(朝日新聞 2018/08/15)

 国宝や国の重要文化財(重文)、都道府県の文化財に指定された美術工芸品について、行政機関に盗難被害が届けられた件数が115件(国78件、18都道県計37件)にのぼることが朝日新聞の調べでわかった。そのうち半数余は行方が分からないままだ。未指定の仏像などを狙う窃盗も相次いでいる。信仰の対象や地域の宝とされてきた文化財が次々と失われている。

文化財の盗難被害の届け出件数
盗難被害 うち行方不明
 国宝・重要文化財 78
(国宝1)
28
(国宝0)
 都道府県指定 37 30
115 58
国宝・重要文化財はほかに一部盗難34件が判明

 朝日新聞は有形文化財のうち美術工芸品(国、都道府県の指定はともに1万件余)に着目し、国と都道府県に取材した。国宝・重文では、仏像の花飾りが持ち去られるなど価値が大きく損なわれていない「一部盗難」が34件あることも判明した。これらの数字が明らかになるのは初めて。

 文化庁によると、盗難に遭った国宝・重文78件のうち国宝は1件だけで、戻ってきた。「所有者の同意を得ていない」として文化財名を公表していない。1950年の文化財保護法の制定前に8件、制定後に70件。平成に入っても相次ぎ、ほぼ年1回ペースの28件に及ぶ。大阪府能勢町の今養寺の仏像は2010年に盗まれ、17年に発見されたが、漆と金箔(きんぱく)がはがれかけ、木像内部にカビが生えており、修復を検討。盗難防止のため別の場所に保管されている。

 都道府県指定は平成以降が27件と約7割を占める。16年12月には、岐阜県美濃市の地蔵堂で、江戸時代の仏師円空が彫った仏像2体の盗難が判明した。16年に1度しか公開されない秘仏で、盗まれた時期すらわかっていない。

 盗難が届けられた計115件のうち58件(重文28件、都道県指定30件)は今も行方がわからない。6件は所在がわかったものの、届け出た側に戻っていない転売されて所有権を争っている重文の刀剣などだ。長崎県対馬市の観音寺から12年に盗まれた県指定の仏像は韓国で見つかったが、韓国の寺が「倭寇(わこう)に略奪された」と主張。現在は韓国政府が保管している

 未指定の文化財も狙われている。和歌山県警によると、08~18年に101件の盗難事件が発生し、仏像など計296点が盗まれた。76件は無人だった。滋賀県教育委員会によると、無住の寺社の仏像などを中心に盗難事件が03~17年に66件あった

 文化財の防犯に詳しい東北大の中谷友樹教授は「高齢化や過疎化で文化財を支える地域や寺社の力が弱まっており、さらに盗難が増える可能性がある。管理を住民任せにせず、国や自治体が積極的にかかわる体制づくりが急務だ」と話す。(富田洸平)


(朝日新聞 2018/08/15)

 眼光鋭く力強い体躯(たいく)、鬼をあしらった台座――。6月15日早朝、自宅でスマートフォンを見ていた和歌山県立博物館の大河内智之・主査学芸員は、眠気が吹き飛んだ。

 画面には大手ネットオークションサイトに出品された仏像の写真が何枚も映し出されていた。「仏教美術 玉眼(ぎょくがん)木彫毘沙門天(びしゃもんてん)」。文化財としては未指定だが、1千円から出品された価格は、5日間で34万1千円まで上がっていた。

 「あれや!」。同県岩出市の寺から約2カ月前に盗まれた仏像だと直感した。職場に急ぎ、手持ちの写真と照合。間違いないと確信し、県警に通報した。

 盗品であることが県警の捜査で判明した仏像は6月末、無事に寺に戻った。

 サイト運営会社によると、古美術の出品は増加傾向にある。広報担当は「盗品かどうかは警察などからの情報提供がないと分からない。当社独自に判断するのは難しい」と説明する。

 大河内さんは「日本は『仏像女子』なんて言葉が生まれるぐらいの仏像ブームで、ネット取引で仏像売買のハードルが下がっている。落札されたら行方不明になっていただろう」と話す。


(朝日新聞 2018/08/15)

 和歌山県で盗まれた仏像をネットオークションに出品したのは香川県の古美術業者だった。経営者の男性は取材に、困惑した様子で「泥棒の片棒は担いでいない。東京の大きな古美術市場で買い、最終的に100万円で売れると思っていた」と語った。

 盗品と知って買えば犯罪になる可能性があるが、知らなくても古物商の場合は、盗難から1年以内なら被害者に無償で戻さなければならない。警察の求めで仏像を提出した。

 仏像は盗難から約2カ月のうちに和歌山~東京~香川と渡り、その間も別の業者らによって転売が重ねられていた。

 この仏像を含む8体を同じ寺から盗んだとして7月、地元に住む80代の男が窃盗罪などで起訴された。この寺は住職が複数の寺を掛け持ちし、月に数回、法要などで訪れる。和歌山県警は無住の寺社で仏像などを盗んで売却を繰り返していたとみている。

 寺の総代の増田俶爽(よしあき)さん(84)は「毘沙門天は私たちの信仰の中心。まさか盗まれるとは」。本堂に安置していた仏像15体が盗まれ、今も7体は行方不明だ。

 高齢化や過疎化で守り手が減る中、盗難被害は全国に及んでいる。

 長良川沿いにある岐阜県美濃市の集落から、山道を歩いて15分。2016年暮れの朝、住民数人が峠の地蔵堂に向かい、その年最後の掃除を始めた。

 たまたま一人が、厨子(ずし)の錠が外れているのに気づいた。観音開きの扉を開けると、2体の「円空作天部像(えんくうさくてんぶぞう)」(県指定文化財)がなくなっていた。江戸前期の僧侶・円空は郷土の偉人とされる。全国を行脚し、一刀彫で柔和な表情の仏像を数多く残した。

 お堂や仏像の所有者は1キロ離れた鹿苑(ろくおん)寺だが、実質的には峠のふもとの約50世帯が管理する。

 住民らは円空仏を秘仏とし、春夏の祭りでも厨子を開けず、ご開帳は16年に1度だけ。10年3月のご開帳では盛大な宴会に集落を離れた人々も参加した。

 近年は高齢者の一人暮らしが増え、月1回の掃除は2カ月に1回に。最後に円空仏を確認したのは、お堂の扉を修理した12年12月。いつ盗まれたかすらわからず、捜査も難航している。

 盗難の判明時に地蔵総代長だった尾関正幸さん(58)は途方に暮れる。「先祖代々大切に受け継いできた円空仏なので、ぜひとも返してほしい。ただ仮に戻っても、監視カメラの導入や警備会社との契約にお金がかかる。警報が鳴って駆けつけても間に合うか……」

 ■レプリカ奉納、実物は博物館

 今後、高齢化や人口減が進み、住民による文化財の保護が困難な地域はますます増える。一方、行政の支援は細り気味だ。美術工芸品の防災や防犯、修理などに充てる国の予算は年11億円程度で横ばいだが、都道府県分は急減している。文化庁の昨年の調査では、1992~15年度に、史跡や建造物なども含めて都道府県が保護に費やした総額のピークは96年度の約614億円。06年度は約232億円、15年度は約140億円まで落ち込んだ

 防犯設備の設置について、国宝・重文は国と自治体の補助があるが、都道府県指定は補助が全くない自治体もある。

 地域の宝を工夫して守ろうという試みも進む。

 紀伊半島の最南端・潮岬から海沿いに約40キロの和歌山県すさみ町。小さな漁師町にある持宝(じほう)寺で2月末、檀家(だんか)十数人と和歌山市の高校生ら計10人が集まり、仏像の開眼法要が行われた。

 本尊の阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)(南北朝時代)に代わり、プラスチック樹脂製の複製(レプリカ)が奉納された。県立和歌山工業高の生徒7人が3Dプリンターで半年かけて製作。和歌山大で美術を専攻する3人が着色。みんなボランティアだ。

 盗難や津波の被害を避けるため、実物は県立博物館で保管される。当時、同高3年の四元希亜来(きあら)さん(18)は「自分の作った仏像が拝まれるなんて不思議な感覚です」と話した。

 すさみ町の高齢化率は46・8%。奥田良哉(りょうさい)住職(71)は「昔から伝わる本尊を寺に置き続けたい気持ちは私も檀家さんも同じ。だが将来を考えれば、ここで守るのは難しい」と話す。

 国の重文「木造地蔵菩薩坐像(もくぞうじぞうぼさつざぞう)」も、3Dプリンターによる複製が京都市左京区のお堂に納められている。周辺住民でつくる保存会は、16年前から京都国立博物館に預かってもらい、夏の地蔵盆の時期だけお堂に戻していたが、15年の重文指定で盗難が心配になった。

 ■保存状況、官民共有を 専門家

 文化財の散逸を少しでも防ぐ手立てはないのか。事前に撮ってあった写真のおかげで、盗難の捜査などが進んだ例もある。

 高知県香南市の寺で12年、重文の木造大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)が盗まれた。県は、たまたま撮影していた写真を県警に提供。特徴がよくわかるよう様々な角度から撮ってあったため、盗品として特定でき、手配された。全国の古美術商団体などにも通知された。仏像は大阪市内の地下駐車場で取引されるところで容疑者が逮捕された。

 滋賀県は未指定を含む仏像など計1万点を撮影し、寸法や材質、製作年などをデータベース化。地域の文化財を掘り起こし、住民の関心を高めるため30年以上前に始めた。09年に仏像が盗まれ、捨てられた事件では、写真との照合で所有者が分かり、返却された。

 京都国立博物館の淺湫(あさぬま)毅研究員は、全国の自治体の情報を集めたデータベースをつくることを勧める。「行政や古物商などが情報共有すれば、盗難後に被害品の特定や通報につながる可能性が高まる。盗品を売るに売れない状況をつくることが抑止効果にもなる」。集めた情報の公開方法については十分検討し、盗難などに悪用されないようにする必要があるという。

 文化財が失われている現状に、国も危機感を抱く。6月に文化財保護法を改正し、様々な対策を打ち始めた=別表。ただ、自治体への助成額の規模は決まっておらず、自治体の予算不足がどの程度補えるかはわからない。また、助成を受けるには自治体が文化財の保存と活用の大綱や計画を立てることが前提となる。

 根立研介・京大大学院教授(日本美術史)は「盗難対策に決定打はない。国の音頭による写真のデータベース化は当然必要で、地域の文化財が置かれた状況を官民がきちんと共有し、力を合わせる態勢づくりが重要だ」と指摘。市民の関心を高めることで、ふるさと納税やクラウドファンディングなど民間の力を活用し、支援の充実を図ることを提案する。(富田洸平、星野典久、相原亮)

■文化財保護法改正の概要
 <趣旨>
・文化財の滅失や散逸などの防止が緊急の課題であり、地域社会総がかりで、その継承に取り組んでいくことが必要

 <内容>
・市町村が管内の文化財全体について保存と活用の計画を立てて認められれば国が支援する
・文化財を巡視する文化財保護指導委員を都道府県だけでなく、市町村も配置できるようにした
・所有者が国宝・重要文化財の保存と活用の計画を立てて認められれば国が支援する
・所有者が国宝・重文を博物館などに預けて公開すれば、将来の相続税を猶予する
・国宝・重文を壊したり捨てたりした際の罰金を30万円から100万円に引き上げた

     ◇

 後世に継ぐべき文化財の散逸が次々と判明しています。地域では過疎化や高齢化が進み、自治体も余裕がありません。文化財を守るためにどうすればよいのかを考え、随時掲載していきます。