(ニュースエン 韓国語 2018/06/10)

6月9日に放送されたSBS『それが知りたい』で、日本で発生した韓国人女性パク・コッスレ(別記事では「サトウユウ」併記。↓の画像では「佐藤舞津美」?)失踪事件について暴いた

老紳士が『それが知りたい』製作スタッフと共に居住地の村役場を訪れた。老紳士は「うちの娘が失踪した」と話した。便りが途絶えた娘をどこから探すべきか分からないため村役場から訪れた父親は、娘の身上が入れられた書類を一束受け取って調べた。小さな手がかりでも探すために書類を見た父親は、娘の婚姻関係証明書を見て驚いた。父親は「あきれたことだ。これは話にならない」と話した。娘は日本で2度の結婚と1度の離婚をした状態であった。娘が失踪する前に死亡した2番目の夫まで。すべて初めて知ることになった事実だ。

日本で生まれた父親の影響だったのだろうか。娘パク・コッスレは成年になると日本留学に旅立った。パク・サンシク氏は「韓国人女性のうち日本人男性と結婚したい人を募集して見合いをするそうだよ」と話した。韓日間の国際結婚斡旋会社で通訳として仕事をすると言っていた娘は、肝心の自分の結婚と離婚は隠していた

2016年6月末、外叔(母方の叔父)の葬儀場を訪れた時だ。パク・コッスレ氏は洋式の葬儀服装をしてきた。振り返ってみれば自分の2番目の夫の葬式の時に着た服を持って来たものとみられるパク・コッスレ氏は、3日間韓国に留まった後に日本に戻った。母親は「私とメールもたくさんやり取りして、すぐに返事がくるのに返事がなかったよ。変だった。2~3日一人で連絡してみてだめだったから家族に知らせた」と話した。

日本に戻った日、2度の通話をして以来、連絡が取れなかったという。家族は直ちに警察に通報した。2016年7月11日、パク・コッスレ失踪事実を認知したのは京畿道利川警察署であった。キム・ウォンヨン課長は「総領事館で日本警察に失踪事件を受け付けした」と伝えた。チョン・チュンシクチーム長は「主権侵害だと言っていた」と話した。韓国警察の提案にもかかわらず、自分たちの仕事だと線を引いたという日本警察。彼らは家族にも箝口を要請した。家族は日本警察の言葉だけ聞いて待ちながら、700日余りが過ぎた。

『それが知りたい』製作スタッフは日本に向かった。パク・コッスレの失踪直前までの行跡を最大限調べてみるためであった。パク・コッスレ氏は福島県福島市荒井地域でサトウタカシという男性と2年余りの結婚生活をした。隣人たちは「あまり会うこともなく、話すこともなかった。顔も思い出せない」と話した。2年前に警察がパク・コッスレの家を訪ねてきて失踪を分かったという。夫の死も怪しいですが妻も失踪して奇異だたと明らかにした。

パク・コッスレの前夫の友達は「草を刈って草を焼こうと火をつけたようだ。体の下半身に飛び火して救急車で病院に行った」と話した。秋でもなく春に畑で草を焼いたのが不自然だということ。友達は「タカシは救急車に乗った時は元気に見えた。何かあれば電話すると言って自ら乗った」と話した。しかし、サトウタカシは少し後に亡くなった。サトウタカシが残した遺産のためにパク・コッスレが犯行の対象になったのではないだろうか推測していた。パク・コッスレはサトウタカシの家と土地などを相続されることになった状態であった。

噂をたよりに捜したあげく、事件について知っているという福島県現地記者と連絡がついた。記者は「記者の間では福島市に住んでいる韓国人女性が行方不明になったが、殺害され遺棄された可能性があるという噂が1年ほど前から出回った」と話した。彼は「行方不明というが、家の電気はついており、エアコンもついていた。財布のような貴重品も家にそのままあった。家出ではないと判断した」と説明した。

2016年7月6日、パク・コッスレ氏が家の照明とエアコンをつけたまま出かけたことから、簡単な用事があったものとみられる。この日、パク・コッスレ氏は午前に予約したネイルアートを取り消していた。以後、パク・コッスレの行跡が捉えられたのは高速道路に進入する料金所だ。ネイルアートの予約を取り消した午前、パク氏所有の車がここを通って行った。薄暗いがパク・コッスレの車両の中には一人の男性がいた

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記者は「警察でもお金でなければ男女関係ではないかと推定したという。警察では7月6日から10日の間に殺害されたものと判断して捜査を進めた。周辺関係を調査し、このXXが有力容疑者に浮上したと思う」と明らかにした。

CCTV(監視カメラ)に捉えられた男性は家族が疑った人物と同一人物だった。兄は「明確に周辺に男がいてお金の問題が結びついているはずという考えがぱっと浮かんだよ」と話した。引き続き「失踪した年の7月にカードを使ったのが発見された。逮捕して調査しているから近いうちに結果が出るものと期待をたくさんした」と話した。

日本警察は昨年9月24日、韓国国籍イ・ソンジェ(仮名)(イ・スンホ(李承鎬))を詐欺の惑い逮捕した。イ・ソンジェはパク・コッスレ氏を最後に目撃した人で、パク・コッスレのクレジットカードはもちろん、夫サトウタカシのクレジットカードまで盗用した人物だ。イ・ソンジェはこれらのカードでバイク店を訪れた。彼は350万ウォンほどのバイク保管用の組み立て式倉庫を購入した。

整理すると、2016年7月6日午前、2人は一緒にパク・コッスレの車両に搭乗していた。バイク用品を買って給油してホテルに宿泊する際にはパク・コッスレはおらず、イ・ソンジェ一人だった。パク・コッスレ生存の痕跡は2016年7月6日が最後である

パク・コッスレ氏が韓国に残して行った物の中には48通の手紙があった。2011年から2012年の間にイ・ソンジェ氏がパク・コッスレ氏に送ってきたものだ。手紙の内容から2人は恋人関係だったものとみられる。お互いを夫婦のように呼んだ2人。発信地は江陵刑務所であった。当時イ・ソンジェ氏は収監中だったとみられる。

パク・コッスレ氏とある職場に通っていた後輩は「初めてイ・ソンジェに会った時にものすごく止めた。離婚男であることもそうだし、恐ろしく見えた」と話した。2012年5月にイ・ソンジェが出監した後、ほどなく2人は別れたという。後輩は「別れたが(イ・ソンジェが)突然訪ねてきて怒っていたと話していた。家電製品を投げたというふうに話していて、警察に通報するように言った」と話した。

別れた後、イ・ソンジェ氏は日本人女性と結婚し、パク・コッスレ氏も結婚した。2016年6月、外叔の葬式で韓国にきたパク・コッスレ氏。後輩は「韓国に留まっていくかと言うと、仕事があって入ってみなければならないと言った。元々集めたお金がある。お金ができて店ができると思うが詳しいことは入ってみてこそ分かると言った」話した。後輩は2人が再び続いたのにはお金の問題があったようだと推測した。

去る2016年4月にパク・コッスレ氏の夫が死亡した後、本格的に近づいた2人イ・ソンジェはパク・コッスレ氏に結婚を約束したという。日本人と結婚した2人は離婚した場合ビザがないため、イ・ソンジェがパク・コッスレ氏に500万円を預けておけば長期居住ビザを発行してくれる日本の法を話したという。パク・コッスレ氏はイ・ソンジェの話を信じて500万円を渡した。パク・コッスレとイ・ソンジェの知人は「妻の車まで変えたよ。パク・コッスレをあまりにも利用した。パク・コッスレはイ・ソンジェと一緒に暮らすという夢を見ていたが、私たちが聞くとイ・ソンジェが『私が狂っていますか?』という声が出た」と明らかにした。

日本警察がイ・ソンジェを逮捕したのは失踪から1年2か月後だったが、彼を疑ったのはずいぶん前だった。1年間の尾行と4度の逮捕、だが、直接殺人と遺棄の証拠を見つけることができず、彼を詐欺と横領、窃盗容疑だけで起訴した。福島裁判所では窃盗だけ認めた。イ・ソンジェ氏は懲役2年6か月、執行猶予4年を宣告され、自由の身になった

日本警察はパク・コッスレ事件を依然として捜査中だが、機密事項とし、日本まで訪ねてきたパク・コッスレ氏の父親に何も共有してくれなかった

パク・コッスレの父親は、出所したイ・ソンジェ氏に直接会ってみることを決心した。父親は「最後に君と一緒に車に乗って行ったが行ったところはどこか。うちの娘を探すためにそうするので、。お前に罰を与えようとするのではない」とイ・ソンジェ氏に訊ねたい話を整理した。だが、イ・ソンジェ氏とは会えなかった。電話連絡を試みたがイ・ソンジェ氏は「私の電話番号を韓国警察が教えたのか。父親は車の事だけ重要で私の事は重要ではないのか。お父様は娘を探したいのでしょう? じゃあ探しなさい。私にそんなこと言うな」と大声を出した後に電話を切ってしまった

イ・ソンジェ氏は出所後、自分の記事を掲載したSNSごとに訪問して返答文を残した。クレジットカードはパク・コッスレ氏が貸してくれたもので、パク・コッスレ氏は知人たちに借金をした後に逃走したと主張した。パク・ジソン教授は「パク氏のことだけでなく、パク氏の夫のクレジットカードまで使ったのは、パク氏が帰ってこないことを知っている人だからこそ可能な行動だと見るほかはない」と分析した。

『それが知りたい』に連絡がきた情報提供者は「その男の噂は良くなく、パク・コッスレが初めてでないという気がする。1,2人でない。その前にも古川にいたXXもいなくなった」と話した。情報提供者はこの情報提供を最後に連絡が取れなかった。

情報提供者が言ったもう一つの失踪は何だろうか。イ・ソンジェ氏と関連しているというもう一つの失踪、それに対する手がかりは思いがけないところから発見された。パク・コッスレ氏についての世間の噂を探しているうちに会った理髪店の主人は「近所でかなり前に白骨死体が発見されたが韓国人であったという記事を見た」と話した。2008年10月に失踪した韓国人留学生キム・ヨンドン(金永燉)氏が2010年6月、日本,宮城県(大崎市)の竹林で死体で発見され、2016年に身元が確認されたという記事であった

仙台総領事館のキム・グァンシク領事はキム・ヨンドン氏について「2008年に失踪の届出が入ってきた。留学生失踪者の父親から、行って確認してほしいと言われて行ったよ」と話した。総領事館側は当時、キム・ヨンドン氏の友達と一緒に家を訪ねて行ったという。尋常でないことを感じた総領事館側は日本警察に通報したが警察は単純な家出と見た。警察が単純な家出と見た理由は、キム氏の周辺の人の供述のためだった

その“周辺の人”、そして総領事館職員とキム・ヨンドン氏の家を訪ねた友達は、まさにイ・ソンジェ氏であった。キム・ヨンドン氏と同じ学校に通って親しくなったイ・ソンジェ氏は、当時キム・ヨンドン氏がしばらく風にあたり(気晴らしにの意)に出かけたと主張した。

刑務所にいた時期にイ・ソンジェ氏がパク・コッスレ氏に送った手紙の中にキム・ヨンドン氏の名前が発見された。「これからヨンドンのことは忘れて気楽に暮らそう」という内容が書かれていた

キム・ヨンドン氏が失踪した後、韓国の家族は宮城県のあちこちを捜しまわった。彼を捜すために相当な金額の懸賞金もかけた。キム・ヨンドン氏の父親はインタビューを拒否した代わりに資料を提供してくれた。その中には録音ファイルと書類があった

録音ファイルの中でイ・ソンジェ氏は「失踪以降に私がヨンドンに会ったのだから、死んでいることはない。ヨンドンは生きており、死んだら私が責任を負う」と話した。イ・ソンジェ氏はキム・ヨンドン氏の失踪から2年6か月後に家族と会い、悩みが多くて家出したのだと話した自分がキム・ヨンドン氏と会うのを目撃した人がいるとも主張した。自分に電話をかけてきたとし、受信番号まで見せたという。

白骨遺体の最初の発見者イトウ氏は「竹を取りにきた。人とは思わず驚いた。動物の死体と思った。ところがよく見ると人だった」と話した。発見当時、キム・ヨンドン氏は服と靴を着用した状態であった。イトウ氏は「白骨化した状態なので靴の色も見分けることは難しかった。骨しかなかった」と話した。

専門家の分析によれば、キム・ヨンドン氏が発見された地域は腐敗がゆっくり進行する環境で、失踪当時に死亡したというのが科学的にもっとも合うという。その上、キム・ヨンドン氏は失踪当時に着た服をそのまま着ていた。イ・ソンジェ氏はなぜ失踪後のキム・ヨンドン氏と会ったと主張したのだろうか。

竹林近くの住民は「道路をよく知っていてここまできたという気がする。仙台から死体を運んできたとしても、よくこの道を知っていて来たと思う」と話した。農作業をする人たちだけが利用する道のそばなので、ここの地理を知っている人が死体を運んだはずという。

パク・コッスレ、イ・ソンジェ氏の知人は「私が知る限りではイ・ソンジェはパチンコをする。噂によればヨンドンがお金をほしいと言った。イ・ソンジェが(大崎市)古川で渡すから一緒に行こうと言った。その次にヨンドンがいなくなったという話がある」と話した。イ・ソンジェ氏がお金を渡すと言いながら、母親がいる古川にキム・ヨンドン氏を呼び出したのだろうか。

キム・ヨンドン氏の家族が疑い始めると、イ・ソンジェ氏は目撃者を連れて現れた。彼と一緒にキム・ヨンドン氏に会った人物はパク氏の性を持つ女性だ。女性は失踪1年余りの後、キム・ヨンドン氏に会ったと言った。イ・ソンジェ氏がその日に連れて来た女性はパク・コッスレ氏であった。手紙の中の内容が理解される大きな部分だ。パク・コッスレ氏がキム・ヨンドン氏の死に関連した秘密を知っていただろうという推測も可能だ。

整理すると、失踪事件の主人公であるパク・コッスレ氏はもう一つの失踪事件であるキム・ヨンドン氏の事件で目撃者として登場した。キム・ヨンドン氏失踪の1年後、彼を目撃したというパク・コッスレ氏の話は事実である可能性は殆どない。彼女はなぜ目撃者である振りをしたのだろうか。そのために彼女が消えたのだろうか。パク・コッスレ‐キム・ヨンドン失踪の間で連結の輪はイ・ソンジェ氏だ。

イ・ソンジェ氏が48通の手紙を作成した時期は江陵刑務所だ。母親の死亡診断書の偽造容疑であった。イ・ソンジェ氏は日本に住んでいる母親が交通事故で死亡したと偽って死亡届を出した。6億相当の母親の財産の相続を受けるためであり、1年の刑の宣告を受けた

専門家たちは、イ・ソンジェ氏がパク・コッスレ氏に書いた手紙に対し、「この2人の間の関係はある意味では完全な従属関係だ。均衡が全く合わない。『愛する夫人に、至って厳しい夫から』という。同じ平等関係ではないということだ」、「時間が経つほど手紙の間隔もあいて、手紙を書くことが難しい、手紙に書くことがないという冷めた表現を繰り返す。本人が必要な物を説明することにだけ内容が集中されている」と分析した。

専門家たちが最も注目した手紙は、失踪した留学生キム・ヨンドン氏に言及した手紙とその直後の手紙だ。面会に来たパク・コッスレ氏は、何の理由であったか泣いたものとみられる。パク・ジソン教授は「白骨がキム氏の死体ということを誰もが知る前だった。『ヨンドンのこと』というのが単純な失踪事件を指称していないだろうと見る」と話した。『最悪のシナリオを避けた』という表現も登場した。当時、キム・ヨンドン失踪事件でパク・コッスレ、イ・ソンジェ氏を参考人として調査した警察は「パク・コッスレ氏は、イ・ソンジェがさせてそのように述べた。自分はその当時に会っていないと述べた。嘘探知機をしようとするとイ・ソンジェ、パク・コッスレ氏が日本に戻った」と話した。

『それが知りたい』製作スタッフはイ・ソンジェ氏を訪ねた。イ・ソンジェ氏は「そのために警察署に6か月間捕まり、話にならないことと取り調べを受けた。夫人と離婚もし、子にも会えない状況だ。私に助けてほしいというのか」とし「私が一番探したいから、いつか現れるだろう。私が殺したわけではないから。死体が出てきたということでもなく、私が殺したと思うとか、そのように考えるのに証拠を持ってこなければならない。警察はコッスレの夫も私が殺したと語る」と話した。

キム・ヨンドン氏について、たいしたことでないと話していたイ・ソンジェ氏は、6年前にパク・コッスレ氏に自分が書いた手紙を出して見せると、彼の目は慌ただしくなった。彼は「この人ひどいね。分からない! 話したくない。人権であれ何であれ何もないのか。人が良く話せばここらで分かりました言って行くべきなのに、ずっと座って、また尋ねるのか。あなた方は警察か」と態度が急変した。すぐに警察を呼んだ。

イ・ソンジェ氏との会話を綿密に検討した専門家たちは「手紙を突きつけると好奇心が出た。真剣になって足を組むことまでは理解できるが、それきり腕組みをしている。腕組みをするのは、ある意味では自分を心理的に防御するための動作と見る」、「警察では済まされたが、警察が見逃した部分について放送チームが緻密に接近するから鋭敏に反応したのだ。対処する準備ができていないため怒ったのだ」、「経験した通りだけ語るならば、このような手紙や物証が現れた時に慌てる理由が一つもない」と分析した。

機密捜査に固執した日本警察は最近態度を少し変えた。コン・ジョンシク教授は「失踪者が韓国人の場合、韓国警察に必要な情報、例えばSNSや通帳、携帯電話など生活反応があるのか調査し、加害者と推定される人物に関する記録について共助捜査を通じて確保して調査が行われてこそ、もう少し真実に近寄ることになるが、そのような努力をせず、後になって行えば犯人を捕まえられない場合もある」と話した。

現地記者は「この事件とほぼ同じ時期に似たような事件が起きて、2人が殺害された事件が県内で同時に起きた。それで捜査も散漫になって片方に捜査を集中しなかった原因もあるとみる」と指摘した。(機械翻訳 若干修正)