(韓国毎日新聞 韓国語 2018/02/01)

コ・ムンヒョン韓国憲法学会会長
慶北大行政学科、ソウル大大学院法学博士、国会憲法改正特別委員会諮問委員、海洋水産開発研究院監査、安全行政府諮問委員、崇実大法科大学教授

私たちの大韓民国は半島という地政学的位置上、隣接国である中国、日本などと文化的・経済的交流をしてきたが、3か国の共通分母は儒教と漢字だ。昔の古朝鮮時代から現在に至るまで、我が国は漢字を通じて中国と緊密な交流をしてきたし、漢字を借用している日本とも持続的な交流をしている。中国や台湾または日本などで行われる学術行事に参加したり、該当国を旅行して通りの道路名や店の商号を見ると、漢字表現により筆者はより一層親近感を感じる。

何日か前、筆者は台湾に研究出張に行ってきたが、その時に会ったチン・シンミン元大法官(最高裁判事)も、台湾から似た距離にある韓国と日本を比較する時、上のような理由で韓国を訪問する時より日本を訪問する時のほうが安らかに感じると言った。数年前に国立台湾大学校法科大学の学長一行に会った時も同じ答えだったので、今回は別に驚くこともなかった。

私たちは台湾だけでなく、中国が世界で人口が一番多くて経済成長も急速に増加することを勘案すれば、上記のチン・シンミン元大法官の言葉の意味を深く考えてみる必要がある。漢字があたえる上記の親近性以外にも、筆者が憲法を教えながら感じた漢字の重要性と必要性について考えてみることにする。

周知のように大韓民国憲法(以下「憲法」と略称)は我が国の基本法だ。この基本法である憲法は1948年7月12日に制定された。その後、9回の改正を経て、現在、国会で第10回憲法改正案を議論しており、筆者も国会憲法改正特別委員会諮問委員として活動している。憲法は1948年の制定当時から国漢文(ハングル文と漢文)混用体で表示されており、前文、第1章 総綱、第2章 国民の権利と義務、第3章 国会、第4章 政府、第5章 法院(裁判所)、第6章 憲法裁判所、第7章 選挙管理、第8章 地方自治、第9章 経済、第10章 憲法改正、付則の順で構成されている。

憲法前文で〈悠久な歴史と伝統に輝く我が大韓国民〉と明らかにしており、総綱で〈国家は伝統文化の継承・発展と民族文化の暢達に努力しなければならない〉(憲法第9条)と明らかにしている。したがって、私たちの伝統文化と民族文化を正しく知り、これを継承・発展させるためには、まず私たちの先賢の目覚ましい成果物に自然に接することができなければならない。元暁(ウォニョ)大師の『大乗起信論疏』や世界文化遺産に登録された『八万大蔵経』や『朝鮮王朝実録』などはすべて漢字で書かれている。

数多くの古文献に含まれている私たちの歴史と文化を理解できなかったら、いくら私たちの文化の優秀性を叫んでも、それは空然なスローガンに過ぎないだろう。一部では漢文専攻者を養成すれば良いというが、漢字を勉強した底辺人口もいない現実でまともな漢文専攻者を養成するのはほぼ不可能だ。

漢字で書かれた古文献の研究は専門家の役割と言うこともできるが、韓国語をより正確に使うためにも漢字に対する素養が必要だ。上で紹介した『大乗起信論疏』とともに水準の高い精神文化の咲かせた先賢の教えを正しく知るためには、漢字に対する知識は基本であるため、憲法に出てくる伝統文化と民族文化を正しく知るには漢字の勉強を熱心にしなければならない。

憲法を講義する時、口頭だけで話したり、ハングルだけで黒板に書くと、同一表現のために意思疎通に問題があり、漢字で表現したほうが適切な用語がたくさんある。前述したように、韓国憲法は第1章総綱の前に前文があるが、これを漢字で表示せずにハングルで表示すると、前文を含んだ憲法全体を意味する憲法全文なのか、でなければ総綱の前にある前文なのか不明な場合が多い。学生たちに憲法前文を読めと口頭で話せば、どの部分を言っているのか曖昧だが、このような場合に漢字で表現すれば単純明瞭に解決する。また、憲法第5章の題名は法院だが、これをハングルで表示すると、法学で大変重要な用語として法の存在形式を意味する法源を指すのか、でなければ裁く所である法院を指すのか非常に不明だ。このような場合に漢字で法院と表現すれば簡単に解決できる。最後に第10章に憲法改正が出てくるが、これをハングルで表示すれば憲法を悪く変えてもかまわないという意味の憲法改訂という表現も可能だが、現在の憲法と基本的に同一性を維持しながら、より良い状態へと発展させるという意を入れたという意味で憲法改正とするが、学生たちも何気なく過ぎると、この用語に対する漢字表記を混同しやすい。

世宗大王が民を愛する気持ちで私たち固有の文字をお作りになったことは非常に誇らしいし、これを一層発展させながら孤松チェ・ヒョンベ(崔鉉培)先生がハングルの愛用運動を繰り広げられたことはとても意味が大きい。しかし、ハングルだけを愛して、これだけを使い続けるだけでは、先賢の思想を現代に継承・発展させるには限界がある。

我が国が引き続き中国と日本という強国の間で持続可能な繁栄をするためには、私たちの悠久な歴史と伝統をきちんと受け継いで“温故而知新”(温故知新)すべきだろう。このような連結の輪の中心に漢字があることを決して忘れてはならない。

事実、筆者は私たちの文字であるハングルが世界で最も優秀な文字だと思って自負心を感じている。発音記号で読まなければならない英語と比較してみても、ハングルは発音記号の必要がなく読むことができるという長所がある。このことからもハングルがどれほど優秀な文字なのかをよく知ることができる。

このようなハングルと数千年前から私たちの文化に入ってきて自然に調和している漢字を適切に混合し、効果的に教育するならば、現代社会に要求される融合的な考え方を備えた人材をたくさん養成できるはずだしたがって、このような教育体系が充実し、蓄積されれば、遠からず漢字に造詣が深いノーベル賞受賞者、第2の元暁のような世界的な大学者が多く輩出されるだろう。(機械翻訳 若干修正)