(ハンギョレ新聞 韓国語 2018/10/12)

「記事に書かれた刺繍仏画という言葉は間違っています。」

修徳寺聖宝博物館長を務めたチョンアム僧侶の指摘は骨身にしみた。15世紀の世祖[朝鮮第7代国王]時代の王室発願仏画である『錦織如来三尊百体仏図』が世に出てきたという記事(<ハンギョレ>9月3日付9面)を読んだ後、連絡をしてきたのであった。去る7~8月に開かれた日本の奈良国立博物館の展示で初めて公開されたこの作品が最も古い刺繍仏画という内容を見た僧侶は、織物工芸士の専門家らしく記事の内容の相当数が事実と違うという点を指摘した。
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▲国内最高の製織仏画と判明した『錦織如来三尊百体仏図』。長さ247.5cm、幅76.3cmの大作だ。

この仏画は生地の上に色糸で縫い取りをした刺繍ではありません。それぞれの色の縦糸と横糸を複雑に、精巧に編んで、定められた図像に沿って織り、仏陀の世を描き出すのです。錦織という製織技法で、織った仏画ですね。それゆえ、より一層驚くべきで尊いです。刺繍で仏画を作ることも骨を折るが、はるかに難しくて優れた製織技法で優れた仏画を作っているので、国宝級で名品中の名品です。」

賛嘆は的確だった。1463年、世祖が王室のために発願した仏画は、詳しく調べても筆で精巧に描いた絵と劣らなく見える。細長い図の上部分に座ったお三方の釈迦三尊像の上に天の霊気と蓮の花が漂う。その下に蓮の花の上に座った数多くの『百体仏』(実際には95体)が縫い取られ、その間に仏画を発願した世祖の妹貞懿王女と多くの王族の名前が刻まれた。このような複雑で幻想的な図像を縦糸・横糸の色の組み合せで解いたのは、単に優れた熟練度を越え、深い信仰心が一つになった境地であろう。

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過去の製織工芸の研究と再現に没頭してきたシム・ヨンオク韓国伝統文化大教授にも聞いた。彼女は『錦織如来三尊百体仏図』に使われた精巧な製織技法を別別錦技法と呼ぶと述べた。画幅になる底面を編んで成す縦糸・横糸の他に模様と図を編んでいく別途の縦糸がもう一つあり、二種類の縦糸と横糸の色感が調和して総体的な仏画図を構成することになるという話だ。もちろん、この作業の前に緻密で精巧な下絵(画本)を描くところだけでも多くの時間と尽力がかかるという。仏画の下の明文には、このような百体仏の仏画十幅を集めて千仏図を奉安するという記録も見える。なので今回確認された仏画は十幅の図のうちの一幅に過ぎないのだ。驚くべき製織術と当代王室の高級文化の力量が総体的に溶け合っている傑作が、まさに『錦織如来三尊百体仏図』であるわけだ。

記事で間違った点がもう一つある。専門家たちに後続取材をして見ると、仏画は奈良国立博物館で初めて公開されたのではなく、2015年に京都国立博物館の『ブルボプドン』[訳不明。たぶん「仏法東漸―仏教の典籍と美術─」]という企画展や以前にも色々な展示で何回も公開されていことが分かった。国内の織物士、刺繍・製織仏画を研究する人がほとんどいないため注目を集めなかったが、奈良国立博物館の展示で仏画が公開されると、初めての刺繍仏画の発見だと学界が興奮したのだ。

それだけでなく、2015年に京都博物館の展示で仏画が公開された後には、シム・ヨンオク教授チームと、国外文化財の還収を専門担当する国外所在文化財財団の調査チームが、仏画を所蔵する京都の寺刹『誓願寺』にそれぞれ訪ねて行って所蔵品を調査し、これらが『錦織如来三尊百体仏図』の製織方法などを含め、多くの内容を入れて報告書を作った事実も知ることになった。

だが、この資料は国内の学界に一切公開されなかった。報告書作業を担当した国外財団関係者は「お寺の関係者たちが対馬仏像盗難事件などに非常に敏感で、公開を先送りするよう要求したため」としながら「いつか韓日関係が解決すれば公開されるだろう」と述べた。

莫大な流出文化財が隠されている日本で、依然として所蔵者を意識して還収や現地調査を推進せざるを得ない国内文化財学界の現実が厳しい。(機械翻訳 若干修正)


いろんなところに影響が広がっているようですね。