(聯合ニュース 韓国語 2017/11/07)

1980~90年代に小中高に通った世代なら、小さい色紙で鶴を折った記憶があるだろう。紙の鶴(以下「折り鶴」)1千羽を折ると願いが叶うという話を聞いて心を込めて折った後、机の上に置いたり、愛する人に贈った。1982年にはチョン・ヨンロクの歌『紙の鶴』がヒットして流行を扇動したり、少し前、人気の下に放送されたテレビドラマ『答えなさい1988』でも折り鶴を折って贈る場面が登場した。

折り鶴を折る風習は日本から始まった。十長生の一つである鶴は千年を生きるといい、昔から紙で鶴1千羽[千羽鶴]を折って長寿を祈願する意味で贈ってきた。広島で生まれた佐々木禎子さんは、1945年、2歳の時に原子爆弾の放射能にさらされ、12歳の時に白血病の診断を受ける。高校生が彼女のお見舞いをし、千羽鶴にまつわる物語を聞くと、禎子は切実な思いで鶴を折り始め、病院の他の患者も参加して数日後に1千羽を超える。しかし、周辺の応援も空しく禎子は亡くなってしまう。そうした事情が知られながら、折り鶴を折ることは青少年を中心にさらに広まった。バラク・オバマ,アメリカ大統領もこれを聞いて、昨年5月に広島を訪問の際、自ら折り鶴を折って贈った

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▲日本の広島平和記念資料館にバラク・オバマ,アメリカ大統領が折った折り鶴が展示されている

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▲日本,東京のオリガミ会館に展示された折り紙作品

折り鶴に代表されるチョンイチョプキ(チョンイ=紙 + チョプキ=折り。以下「折り紙」)は、我が国から日本に渡っていったと推定されるが、オリガミ(折り紙)という日本語で全世界で通用する。『禅』、『人蔘』、『豆腐』、『碁』を西洋でそれぞれ『ゼン』(Zen)、『ジンセン』(Ginseng)、『トーフ』(Tofu)、『ゴ』(Go)という日本語で呼ぶのと同じだ。折り紙の用語と方式も日本が国際標準だ。アメリカとヨーロッパなどの幼稚園と小学校ではオリガミという名前で日本式折り紙を教えている。

40年前である1987年3月、ノ・ヨンヘ氏は『紙文化再創造運動』の旗を掲げ、同年10月、韓国チョンイチョプキ協会を発起し、て韓国式折り紙の普及で先頭に立ってきた。1989年3月、正式に韓国チョンイチョプキ協会を結成したのに続き、2005年に紙文化財団を発足し、2010年に『K-チョンイチョプキ(Jongie Jupgi)世界化』(以下、K-折り紙)を宣言した。2012年に発足した世界チョンイチョプキ連合は現在、22か国46都市に支部を置いている。

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▲2015年5月23日、国会芝生広場で開かれた『第10回国会童心フォーラム』でチョン・カビュン国会副議長をはじめ、参席者がコッカルをかぶり、紙飛行機を飛ばしている。

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▲2015年11月28日、日本の東京韓国学校で開かれた『大韓民国チョンイチョプキ文化まつりフォーラム』に韓国と日本の作品が展示されている

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▲2016年5月27日、京畿道果川市の国立果川科学館で開幕した特別展『紙で表現する世界』で子供たちが紙で作った魚を観覧している。

ノ・ヨンヘ紙文化財団理事長がモデルとするのは、日本の伝統武術カラテ(唐手)(ママ)を抑えて世界的なスポーツに発展したテコンドーだ。K-折り紙もオリガミを抜いて世界の人の文化として根付かせるということだ。世界チョンイチョプキ連合の各国講師は、テコンドーが『チャリョ』(気を付け)、『アプチャギ』(前蹴り)、『クマン』(やめ)などの韓国語の号令と用語を全世界に通用させたのに倣い、『サムガクチョプキ』(三角折り)、『ハクチョプキ』(鶴折り)など韓国式用語で指導している。

折り紙がいつどこで始まったのか教えてくれる史料は伝わっていない。歴史学者は『日本書紀』に〈推古天皇18年(610年)、高句麗王(嬰陽王)が送った僧侶曇懲が紙と墨を作った〉という記録があるだけに、この時、折り紙も韓半島(朝鮮半島)から日本に伝えられたと見ている

三国時代から巫俗信仰に使われた『コッカル』(紙頭巾)を我が国の折り紙の原型だと見たりもする。

安東鳳停寺の創建説話によれば、統一新羅初期の文武王12年(672年)、義湘大師が栄州浮石寺(対馬仏像盗難とは別のお寺です)で紙で鳳凰を折って飛ばし、それが落ちた場所に寺を建てて鳳停寺と名付けた。

朝鮮初期の宰相・河崙(1347~1416)が作ったという『陞卿図遊び』も長い折り紙伝統の証拠に挙げられる。棒やサイコロを転がして高い官を獲得することを競う遊びだが、官職の名前を書き込んだ盤を折る方式が高次元の数学的原理を盛り込んでいる。

オリガミの原型も古代信仰の風習に遡る。神に祈って罪や不正をぬぐう『祓い』という儀式で紙人形を折って使ったのが始まりという。このような儀礼用折り紙は室町時代(1336~1573)に発達して今日も使われている。それに先立ち、平安時代(794~1185)末期の文人である藤原清輔が作った『清輔朝臣集』にカエルの折り紙に関する説明があり、江戸時代(1603~1867)には鶴・船・カエルなどの形を紙一枚で折る方法が70種類も盛んに行われたという。日本は第2次大戦後、オリガミを体系化し、日本国際交流基金(Japan Foundation)を前面に出して積極的に世界に伝播した。

紙文化財団関係者たちは、昔から韓紙の優秀性が広く知られている上、各種遺物、記録、伝統風俗などから韓国が折り紙の源流という事実は疑う余地がないと話す。ノ理事長は「韓民族のように日常生活で紙となじんだ民族はいないだろう」としながら「日本も壁と天井に紙を貼るが、部屋の床にまで紙を貼る国は大韓民国が唯一だ」と強調する。

来る11日、ソル・フン、ユ・ウンヘ、キム・ミンギ議員室と紙文化財団が国会議員会館大会議室で開く『第1回 大韓民国チョンイチョプキ歴史フォーラム』は、韓国が折り紙の元祖であることを宣言する場だ。衣類学者、民俗学者、数学者、伝統工芸家などがコッカル、紙花、百摺扇(百回折って作った扇子)、陞卿図遊び、神位の歴史と原理などを究明し、各界専門家たちと討論を繰り広げる。韓中日比較文化研究所のイ・オリョン理事長も韓国と日本の折り紙を比較しながら特有の洞察と慧眼を提示する予定だ。

折り紙元祖論争が両国間の感情争いに発展するのは望ましくないが、歴史を追跡して原理を把握して自負心を呼び覚まして発展の土台とすることは必要なことだ。折り紙は子供の頭脳発達と老人の痴呆予防にも役立つという。折り紙の原理と技法は宇宙科学と先端医学などにも使われている。長寿を祈願した折り鶴が米日間の友好のメッセンジャーとしての役割をしたように、K-折り紙が新しい韓流の寵児として浮上し、さらに韓民族の和合と世界平和の象徴となることを期待してみる。(機械翻訳 若干修正)