(朝鮮新報 朝鮮語 2018/10/18)

最近、日本の新聞に安倍政権が朝日会談を模索しているという記事がしばしば出る。

◆朝鮮半島で起きた歴史的な大転換と関連して、これ以上、対朝鮮敵対視政策にしがみつくことができなくなった事態を反映したものと見られる。

◆朝日関係の歴史を顧みる時、想起されるのは徳川時代の日本外交家の雨森芳洲(1668~1755)だ。鎖国政策をとった徳川時代、長崎とともに、朝鮮に門戸を開いて幕府の委任下に経済交流と文物を受け入れた唯一の窓口は対馬であった。

◆《風神秀明 才弁該博》の当代の大学者と名が知られた彼は、この重要な対馬藩で22年間、朝鮮封建王朝との外交を担当した。彼は当時、釜山にあった倭館に行って朝鮮の文化と言葉を学んだ。

◆彼が書いた《交隣提醒》は単純な外交術ではなく、外交思想、対朝鮮外交の原則を諭したものだった。彼は朝鮮を侵略して罪のない人民を虐殺した豊臣秀吉を《毒蛇や狼の群れのような本性を持っている凶悪な人間》と糾弾して、日本に最も近い朝鮮と善隣(親善外交)することは道理に合うことであり、利益をもたらす国の宝だ》と話した。朝鮮通信使に2回も随行した彼は、朝鮮の文物を真剣に学び、誠信で朝鮮と交際することを自ら実践した。

◆徳川時代に12回往来した朝鮮通信使は、鎖国した日本に高い文化と技術を伝えた。徳川幕府の最高閣僚であり、明治維新に大きく寄与した勝海舟は《朝鮮は日本の先生》と記した。朝鮮を侵略した豊臣は2代で滅びた。しかし、朝鮮と善隣した徳川は300年間の平和と繁栄を享受した。安倍政権が朝日関係改善を望むなら、このような歴史から教訓を求めるべきだろう。(鐘)

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江戸時代の朝鮮は、文禄・慶長の役で日本に連れて行かれた自国民が帰ってくるようにある程度努力したようですが、朝鮮総連は帰国運動(帰還事業)をもうしないのかな。

 (略)家康は琉球を介して明との国交回復をめざした。明は、ふたたび日本が攻めてくることを警戒したため効果はなかったが、民間貿易で関係を深めていった。

 さらに、朝鮮との関係を修復すべく、対馬の宗氏を通して非公式に講和交渉を進めた。

 その過程で、対馬藩主の宗義智(よしとし)による国書の改竄(かいざん)もあったが、家康の熱心な要請により、朝鮮王国の正式な使節が慶長十二年(一六〇七)から来日するようになった。

 朝鮮使節は江戸時代を通じて計一二回来日した。初期の三回は、文禄・慶長の役で日本に連行された朝鮮人捕虜の返還が目的で、計一七〇〇人以上の捕虜が返還された。四回目からは朝鮮通信使と呼ばれるようになった。通信使とは「信(よしみ)を通じる使節」という意味の親善使節だ。(略)
【徳川宗英「徳川某重大事件 殿様たちの修羅場」】