(朝日新聞 2019/02/20)

 韓国南東部、慶尚南道(キョンサンナムド)教育庁は19日までに庁舎前にあったヒノキ科の常緑針葉樹、カイヅカイブキを別の場所に移した。同庁は、3月1日に朝鮮半島で独立運動が起きて100周年を迎えることを契機としたと発表した。同庁関係者によれば、「カイヅカイブキは日帝時代の残滓(ざんし)」と指摘する韓国メディアの報道も影響したという。

 同庁は、カイヅカイブキを移植した跡地に韓国産の松を植えた。報道資料で「3・1運動と臨時政府樹立100周年に合わせ、我が国固有種の松を植えて、歴史の精神を刻む」と説明した

 一方、同庁関係者は19日、移植の理由について「市民の訴えがあったわけではなく、韓国メディアの報道が続いたためだ」と説明。「我が国固有の松もあるのに、あえて日本の学名がついた樹木が、中央玄関前に必要なのかという指摘だった」とした。

 カイヅカイブキを巡っては、韓国の市民団体が「初代韓国統監だった伊藤博文が1909年に大邱に記念植樹した」と主張。韓国メディアは相次ぎ、日本統治時代の残滓と説明した

韓国与党、共に民主党議員と市民団体が2017年8月、国会に植えられたカイヅカイブキを移植するよう国会事務局に請願書を提出したこともある。

 慶尚南道教育庁関係者は、カイヅカイブキと伊藤博文との関係について「主張は聞いたが、事実かどうか確認できなかった。日本の残滓というより、論争があるために松に替えたということだ」と語った。

 また、韓国・忠清北道(チュンチョンブクト)教育庁は最近、道内の公私立の小中高校計469校の校歌の調査を始めた。独立運動100周年に合わせ、「親日文化の清算」を目的に校歌の作詞作曲家が「親日派」かどうかを調べ、場合によっては校歌の差し替えも検討するという。(ソウル=牧野愛博)


ダウムとネイバーで検索しましたが「伊藤博文が植樹」という記事は↓の日付(複数報道)より前のものは見つかりませんでした。

 国会に根付いた“伊藤博文”の木『カイヅカ』
(CBSノーカットニュース 韓国語 2017/08/14

光復72周年を迎え、大韓民国憲政の象徴である国会に植えられた日帝残滓カイヅカビャクシン(貝塚柏槙)[以下、カイヅカイブキ(貝塚伊吹)]を除去しようという動きが起きている。 

日本帝国主義の残滓と指定されたカイヅカイブキは、朝鮮初代統監だった伊藤博文が朝鮮を訪れながら記念植樹1号として植えたほど愛した木であり、朝鮮侵奪の象徴としても活用された木だが、今も国会に定着している。

◇日帝の朝鮮侵奪の象徴『カイヅカイブキ』

ソウル市汝矣島の国会本館をめぐるカイヅカイブキは、日本が原産地である木で、葉がねじ形でよじれて育つため螺糸柏とも呼ばれる。 

このカイヅカイブキは、100年余り前である1909年1月、伊藤博文が大韓帝国純宗皇帝とともに大邱達城公園を訪れ、記念植樹として初めて植えられ、韓半島[朝鮮半島]全域に広がったという

当時、巡行は日帝の朝鮮植民地統治を対内外的に示す意図が込められた行事で、この巡行で伊藤は純宗と共に日帝が造成した大邱達城公園に記念植樹をした。

以後、日帝統治の象徴になったカイヅカイブキは、全国の官公庁はもちろん、学校や関係施設にも植えられて韓半島に広がり、その結果、光復72周年を迎える今日までも私たちの周辺でよく見られる木になった。

◇「顕忠院内のカイヅカイブキ抜こう」と言った国会…国会のカイヅカイブキは放置

カイヅカイブキが日帝残滓という事実が知らされたのは去る2013年6月5日、市民団体『文化財チェジャリチャッキ』[文化財を元に取り戻す]が「国立顕忠院内のカイヅカイブキの木を抜こう」という請願を出してからだ。(略)(機械翻訳 若干修正)


2013年以前にもカイヅカイブキを植え替える記事はいくつか見つかりましたが、単に『倭色』(日本色)だからという反日的なものと、外来種なので固有種にしようという趣旨のもので、「日帝が~」というのは〈景福宮内の私達の木を除去し宮殿にはあまり植えないサクラ、イチョウ、カイヅカイブキ、アカシアなどを意図的に植えた〉(京郷新聞 2004年12月02日)くらいしか見当たりませんでした(見落としがあるとは思いますが)。

ちなみに同じ慶尚南道の道庁には↓(記念植樹ではないですが朝鮮時代からあったんですね)

(大邱日報 韓国語 2014/03/12)

(略)だが、慶尚南道庁の庭園には樹齢が270年余りもなったカイヅカビャクシン(貝塚柏槙)[以下、カイヅカイブキ(貝塚伊吹)]が席を占めており、忠清南道燕岐郡全東面松城里[現 世宗市全東面 松城里]の樹木園であるベアーツリーパークには1万本のカイヅカイブキが樹木園を屏風のように囲んでいる。(略)(機械翻訳 若干修正)