(慶南日報 韓国語 2018/08/28)

「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時、倭軍が日本に搬出した晋州蓮池寺鍾の保存環境が非常に劣悪で、一日も早く保存処理をしなければなりません。」

国内の梵鐘研究権威者であるチェ・ウンチョン東国大美術史学科教授は28日、晋州市の能力開発院セミナー室で開かれた蓮池寺鍾の調査結果学術講演会で、このように明らかにした。

彼は、日本の常宮神社が所蔵している蓮池寺鍾の保存状態を調査するため、去る4月、慶尚大学校で選抜した歴史教育科の学生2人と共に蓮池寺鍾の保存状態を調査し、その結果に基づいてこの日、学術講演会を催した。

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▲去る4月、チェ・ウンチョン東国大美術史学科教授(中)と慶尚大歴史教育学科の学生たちが日本常宮神社にある蓮池寺鍾の状態を確認している。/写真提供=慶南国外文化財保存研究会

チェ教授は「蓮池寺鍾の最も深刻な部分は、本来、鐘を吊り下げていた龍の首の部分で、腐食と摩耗によって一日も早く保存処理が必要だ」とし「蓮池寺鍾の力の荷重を受けないように底の上にそのまま載せていることは臨時的な方法に過ぎない」と話した。

彼は「深刻な問題は鐘身のいたるところで発見される青銅サビ」とし「このサビの一部は内側まで進行し、一部には穴まで生じているなど非常に良くない青サビ病と判断される」と明らかにした。引き続き「青サビ病は鐘身の上部の銘文の周囲、蓮廓内の蓮部分、飛天像の前後の一部、上帯と下帯の数か所で発見されており、緊急な処理をしなければならない」と付け加えた。

チェ教授は、蓮池寺鍾の保存処理のために△鐘の現状態に対する科学的調査△緊急な保存処理△他鐘と展示のための複製品製作が順次行われなければならない強調した。

この日の行事を主催した社団法人慶南国外文化財保存研究会(会長ジョンヘ僧侶)は、今回の調査結果を基に関係機関と共に蓮池寺鍾の保存処理方法を模索する方針だ。また、教育用漫画を製作し、小・中・高など学校に普及する計画だ。

蓮池寺鍾は新羅興徳王8年(833年)に製作された統一新羅3大梵鐘の一つに挙げられる。晋州蓮池寺に保管されてきて、壬辰倭乱の時に倭軍によって搬出された鐘には『菁州(現 晋州)蓮池寺鐘』という銘文が残っている。日本はこの鐘を国宝78号に指定した

晋州地域の郷土史学者、市民団体などは、これまで粘り強く蓮池寺鍾還収運動を行ってきた。日本はこの鐘を一般に公開してきたが、去る2006年頃、晋州で蓮池寺鍾返還運動が起きると収蔵庫に保管して開放しなかった。その後、2016年11月、慶南国外文化財保存研究会は、蓮池寺鍾が保管された日本,福井県敦賀市の常宮神社を訪問し、各種行事を行ったことがある。(機械翻訳 若干修正)

2016年11月14日
文禄・慶長の役で略奪された『蓮池寺鐘』を420年ぶりに韓国人の手で鳴らしたニダ!

みんなの文化財 第27回 国宝 朝鮮鐘
(敦賀市役所 最終更新日:2015年3月1日)

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第27回 国宝 朝鮮鐘 (太和七年三月日菁州蓮池寺鐘在銘)

■太和7年は唐の年号で、西暦では833年、朝鮮半島は統一新羅の時代です。新羅時代の梵鐘の遺品は少なく、日本に5例、韓国でも6例が現存しているにすぎません。この鐘は日本に伝わっているものとしては一番古く、唯一つ国宝に指定されています。

朝鮮鐘(ちょうせんしょう)は和鐘(わしょう=日本の梵鐘)に較べ、二つの大きな特長があります。一つは鐘の文様です。和鐘のように袈裟襷(けさだすき)の文様ではなく、上下の文様帯の間に飛天を画いています。もう一つは、竜頭(りゅうず=鐘の吊り手)の横に甬(よう)または旗指しと呼ばれる筒状の突起がついていることです。

この鐘は総高112cmと渡来鐘の中では大型で、銘文から9世紀後半に作られたことが解ります。菁州とは半島南部にある現在の慶尚南道晋州(チンジュ)にあたりますが蓮池寺というお寺の所在については解っていません

社伝によると、この鐘は、16世紀末頃、敦賀領主であった大谷吉継が、豊臣秀吉の命を受けて常宮神社に寄進したものとされていますが、それ以前に倭寇(わこう)によってもたらされたものだという説もあります。