(池上彰が歩く韓国 to平昌)少女と徴用工 像からのぞく変化
(朝日新聞 2017/09/30)

 来年に韓国で開かれる平昌(ピョンチャン)冬季五輪・パラリンピックに向け、ジャーナリストの池上彰さんが韓国を取材するシリーズ。第4回は、開幕まで5ヵ月を切って大会に関心が向き始めた今、日本の人々にとって気がかりな活動の現場をソウルに訪ね、取材した。

大使館前の学生「日本好き」・「自制」呼びかける新聞

 どうもモヤモヤする。ソウルの日本大使館前に少女像 (1)が設置され、今度は徴用工像(2)まで。慰安婦と呼ばれる女性たちがいたことは事実だし、徴用工の存在もあった。日本人として申し訳ない思いがある。

 その一方で、日本は謝罪してきたし、相応の解決金も出してきた。ところが、それで終わらない。来年の平昌五輪に、日本から気持ちよく応援に行くには、この問題を何とかしたい。現地を見ることにした。

 ここで慰安婦問題を巡る日韓合意について確認しておこう。2015年12月、ソウルで行われた日韓外相会談で合意したもので、日本政府は、こう表明した。

 「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり、癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」

 その上で韓国政府が設立する財団に10億円を拠出。「今回の発表により、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と明記した。これを受けて韓国政府は、日本大使館前の少女像について「適切に解決されるよう努力する」と述べている。

 それなのに……である。

 まずはソウルの日本大使館前で少女像を「守っている」団体のメンバーに話を聞いた。「少女像籠城大学生共同行動」の朴志蓮(パクチヨン)さんだ。

 日本大使館が入るビルは韓国の警察が警備している。ビル近くの歩道に少女像が設置され、少女像の横にはビニールテントがあって、寝泊まりできる。大学生だが、休学して2年になるという。

 いつまでやるつもり?

 「韓日合意を廃棄するまでです」

 なぜこんなことを?

 「(慰安婦問題は)歴史の中の話だと思っていました。でも、(元慰安婦の)おばあさんの話を聞いて、今も進行していることだと知ったからです」

 大使館の前に少女像を置くことはウィーン条約(3)に違反していると日本は指摘する。条約では大使館の受け入れ国には「威厳の侵害を防止するためすべての適当な措置をとる特別の責務を有する」となっている。どう思う?

 「民間人が私費を投じてつくったもので、威嚇するものではありません」

 日韓合意で、慰安婦問題は解決済みと合意したことについてはどう思う?

 「おばあさんたちはそれに対して、とても反発しました。公式謝罪や法的賠償については何の言葉もなく、しかも賠償ではなく、補償金、寄付金の状態でお金をもらうという、怒るしかない状況でした」

 そのお金を受け取ったおぱあさんたちもいるが。

 「おばあさんたちも多様です。名誉と人権を回復しようという考えの人もいましたが、疲れ果てた人もいます。高齢ですし、『自分は終わりにする』という人もいるわけです」
 安倍総理が謝罪している。あれでは不十分?

 「真摯さをみせようとするなら、直接おぱあさんたちを訪ねるべきです」

 国民の選挙で選ばれた政府同士の約束は、それぞれの国民に不満があっても守るのが民主主義では?

 「大統領が国民を無視して結んだことです。私たちが朴槿恵(パククネ)大統領(4)を引きずり下ろした大きな理由の一つがこの問題だと思います」

 あなたは日本が嫌い?

 「いいえ、好きです。漫画も好きですし、ハハハハハ。すしも好きですし。隣の国ですし。外国に行けば、顔が似ているじゃないですか。日本人に会えば、懐かしくなります。歴史的な事実について解決すれば、もっと良い関係になるのではないかと思います」

 見るからに普通の女子学生だった。私の質問に時折目を泳がせる場面もあって、過去の日韓の交渉経緯について詳しくない様子も見受けられたが、元慰安婦の「おばあさん」への純粋な思いが原動力になっているようだった。

 一方、徴用工像を建設する動きはなぜなのか。

 韓国労働組合総連盟対外協力本部局長の曺善児(チョソナ)さんに聞いた。

 「慰安婦問題は国民全体が力を結集していますが、強制徴用の問題は今の時代に生きている労働者たちが掘り起こしていく必要があると考えました」

 日本で戸惑いが広がり、平昌五輪で韓国に行きたくないよね、という声もちらほら聞かれるが?

 「労働団体である私たちの場合、強制動員で日本の工事現場や工場で犠牲になったり、生き抜いてきたりした人々を改めて記憶することが重要だと考えるわけです。私たち自身が忘れてはだめだという趣旨でこの事業を始めました」

 日韓請求権協定(5目)で解決済みと日本政府は言っているが?

 「私たちは清算がされていないと思っています。実際にあったことをまた起こさないために、未来を模索するための合意が必要です。正常な状態なら、加害者が被害者に『申し訳なかった』と言い、被害者が加害者に『許します』と言います。それを基盤にして、これから平和に過ごそうという約束をします。それが正常な解決だと思います」

 国と国が約束したら、それは守らなけれぱならないのでは?

 「一般的にはその通りですが、『慰安婦問題は事実ではない、それらの人々は自発的に来た』などという人が日本の政界に出て来なければ、状況はここまでにならなかったでしょう」

 日本政府が謝罪しても、日本国内で「そんな事実はなかった」と言い出す人がいると、韓国側が硬化する。その繰り返しだということだろう。

 すでに徴用工像が立てられているソウル市内の竜山(ヨンサン)駅前。高齢の女性が像を熱心に見ていたので声をかけた。71歳だった。

 「おじいさんやおぱあさんが苦労した話を知っています。日帝時代(6)35年の苦労を知っています。今があるのは祖先のおかけです」

 日本をどう思う?

 「とても親切で、礼儀もあり、良い印象です。また(日帝時代に)汽車もつくり、韓国を発展させました。いい部分もありますし、感謝もしていますが、最後に正しく締めてくれればいい」

 驚いた。日本が朝鮮半島を統治していた時代、「日本はいいこともした」と日本の政治家が発言して大騒動になったことがあるが、まさか韓国の人から同じような発言が出るとは。でも、これも現代の韓国の一断面なのだろう。

 韓国の労働組合の方針について、私の韓国滞在中の9月中旬、韓国の新聞2紙が同時に社説で批判を掲載した。

 「『韓国は外国公館の安寧と品位を守ってくれない国』という世界の見方が、韓国にとって何の得になるのか疑問だ」(朝鮮日報)

 「日本は緊密な安保的協力関係を強めるべき、地理的に最も近い隣国だ」「感情的に葛藤を深めることは自制しなければいけない」(中央日報)

 少女像を守る女子学生が「日本は好き」とあっけらかんと発言し、新聞が自制を呼ぴかける。平昌五輪を控える韓国社会に、明らかに変化が見える。モヤモヤは消えないが、少し晴れた気もする

(1)少女像
 2011年、ソウルの日本大使館前で毎週行われてきた旧日本軍の元慰安婦らの抗議集会が1千回を迎えたのを記念に、慰安婦問題を象徴するものとして、日本大使館前に設置された。昨年12月には、釜山の日本総領事館にも設置された。このほか、今年夏にも韓国国内約10カ所で新たに除幕された。

(2)徴用工像
 韓国の労働団体が主導する市民団体が今年8月、植民地時代に朝鮮半島から労務動員された徴用工の像をソウルに設置したほか、日本の軍需工場が多数存在した仁川でも徴用工父娘像の除幕式を開いた。9月には、釜山の日本総領事館前にも来年設置すると発表した。日本は戦時中、労働力不足を補うため、約70万人を朝鮮半島から動員したとされる。日本政府は1965年の日韓国交正常化にあたり、植民地支配下での徴用や徴兵などの個人補償は韓国側に任せ、経済協力の形で清算に代えた。韓国政府も、徴用工問題は「解決済み」の立場をとっていた。

(3)ウィーン条約
 1961年に採択された外交関係に関する条約で、各国大使や外交官の身分保障や職能などが定められている。日本大使館前の少女像については、日本政府は条約で規定する「公館の威厳の侵害」に関わるとして、移転を要求してきた。

(4)朴槿恵大統領
 1979年に暗殺されるまで18年間の独裁政治を続けた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の長女で、2012年に大統領に当選した。しかし、職権を乱用したり企業に圧力をかけたりして友人のチエ・スンシル氏の国政介入を可能にした問題で弾劾(だんがい)訴追され、憲法裁判所から今年3月に罷免(ひめん)された。

(5)日韓請求権協定
 1965年6月、日本と韓国の国交樹立のため、日韓基本条約とともに調印された。この協定で、日本は韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力を約束。日本側は賠償問題は「法的には済み」の立場をとっている。一方、韓国政府は2005年から、日本軍慰安婦、原爆被害者、サハリン残留韓国人は協定対象外と主張。12年には韓国の司法が、「日本が植民地支配していた時代に徴用され、強制的に労働につかされた韓国人の元労働者らが、徴用先の日本企業に損害賠償などを請求する権利はまだある」と認めた。

(6)日帝時代
 日本が武力や外交によってアジア・太平洋地域に進出し、占領した時代の中で、現在の韓国と北朝鮮を日韓併合条約によって併合した1910年から終戦の45年までの35年を、韓国でこう呼ぶ。