。(機械翻訳 若干修正)