(オーマイニュース 韓国語 2017/11/10)

明成皇后(閔妃)の葬儀が行われてから120周期を10日前にしながら、肥前刀(乙未事変当時、明成皇后の心臓を刺して絶命させた刀)を廃棄すべきとの動きが始まった。文化財チェジャリチャッキ(文化財元に取り戻す)青少年連帯の学生たちは本日(10日)、日本,福岡市内にある櫛田神社を訪問し、日本外務省と櫛田神社に肥前刀廃棄陳情書を送った

チェ・クァンヨン学生(果川外国語高等学校2年生)は「韓日間の痛みの歴史が120周年になったにもかかわらず(肥前刀廃棄が)解決されず残念だ」とし「肥前刀処理のための努力が韓日関係の改善に役立つことを願う」と話した。

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▲福岡市内にある櫛田神社
明成皇后を殺害した肥前刀が保管されている。

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▲肥前刀が保管されている櫛田神社
文化財チェジャリチャッキ青少年連帯学生たちが肥前刀を廃棄すべきだとして櫛田神社を訪問した。

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▲明成皇后殺害の刀
肥前刀は現在、福岡にある櫛田神社が保管中だ。

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▲肥前刀廃棄要請書
文化財チェジャリチャッキ青少年連帯ペ・スジ、キム・ユンジ学生が日本語に翻訳した要請書を持っている。

◇“狐狩り”のためと書かれた文面

肥前刀は全体の長さが120cm、刃が90cmであり、木製の鞘には『一瞬電光刺老狐:老いた狐を一刀のもとに刺した)』と書かれている。刀の持ち主である藤勝顕が殺害当日、作戦名『狐狩り』の成功を記念するために書いたのだ。肥前刀は戦闘用でなく殺傷用に作られた刀で、16世紀の江戸時代に忠吉という匠人が作った刀と知られている。

日本の文筆家である角田房子が書いた『閔妃暗殺』によれば、〈中村楯雄が坤寧閤に隠れていた明成皇后を発見して倒して最初に刀を入れ、まもなく駆け付けた藤勝顕が第二の刀を入れて絶命させた〉と書かれている。その後、藤勝顕がその日の犯行を懺悔して刀を櫛田神社に委ねた

映画『アイ・キャン・スピーク』の実際のモデルとして知られるイ・ヨンス(李容洙)おばあさんとチェ・ポンテ弁護士、文化財チェジャリチャッキのへムン代表は2010年、肥前刀還収委員会の発隊式を開き、この刀を押収、廃棄するよう日本に要請した。文化財チェジャリチャッキのへムン代表は「犯行に使われた物は検察が押収しなければならない物であり、民間が所有していることは話にならない」という立場を明らかにした。

◇「一日も早く肥前刀を廃棄すべき」...一般に公開されていない『痛みの刀』

ファン・スンミン学生(果川外国語高等学校2学年)は「明成皇后は遺体もないまま殺害後2年2か月も過ぎて葬儀を行った」とし「今もその日の痛みをとどめる肥前刀を一日も早く廃棄してほしい」と話した。

文化財チェジャリチャッキは2006年、櫛田神社を訪問して肥前刀を確認して、関連事実を公開した。明成皇后殺害120回目の忌日を迎えた2015年にも日本外務省などに廃棄要請書を送ったが、日本外務省は答えなかった。

現在、櫛田神社は肥前刀を公開していない

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▲櫛田神社の案内文
肥前刀を公開する意思がないということを案内している。
  肥前刀は公開していません。
  今後も公開する予定はありません。
  ご了承お願いいたします。

(*弑害という用語は同じ国の臣下が君主を殺す行為のため『明成皇后弑害』と書く場合、朝鮮人が朝鮮の王妃を殺したという意味になります。正確な用語は『戕』としなければならないが、用語を知っている人が殆どいないため、より広い意味で使われる『殺害』という用語を使いました。)(機械翻訳 若干修正)