(時事IN 韓国語 2017/09/28)

最近出した〈再び、日本を考える〉でソ・ギョンシク(徐京植)教授は和田春樹など日本のリベラル知識人がどのように変質し、日本右翼勢力の蠢動を放置したのか分析した。

日本で生まれて育った。『日本社会の動向から直接影響』も受けた。だが、参政権さえない『周辺化された人』。去る8月24日に出した〈再び、日本を考える〉でソ・ギョンシク東京経済大学教授は自らをこのように称する。在日朝鮮人である彼が10年余り前、主唱した『ディアスポラ(Diaspora:祖国を離れて散った人々)』と意が通じる紹介だ。

ソ教授の前作とは全く異なった本だ。彼はこれまで、在日朝鮮人と日本の右傾化問題を提起しながらも、文学・音楽・美術などをニカワ(訳不明)で書き続けた。〈再び、日本を考える〉は論駁そのものに集中する。“論客”ソ・ギョンシクの刃は安倍政権や『在日特権を許さない市民の会』など日本国内の極右勢力はもとより、進歩的知識人として知られた和田春樹東京大学名誉教授も正面から狙った。一歩進んで、彼は日本の終わりの見えない右傾化に、和田教授をはじめとする日本国内『リベラル』勢力の責任が大きいと診断する

9月9日、ソ・ギョンシク教授に会った。韓国語が完璧ではないソ教授は単語を慎重に選んだ。日本国内では排斥され、大韓海峡の向こう側はなじみが薄い、橋渡し役の洞察を聞くことができた。


-ろうそく集会から大統領弾劾までの一連の過程に対する日本社会の反応は?

「望ましくない」という見解が多い。大多数は韓国の民主主義が未成熟で後進的であるために起きたことだと見る。右派だけでなく、いわゆる『リベラル』なメディアや人々もそうだ。日本社会が民主主義を誤って理解しているからだ。民衆が場合によって実力を行使して政権を変えることもできるというのは民主主義の基本前提だ。韓国はそのような歴史を歩んできた。10年、20年ごとに大衆の手で政権を交替した経験がある。日本は明治時代から100年以上、このような政治的転覆を経験しなかった。敗戦後も天皇(日王)制は存続され、60年間、自民党が中心となった政界で国会議員は世襲をする。数万人が街頭に出て、政権が変わり、大統領や財閥総師が拘置所に入ることが日本では起き難い。こうした『偽の民主主義』を得意とするところが日本だ

-日本の民主主義はなぜ韓国と違うのか?

日本の民主主義の歴史を考察しなければならない。日本という国は天皇制を中心にした国家主義体制だった。1945年の敗戦後に入ってきた民主主義は自ら勝ち取ったのでなく、連合国に強要された理念だった。犠牲を払って獲得したものではなかった。軍国主義を実行した警察と政治家たちはきちんと清算されなかった。当然、植民地支配に対しても深く省察せずに、内部の矛盾が山積みとなった社会だった。1960年代中盤、日本が戦後民主主義の時期である時、韓国と台湾など周辺国は軍事独裁を経験していた。「日本はすでに民主主義国家だ」という自負心が広がった。日本に今見える民主主義に対する誤った優越感がここで胎動した

-右傾化も1960年代から始まったのか?

私が経験した1960年代の日本も正常ではなかったが民主主義を指向することはあった。学校を例にあげよう。学生時代の先生は「天皇制は当然なくなるだろう。人間社会は身分制ではない。君主制は未来がない」と話した。20年余り前までは学校で日章旗掲揚と君が代提唱は法制化されていなかった。これが帝国主義の象徴という教師たちがかなりいた。教員労組だけの声ではなく、議会にも3分の1程度の反対勢力がいた。変化が本格的に始まったのは1990年代だと見なければならない

-1990年代以前には右翼の声がなかったのか?

以前にも日本民衆の中に極右派がいなくはなかった。彼らの主張は水面上に浮び上がれなかった。右翼という単語を日本人たちは「とても殊常(怪しい・異常)な少数者」「人前で口にすることはできない話をする人々」程度に考えていた。極右派は本人の考えを〈朝日新聞〉や〈読売新聞〉に実名を言って書くことができなかった時期だった。右翼は明らかにいたが、牽制する力が本来の機能を発揮していた社会であった。今は「朝鮮人を殺せ」「朝鮮人女性を強姦しろ」という大っぴらな主張を市民が容認する。1990年代以降、反動期に入り、以前には想像し難い風景が繰り広げられている。

-契機になった事件があるのか?

1995年に村山富市総理が発表した『戦後50年の終戦記念日にあたって』と見る(村山談話)。1990年代初期、反動期に入る前の日本社会は希望があった。1991年のキム・ハクスンおばあさんの『慰安婦』証言以降、過去の歴史を省察しようという声が出てきた。アメリカを中心にした国際社会も圧力を加えた。このような雰囲気で1993年に河野談話が発表され、1995年には村山談話も出た。日本右翼の大反撃はこの時に始まった。アジアの総攻勢が日本人を冒涜するというような宣伝が全国的に行われた。「戦争が誤っていたとすれば、戦場で死んだ私たちの先祖は犬死をしたという話なのか?」というレトリックが流行した。攻勢は追い込まれた。1997年から『慰安婦』を記述した教科書が出始めたが、右翼勢力が着実に圧力を加えた結果、今は一種類しか残っていない

-謝罪談話に対する反作用という話か?

そうだ。単純に『右翼の力がとても強くなって』という解釈は不充分だ。右翼を牽制した『リベラル』が崩れ落ちた。1990年代がその基点になった理由は、東西対立構図と冷戦の終焉だ。どんな国でも、ある社会の内部にいる進歩派は東西対立構図に満ちた。精神的には社会主義という理想を代案とし、物質的には中国・ソ連などの地で支援を受ける場合もあった。冷戦構図が崩れると日本リベラルの思想的基盤も後に従って消えた。ヒューマニズムが正しく立っている国だったらソ連が崩壊しても『労働解放』以外の価値を堅持していくことができる。先立って話した通り、日本は民主主義を連合国から受けたうえに天皇制など旧体制がそのまま残った。進歩というものが何なのか、どんな力で貫徹していかなければならないのかを深く省察しないまま反動期に入った。根が弱いリベラル派は右翼の総攻勢の前に持ちこたえることが難しかった。最も重要な価値を妥協し、「イデオロギーの時代が終わった」という常套句だけが残った。

-具体的に『リベラル』は誰を意味するのか? なぜ『進歩』でなく『リベラル』なのか?

『リベラル(Liberal)』は社会的脈絡によって異なって使われる言葉だ。まず、本では『社会党・総評(日本労働組合総評議会)系グループ、新聞を例にあげるならば〈朝日新聞〉〈毎日新聞〉〈東京新聞〉とその読者層』程度の意味で使った。以前はリベラルに『進歩的』という語感が強かった。本物のリベラルであればフランス革命以後の普遍的価値観を目指すべきである。『日本リベラル派知識人』陣営も日本憲法の民主主義の価値と憲法9条に象徴される平和主義を擁護する見解を維持している。ところが、彼らは天皇制や米日安保条約に対して容認論・擁護論を展開し、植民地支配の責任問題に対する認識は欠如していたり、不足している。天皇制と法の前の平等は両立することができるのか? 平和主義とアメリカの『核の傘』はどうなのか? このような質問の前にリベラル陣営の態度は全般的に曖昧だ。この“曖昧さ”は過渡期的現象ではなく、日本リベラルの特性である

-進歩的知識人で知らされた和田春樹東京大学名誉教授を公開批判した

簡単なことではなかった。1980年代に韓国が軍事独裁を経験している当時、キム・デジュン(金大中)元大統領救命運動に立ち上がった方だ。私の個人的には兄たち(ソ・スン(徐勝)、ソ・ジュンシク(徐俊植))が監獄にいる時に連帯運動もしてくれた。実際、その文を公開してから日本リベラル主流では「ソ・ギョンシク一家は和田春樹の恩恵をたくさん受けたが礼儀がない」という批判を受けた。論点をぼかす非難だと考えて反論しなかった。私の批判は、韓日間の過去の歴史をどのように解いていくのかに対する和田教授の見解を焦点としている。それが本質だ。彼は1995年に発足した『女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)』で専務理事を務めた。国家次元の真相究明や真実の謝罪はなしに、誤解の余地がある補償金だけで『慰安婦』問題を解決しようとする試みであった。和田教授は2015年12月28日の『韓日慰安婦合意』に対しても“白紙撤回でなく、改造・改善”を主張する。和田教授のこのような見解は日本極右派に政治的利用価値が高い。

-パク・ユハ(朴裕河)教授の〈帝国の慰安婦〉日本語版後記に和田教授の名前が載せられたと書いている。

〈帝国の慰安婦〉は学問的にも文学的にも問題が多い本だが、ここで繰り返して話しはしない。どうして和田春樹と上野千鶴子、高崎宗司などリベラル派知識人の名前がこの本に入ったのか、日本国内で賞まで受けて大衆的人気を得ることになったのかが重要だ。私はパク・ユハ教授の著作が日本リベラル派の隠された欲求と合致するためだと見る。彼らは非合理的な右翼の国家主義と線を引きながらも、同時に植民地支配で取得した日本国民の特権も守りたがっている。理性的な民主主義者と過去の宗主国国民の地位のいずれも手放さないようにしているのだ。韓国人であり、女性であるパク・ユハ教授の言説はこのような日本リベラル知識人に魅力的だ。彼女は終始、韓国の過剰なナショナリズムを問題にする。韓日関係が悪化したことには、その人達の責任が大きいという論旨だ。日本では「〈帝国の慰安婦〉に反対する人達は韓国内の旧式ナショナリスト」という構図が組まれた。

-パク・ユハ教授は韓国検察に起訴されて控訴審が進められている。〈朝日新聞〉は「表現の自由の侵害」と批判した。国内でも同様の指摘が出た

起訴のニュースを聞いて初めに思ったのは「国家が出て検閲するのは望ましくない」であった。過去の軍事独裁時期の記憶のためだ。表現の自由は最大限に守られなければならない。可能であれば法でなく人民が判断するのが正しいと思うところが、必ず考えてみなければならない点がある。社会的弱者や少数者が自分の名誉や権利の侵害を受けた時、誰がそれを守るのかの問題だ。多くの国家が名誉毀損罪やヘイトスピーチ(嫌悪発言)禁止を規律にする理由は、反撃の手段がない弱者が自らを防御できるようにするためだ。『慰安婦』被害者おばあさんが自分の名誉が棄損されたと判断し、パク・ユハ教授を告訴するのは人間として持つ権利だ。被害者が自分の尊厳を守るために最後の抵抗手段を選んだことをひたすら誤りということはできない。「個人が持つ表現の自由を国が侵害した」という主張は耳によく入ってきて引かれやすい。この言葉は在特会をはじめとする極右勢力が伝家の宝刀とする主張でもある。パク教授が表現の自由を主張するには、自分の本が何を表現したのか、どのようにヘイトスピーチと違うのか説得しなければならない。

-自ら在日朝鮮人なので日本リベラルの変質がさらによく見えると考えるか?

必ずしもそうだと言うことはできない。在日朝鮮人だがよく見えていない人も多い。ある社会の主流で生きながら、その社会しか知らない人達にはよく見えない地点が明らかにある。日本の主流や韓国の主流、多数者がよく見ることのできないことが私には見える。貧しかったり、職がなかった場合、孤立して誰も私の話を聞き入れなかった場合、話をできなかっただろう。強かったり、立派なのでなく、偶然にこのような位置に立つことになって話すことができた。誰でもそうではない。少数者は力がなくていつも不安だ。心にシミが付いているが、よく話そうとしない。多数者に認められるようなモデルマイノリティ(modelminority:模範的な少数民族)、愛されるような少数者を演技する。日本でも広く知られた在日朝鮮人の知識人や俳優や…かなり多くの人達がそうだ。在日朝鮮人や沖縄の人達が仕方なく自ら肯定する話を聞き、「勇気を得た」「癒された」と話す日本人の多数者たちをたびたび見る。当たったが大丈夫だと笑う人達を見て「ああ良かった!」という格だ。殴ることをやめなくては。

-世代が交代していけば在日朝鮮人問題が良くならないだろうか?

私が若かった時も出てきた主張だ。その時も、韓国の歴史も知らずに文化も知らないまま日本に暮らす在日朝鮮人が多かった。2世、3世を越えれば在日朝鮮人という言葉自体がなくなるだろうと言った。日本人だけでなく在日朝鮮人自らもそう言った。風化するものであると思った。それで、日本人になるべきという人も、民族意識を持つべきという人もいた。私は両方とも民族概念に対する理解が不足していたと考える。北アイルランドやスコットランドを見よ。イギリスにどれくらい長く支配を受けたか。それでもアイルランド人、スコットランド人という認識が完全になくなったか? 民族意識はそんなことない。民族意識という実体があり、それは外部に発現するのではなく、他者との関係で絶えず生じている。在日朝鮮人の多数は自分の韓国名も知らず、韓国語で話もできない。それでも在日朝鮮人はいなくならない。今感じている抑圧や差別、不安感がなくなれば民族意識もなくなるかもしれない。だが、日本人たちがずっと植民地支配を追従して美化し、被害者である私たちを差別する限り、在日朝鮮人もいなくならない(機械翻訳 若干修正)


「白人の思想は至上ニダ派」? 「日韓和解につながることをするやつは敵ニダ派」?