(中部日報 韓国語 2017/09/26)

京畿道驪州市議会のユン・ヒジョン議員が壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時、加藤清正によって略奪されたと伝えられている『世宗医薬書醫方類聚(医方類聚 いほうるいじゅ)返還運動』を提案して注目されている。 

医方類聚は、朝鮮初期、世宗大王の多くの努力と数十回余りの使節および使節団派遣などを通じて国内外で出版された164冊の様々な医薬関連書籍を集め、国家機関主導の下に新たに集大成した世界最大の医薬百科事典だ

ユン議員は去る21日、驪州市議会本会議場で開かれた第29回臨時会第2次本会議閉会式での5分自由発言を通じて、「世宗大王の医薬業績で、全国に自生する漢方薬を時期に合わせて採集する内容を扱った『郷薬採集月令』と我が国の薬剤で病気を治療して処方ができるようにした『郷薬集成方』、国内外の医薬書を総網羅して作った『医方類聚』などが編纂された。だが、壬辰倭乱の時に略奪された原本が迷子になったまま日本にそのまま残っている」と話した。 

引き続き「フランスにある外圭章閣図書の返還問題も重要だが、世宗医薬書の医方類聚返還運動はこれより厳重に受け止めなければならない必要性がある」と強調し、「世宗大王が私たちに譲られたが、現在、日本宮内庁に保管中の医方類聚に対して恥ずかしくない子孫になるためには、今からでも早急に返還運動を積極的に展開していこう」と主張した。(機械翻訳 若干修正)


(分からないからタイムズ 韓国語 2017/09/26)

世宗大王即位600周年記念文化事業の一環として世宗医薬文化事業団(団長チェ・ヒョンイル)は日本宮内庁に保管中の15世紀の東洋最大の医薬百科事典である医方類聚(いほうるいじゅ)図書の返還を要請することにした

1442年、世宗は集賢殿副校理の金礼蒙、著作郞の柳誠源、司直の閔普和と集賢殿直提学の金汶・辛碩祖、副校理の李芮、承文院校理の金守温および医官の全循義・崔閏・金有智らに医方類聚の編纂事業を命じた。

また、安平大君瑢と都承旨の金思哲、右副承旨の李師純、僉知中枢院事の盧仲礼に監修するようにし、3年が経った1445年に全365冊を完了した。

参考図書だけでも約150種余りで、中国に何度も使節を派遣して漢・唐・宋・元時代の医薬関連書籍を可能なすべて収集したため、その目録を見れば現在の中国でも亡失した本が40冊余りも入っている。概略950万字、5万種以上の処方が入っているこの本は、最終的な発刊まで6代の国王を経て、34年という歳月が費やされた。

1477年(成宗8)に出版された唯一の乙亥字原本は、1592年(宣祖25)の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時、加藤清正が略奪して日本,仙台の医師工藤家に保管してきたが、現在、日本宮内省図書寮(宮内庁書陵部)に秘蔵されて残っている

1876年(高宗13)、江華島条約が強行された時、原本が我が国で亡失していることを再三確認した日本は、木活字重版本2帙を我が政府に修交記念品として献納した

この2帙のうち1帙は、朝鮮戦争中に北朝鮮が朝鮮王朝実録をはじめとする古文書と古図書を捕獲する過程で一緒に取得し、現在、医方類聚国文翻訳本として北朝鮮の医学科学院東医学研究所で翻訳したものが、1994年にヨカン出版社によって影印本で出版された。

残りの1帙は、高宗がその当時の御医であった洪哲普に下賜したが、その後に蔵書家の洪宅柱が所蔵していてたが、延世大学校の図書館に寄贈された。(機械翻訳 若干修正)


医方類聚(ウィキペディア)

医方類聚(いほうるいじゅ)は、李氏朝鮮の世宗期に編纂された韓医学書。全365巻(現存本は全266巻)あり、医書の中でも類を見ない量を誇る。

世宗25年頃より世宗より編纂の令が下り、世宗27年(1445年)に完成した韓医学書であり、李氏朝鮮初期の医学の集大成と言える本である。1477年に刊行された。全部数365巻と言う分量が示すように、膨大な量の中国・韓医書を参照した医学書の集大成とも言えるものであり、それ故に医方類聚(医方を一堂に集めそろえたもの)と呼ぶ。

世宗期に一応の完成は見たものの、分量が膨大であるために、さらに世祖期に校正が行われ、成宗8年(1477年)に校正版が刊行されている。

その後、燕山君の紊乱な政治、中宗期の明医学への傾倒などにより、医方類聚は顧みられなくなる。そもそも初版は30組ほどしか刊行されなかったと言われ、李氏朝鮮末期には完全に亡逸していた

しかしながら、日本にはこの書が伝来しており、数奇な運命をたどった。伝によれば加藤清正が文禄・慶長の役の時に持ち帰ったとするが、その後、工藤平助の家より多紀元簡の手に移り、その子多紀元堅によりこの書が紹介され、江戸医学館の学者達の手により抄出が試みられて『医方類聚採輯本』各種が作成された。

一方、復刻の試みも行われており、嘉永5年(1852年)、喜多村直寛の手により活字印刷の試みが行われ、10年の歳月を経て文久元年2月(1862年)に復刻版が刊行された。しかし、伝266巻のうち12巻が欠落していたため、渋江抽斎の手により補足がなされ完全本になった。

原本はその後、大学東校典籍局から官立浅草文庫を経て、宮内庁図書寮(現・宮内庁書陵部)に保管されている。これが現在存在する『医方類聚』唯一の原本とされる

この復刻本は、日朝修好条規の時に朝鮮へ贈呈されたと言われ、朝鮮医官を喜ばせ、修交締結に良好な役割を果たしたと言われている。


>初版は30組ほどしか刊行されなかったと言われ(ウィキペディア)

ほんとうに韓国内には1組もないの・・・? 同一王朝が継続していた時代に複数組、それも一組300巻以上の書籍がまったく無くなるなんてすごいですね。