(SBSニュース 韓国語 2017/09/25)

‐16世紀朝鮮の飛行体『飛車』の実体を探す

先週末、全羅北道金堤市で開かれた地平線祭りに興味深い造形物が登場しました。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に活躍した金堤出身の武官チョン・ピョンク(鄭平九)が発明したという飛行体『飛車』です。

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主催側の説明によれば、チョン・ピョンクは壬辰倭乱の晋州城戦闘当時に『飛車』という有人飛行体を作って良民救出、攻撃戦術などに使ったといいます。この説明に基づけばライト兄弟より300年先に朝鮮人が最初に空を飛んだということになります。これに対してインターネットでは「先祖様の知恵に感心する」、「常識的にとんでもない話だ。行き過ぎた愛国心が産んだ雲をつかむような話」など多様な反応が出たりもしました

●記録に登場するチョン・ピョンクの『飛車』

ライト兄弟より300年先んじたという有人飛行体『飛車』。まったく根拠のない説ではありません。『飛車』について説明した様々な歴史的記録が存在するためです。『飛車』は主に朝鮮末期の実学者の著作で登場します。朝鮮末期の実学者シン・キョンジュン(申景濬)の旅菴全書に登場する『飛車』についての記録です。

〈壬辰年間に嶺南の邑城が外敵に包囲された時、ある人が城の親分に飛車の法を教え、これで30里(1里=400m)の外に飛んで行くようにした。〉...〈嶺南の晋州城が倭軍に包囲され、チョン・ピョンクは普段の才を利用して作った飛車に乗って包囲された城の中に飛んで入って、30里の城の外まで知り合いを乗せて避難させた。〉

同じように朝鮮末期の実学者イ・キュギョン(李圭景)の著作である五洲衍文長箋散稿にも『飛車』についての記録が出てきます。

〈壬辰倭乱の時、チョン・ピョンクという人が飛車を作って晋州城に閉じ込められた人々を城の外に連れ出したが、その飛車は30里を飛んだ。〉

これらの記録によれば、朝鮮人チョン・ピョンクはライト兄弟が初の飛行に成功する300年前、人々を乗せることができる飛行体を作り、ライト兄弟より46倍長い12kmを飛行したことになります。ちょっと信じがたい内容ですが、このような『飛車』が実存したと主張する側は、壬辰倭乱当時の日本の記録をもう一つの証拠として挙げます。倭史記に登場する『飛車』です。

〈全羅道人チョン・ピョンクが飛車を使い(倭軍が)作戦を展開するのに困難を経験した。〉

●『飛車』は本当に『有人飛行体』だったのだろうか?

このような記録などを根拠に一部ではチョン・ピョンクを『記録に登場する最初の有人飛行機発明家』と評価したりします。実際、市中にはチョン・ピョンクを『飛行機発明家』として紹介した子供用偉人伝が出版され、売れていたりもします

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だが、『飛車』が本当に人が乗ることができる飛行機だったかについては多くの論議があります。『飛車』は様々な記録に登場して存在自体は認められていますが、それが果たして人を乗せて長距離を飛んで行くほどだったかについては学界でも意見がまちまちです。その理由は『飛車』の具体的な構造が伝えられておらず、『飛車』が登場する記録が概ね伝説と民話が混在した形態であるためです

現在、国立果川科学館にはハンググライダーと似た形状で、火薬推進体を備えた『飛車』の模型が展示されていますが、想像力を加味して作ったもので、100%信頼することはできません

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ところで最近、この『飛車』論議と関連して仁川ハヌル高等学校の生徒たちと仁川大学校研究チームが新しい説を出しました。まさに『飛車』は『有人飛行体』でなく、人の形のカカシを乗せた後、防牌鳶(長方形で中央に丸い穴をあけ紙の尾をつけた凧)にぶら下げて飛ばした『撹乱用飛行体』というのです

研究チームはまず、晋州城での現場実験を通じて物理学的にも気象学的にも『飛車』が人を乗せて飛び立つのが不可能であるという結論を下しました。晋州城の数十か所の地点で上昇風の風力を測定して流体力学に代入した時、『飛車』のような飛行体が人を乗せて自ら離陸することは不可能だということです。したがって、『飛車』が人の体重の重さを乗せて滑走路のない晋州城から離陸するには、現代の空母の戦闘機のような推進動力、すなわち射出システムを搭載する必要があります。だが、当時最先端の火薬技術である神機箭などを動力源として使用しても、物理学的に人を乗せて離陸するのは不可能だという研究結果が出ました

●研究チーム「飛車は『人の形のカカシを乗せた撹乱用飛行体』」

だが、壬辰倭乱当時の日本側記録である倭史記にも〈飛車が作戦を滞らせた〉という話が登場するだけに、『飛車』の存在自体がなかったと言うには無理があります。

そのため、仁川ハヌル高等学校と仁川大研究チームは『飛車』が今まで知られたのと違う形で存在したという仮定をたて、実験を通じて『飛車は人の形のカカシを乗せた撹乱用飛行体』という説を提示しました

実際、戦史には人の形の人形を飛ばして戦闘に活用した事例が登場します。第2次世界大戦のノルマンディ上陸作戦の時、連合軍が実際の上陸地点であるノルマンディー海岸西側の代わりに海岸の東に落下傘に乗せた人形『パラダミー(Decoy paradummy)』を投下したのです。ドイツ軍は空から降り注ぐパラダミーに向かって射撃を加え、弾丸はもちろん作戦時間を浪費しました。ドイツ軍がパラダミーの実体を知った時、すでに連合軍はノルマンディー西側海岸に成功裏に上陸を展開していました。

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▲映画The Longest-Day。ノルマンディ上陸作戦での『パラダミー』

研究チームは、このような事例に着眼し、『カカシを乗せた撹乱用飛行体』の形の『飛車』を製作し、これを防牌鳶にぶら下げて飛ばす実験をしました。実験の結果、有人飛行体の形とは違い、こうした形の『飛車』は実際の戦時状況での飛行が可能だという結論が出ました。『パラダミー』と似た形の『飛車』を晋州城を攻撃する倭軍の上に飛ばし、射撃の分散を誘導するなどの効果を上げたというのが研究チームが新たに提示した説です。

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研究チームの実験の結果に照らしてみると、『飛車』をむやみに『ライト兄弟より300年先に進んだ有人飛行体』と断定的に話すには無理があるように見えます。それよりは、晋州城での科学的実験を通じて導き出した仮説、すなわち「『飛車』は『パラダミー』と類似の形の『撹乱用無人飛行体』」という研究チームの説が『飛車』の歴史的実体に近いと評価するのがもう少し合理的だと思います

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だが、これもまた『飛車』の実体に対する“正解”ではないこともあるので、『飛車』の実体についての科学的、歴史的研究の道は開かれています。歴史の記録そのままに剥製されたまま伝えられるよりは、様々な研究と議論を通じて絶えず再発見されること。それが先祖の知恵が込められた『飛車』の価値と意味をさらに豊かにする道でないでしょうか?(機械翻訳 若干修正)


これは国民情緒法上の「反民族的研究の禁止」違反ですね。