(聯合ニュース 韓国語 2018/02/27)

アメリカ軍装甲車の犠牲になった女子中学生シン・ヒョスン(申孝順)さん、シム・ミソン(沈米善)さんを追悼するためにアメリカ軍側が事故現場に建てた追悼碑が、近いうち移転される見込みだ。

27日、ヒョスン・ミソン平和公園造成委員会は、事故現場の前に造成中の公園着工を控え、アメリカ軍側に追悼碑と記念碑の移転を要請したと明らかにした。

ヒョスン・ミソン平和公園造成委員会は昨年、市民の募金で1億ウォン余りを用意し、京畿道楊州市広積面孝村里の事故現場前の敷地(367㎡)の購入を完了した。

この敷地にはアメリカ軍側が追悼碑を建てた敷地も含まれている

米第2師団は2002年9月、アメリカ軍将兵らの寄付で事故現場に幅1.5m、高さ2mの大きさの追悼碑を建立した。

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当時、2人の女子中学生の不憫な死に怒った市民がろうそく集会を開催する状況で、加害者であるアメリカ軍側の追悼碑は国民情緒上、適切ではないとして論議が起きたりもした

ヒョスン・ミソン平和公園造成委員会側は、この追悼碑を撤去してこそ、設計上、公園の出入り口を確保することができるとし、こうした立場をアメリカ大使館とアメリカ軍側に伝えたと説明した。

平和公園内には、6年間、ソウル市西大門区の韓国キリスト教長老会宣教教育院に臨時に建てておいた市民追悼碑を移して建てる計画だ。

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ヒョスン・ミソン平和公園造成委員会関係者は「アメリカ軍に追悼碑を米第2師団内に移転してくれることを先月に要請したが、まだ公式の回答を受け取っていない」としながら「アメリカ軍追悼碑が毀損されることを防ぎ、アメリカ軍自らも警戒心を持てるように移転は必ず必要だ」と説明した。

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※米軍の建てた追悼碑 「2002年9月21日 米2師団 一同」

当時、中学校2学年に在学中だったシム・ミソンさん、シン・ヒョスンさんは、2002年6月13日、楊州市広積面孝村里の56号地方道2車線に沿って歩いていた中、訓練後に復帰中だった駐韓アメリカ軍のキャタピラ車輌に轢かれて亡くなった。(機械翻訳 若干修正)


 女子中学生ヒョスン・ミソンさん15周忌迎え『追悼公園』造成される
(ニュース1 韓国語 2017/06/08

(略)去る2002年、アメリカ軍装甲車によって命を失った故シン・ヒョスンさん、シム・ミソンさんの魂を賛えるための追悼公園が造成される予定だ。

『故シン・ヒョスン シム・ミソン15周忌追悼行事共同準備委員会』(準備委員会)は来る13日、事故15周忌を迎えながら、事故現場だった京畿道揚州市広積面孝村里に国民の義援金を集めて製作した追悼碑『少女の夢』を設置し、追悼公園を造る計画だと8日、明らかにした

先立って、準備委員会は去る2008年、アメリカ軍の追悼碑が毀損されているのを確認して、2012年に寄付を集めて追悼碑を新たに製作したが、事故現場の敷地を購入することができず、設置することもできなかっただが、最近、敷地購入のための募金が続いて、追悼碑の建立が可能になった。(略)(機械翻訳 若干修正)


(聯合ニュース 韓国語 2017/09/29

(略)アメリカ軍装甲車に轢かれた女子中学生シム・ミソン、シン・ヒョスン追悼平和公園の敷地が、市民が自発的に出した寄付で購入された

29日、ミソン・ヒョスン追悼碑建設委員会によれば、平和公園を造る京畿道楊州市広積面孝村里の事故現場後方の敷地(367㎡)の購入を去る27日、完了した。

敷地購入費用として1億1千100万ウォンがかかり、このお金はミソンさん、ヒョスンさんの不憫な死を追悼する市民の自発的な募金で用意された。

27日基準で、募金額の総額は1億4千879万4千ウォンであり、敷地購入費用に募金額の大半が費やされた。公園工事には数千万ウォンがさらに必要であると建設委は予想している

平和公園造成募金に参加した個人と団体の名義は合計700件で、これらはすべて平和公園建設委員に委嘱され、平和公園に名前が刻まれる予定だ。

団体としては、民主労総(全国民主労働組合総連盟)・全教組(全国教職員労働組合)・平統社(平和と統一を開く人々)・挺対協(挺身隊問題対策協議会)・民主弁護士会民族問題研究所など様々な市民社会団体と天主教界・キリスト教界、共に民主党議員などが参加した。(略)(機械翻訳 若干修正)


>去る2008年、アメリカ軍の追悼碑が毀損されているのを確認して、2012年に寄付を集めて追悼碑を新たに製作


イ・ミョンバク(李明博)政権発足の年に毀損を発見ですか・・・。

そして、“追悼碑”を製作してから5年間、“成果”がなかったのに、パク大統領罷免(2017年3月10日)~ムン政権発足(2017年5月10日)
に急速に事が運んだようですね。


ほんとうに反米(反日)のためなら何でもありのようですね。



 末娘ミソン、胸に刻まれて10年…反米団体の政治的追悼行事不参加
(東亜日報 2012/06/04)

中学生だったシム・ミソン(沈米善)さん、シン・ヒョスン(申孝順)さんがアメリカ軍の装甲車に轢かれて亡くなって13日でちょうど10年になる。10周忌を迎え、反米団体を中心に大規模追悼行事が準備されている。だが、ミソンさんの父親シム・スボ(沈洙輔)さん(58)は「事故を起こしたアメリカ軍も、もう心安らかに過ごすことを願う」として容赦のメッセージを送った。反米団体中心の追悼行事に対しても「政治的目的の追悼行事には参加しない」と明らかにした

マスコミと団体の訪問が続くせいで、毎年この時期は家を度々空けるというシムさんを4回目に訪ねて行った1日、京畿道楊州市広積面孝村里の自宅で会った。シムさんは「事故が起きた後、1年が過ぎても家に訪ねてくる人々が恐ろしかった。毎年6月にはわざわざ家を出て行ったりもした」とし「今でも純粋な追慕はともかく、行き過ぎた関心は負担になる。政治的な目的の追悼行事は望まない」と明らかにした。

最近、反米団体が推進する追悼碑の追加建立についても「いくら純粋な目的としても、(アメリカ軍が建てた)追悼碑があるのに、また建てるのは不要だ」とし「私たちがアメリカ軍に要求して建てたのだ。誰が建てればどうなのか。追悼碑を2つも建てるというのは道理に合わない」と指摘した。(略)

12,13日に行われる10周忌追悼式についても「毎年ここで開かれはしたが、普段のように家族同士静かに送りたいだけに参加するつもりはない」とした。当時、事故を『アメリカ軍の殺人』と規定した反米団体と異なる見解も明らかにした。シムさんは「単純な事故だと思うが、(アメリカ軍が)子供たちが憎くて走ったことでないのではないか」とし「顔も知らないが、そのアメリカ軍も今は心の荷を減らして楽に生きたら良いだろう」と話した。ヒョスンさんの父親シン・ヒョンス(申賢洙)さん(58)も同じ考えだろうと伝えた。(略)

村から400余m離れた事故現場そばの追悼碑には、色あせた弔花がいくつか挿されていた。追悼碑にはミソンさん、ヒョスンさんの写真と共に、平和を象徴する鳩2羽、そして追悼碑を支える築台には14歳の2人の少女を賛える花が刻まれている。追悼碑は2002年9月、米第2師団が2人の女子生徒を追悼するために寄付を集めて建てたものだ。追悼碑に彫られた『米2師団一同』という字は誰かが毀損した状態であった。

追悼碑から村方向に50m余り離れた場所が事故現場だ。友達の招待を受けて誕生日をお祝いに行ったミソンさん、ヒョスンさんは、訓練していたアメリカ軍の装甲車に轢かれ、ここで亡くなった。当時、道路の片側車線の幅はアメリカ軍装甲車の幅より狭く、歩道がなく、危険な状態であった。事故後、この道路は当時より幅が少し広くなった。道路に沿って流れていた小川はアスファルトで舗装され、幅1m余りの赤い歩道に変わった。だが、90度近く急に曲がる2車線では相変らず大型トラックやバスが疾走している。アメリカ軍当局は事故後、装甲車を含めてキャタピラ車輌が訓練などで移動する際には大型トレーラに載せて運行するようにし、事故現場のように狭い道路は迂回するように安全守則を変更した。

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〈2002年女子中学生装甲車死亡事件〉

2002年6月13日、京畿道楊州市地方道56号線で、米第2師団工兵旅団の吊り橋運搬用装甲車に2人の女子中学生が轢かれて亡くなった。当時、イ・フェチャン(李会昌)、ノ・ムヒョン(盧武鉉)ら大統領候補がこの事案を批判して論議が大きくなった。その年の11月、米第2師団で開かれた裁判で、運転兵マーク・ウォーカー兵長と管制兵フェルナンド・ニノ兵長に無罪が評決されて大規模な反米デモが発生した。(機械翻訳 若干修正)

2017年12月03日