(ソウル経済 韓国語 2018/05/31)

クォン・ホンウ論説委員

尊敬するが憎らしくて、友人になるかと思えば敵である存在…。日本の話だ。“2つの顔のずる賢い日本”という言葉を実感する。急変する韓半島(朝鮮半島)情勢に対する日本の態度を見るとミプサン(憎らしい行動、憎らしい人)そのものだ。ドナルド・トランプ,アメリカ大統領が北米(米朝)首脳会談の取り消しを発表した当時、歓迎の意思を示した唯一の国がまさに日本だ。シンガポールで来る6月12日に開かれる北米首脳会談直前に安倍晋三日本総理がアメリカを訪問するという点も、本当に忌まわしくて気掛かりになる

北米首脳会談霧散宣言当時を復碁(碁を打ったあと、その経過を検討するため最初から石を並べなおすこと)してみよう。トランプは軍事的行動の可能性を示唆してこのように述べた。「世界最強の軍は準備が整っており、韓国と日本はどんな財政的な負担も喜んで引き受けるだろう。」

トランプの発言に安倍のささやきが聞こえるようだ。「北朝鮮を信じるな。戦争するなら私たちが費用を出したい。」

様々なスキャンダルで落ちていく支持率を北核危機でかろうじて守ってきた安倍の立場では『韓半島の平和=災難』であるとしよう。韓半島を眺める日本人たちの見解は大同小異だ。日本経済は〈米朝首脳会談が実現するにしても延期が賢明だ〉という社説(コラム)を最近載せた。最大20個余りと推定される北韓(北朝鮮)の核ミサイルをアメリカに搬出しなければならないと言っていた日本メディアもある。去る2017年中、戦争勃発の不安に震えさせた“危機説”の震源地は大半が日本だ。マスコミは強硬策を煽り、日本政治家たちはアメリカ内の極右派の人々を訪ね歩くのに忙しかった。一連の動きを見て長い間持っていた疑問が浮び上がる。「私たちに日本は果たして何か?」

近代以後、韓国と日本のように運命が明暗を分けた国も多くない。植民地支配の収奪で苦しんだ韓半島が同族間の争いの血を流す時、侵略と分断の責任がある島国はその血を滋養分にして経済を育てた。韓半島の分断自体も本来は日本の持分だ。太平洋戦争を起こした戦犯国として連合国の分割統治を受けなければならなかった日本の代わりに分断を強要されたのが韓半島だ

南北韓
(韓国・北朝鮮)が緊張と対立で明かした73年の歳月を越えて平和を模索しようとするこの時に、日本が妨害屋として登場しているので悪縁中の悪縁に違いない

悪い隣は日本だけではない。中国も信じられない。アメリカが北朝鮮を疑い始めたのは、キム・ジョンウン(金正恩)北朝鮮国務委員長が習近平(シー・ジンピン)中国国家主席と2回目の会談を行った後からだ。中国は韓半島問題で単純な周辺国の位置ではないという点を露骨に明らかにしている。

奸巧(ずる賢い)な日本と陰凶(陰湿で凶悪)な中国、どこへ跳ねるのか分からないアメリカの隙間で民族の将来を心配しなければならない現実が、19世紀末、風前の灯火の朝鮮の境遇と似ている。機会と危機が入り乱れて私たちに近づいてくるこの時、どのように対処していくのだろうか

2つの前提が必要だ。陣営論理からの脱却と座標の確認

朝鮮があっけなく崩壊した背景には虚構イデオロギーが敷かれていた。明国の17代王(皇帝)崇禎帝が自殺(1644年)したという便りに、朝鮮時代のソンビ(学識を有して礼節を重んじ、儒教理念を実現させようとした身分階級の人)は「伯夷・叔斉(高名な隠者で、儒教では聖人とされる)のように生きる」として隠遁生活に入った。

内乱に追われた中国王が自殺したが「大明天地が消えた」として朝鮮の“志操あるソンビ”が山に入って『崇禎処士』を自任する頃、日本の儒林でも論議が起きた

日本朱子学の始祖と評価される山崎闇斎が弟子に投げかけた問いが論争を生んだ。「もし孔子が大将、孟子が副将として中国の軍隊が日本を攻めてきたら、私たちは孔孟の道理に従う者としてどのように対応するべきか?」

弟子は簡単に答えることができなかった。今なら「神様が総司令官、イエス様が参謀長である天の軍隊が我が国を侵略してきたら、キリスト人としてどのように対応すべきか」のような重圧感の質問に論議が続く時、山崎は簡単明瞭な答を出した。「当然、刀を研いで甲冑を着て戦争に行き、孔子と孟子を捕らえ、テンノーに捧げるのが孔孟の正しい意だ。」

同じ時代、同じ儒学を勉強しても朝鮮と日本は、自分のアイデンティティ、自分の座標に対する認識はこのように違った。その差が近代以降の両国の運命を決めたのかもしれない。大韓帝国が滅亡した1910年にも、朝鮮の志あるソンビは隆煕4年という独自の元号の代わりに崇禎(明の最後の元号)301年という元号に固執した

平和か、準戦時への復帰かという民族史の別れ目で自らに再び問う。盲従と屈身の事大主義は過ぎ去った時代の愚話に終わってしまおうか。最も尊いのは我ら自身だ。今ここで私たちの行為が子孫に恥ずかしくない歴史になることを願う。(機械翻訳 若干修正)