(時事ウィーク 韓国語 2017/08/29)

自動ポンプと扇風機で有名な家電製品製造企業『韓一電機』。季節家電分野に限っては確固たる存在感を示しながら50年の長寿企業として命脈をつなげている韓一電機が高配当論議に包まれた。

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▲京畿道富川市中洞路に位置した新韓一電機本社全景

値段が安い中国企業などの攻勢のために会社が赤字の泥沼でさ迷っている状況でも、10年以上、高配当政策を維持して企業の財務負担を加重させている。1年に数億から数十億ウォンのお金が余剰金として出ていっているが、韓一電機は株式構造を明確にしていないため、このようなお金の流れが霧の中という状況だ。一部では韓一電機がキム・サンホ(金相浩 1926年に渡日(3歳)、2016年死去(93歳))創業者が在日同胞であり、日本資本から出発した企業という根拠に国富流出の懸念も提起している

◇赤字にもかかわらず高配当に固執する季節家電名家

“扇風機名家”韓一電機が収益性の悪化に苦しめられている。10年近く主な実績指標が黒字と赤字の境界線を行き来している。このような中でも『新韓一電機』は高配当政策を持続して、会社の内所をより一層難しくてしていた。新韓一電機は『韓一電機グループ』を支える核心系列会社で、韓一電機とともに工場を運営する生産法人だ。通常、消費者が呼んでいる韓一電機という名称には新韓一電機まで含まれたものと思えば良い

29日、金融監督院の電子公示によれば、新韓一電機の昨年の売上規模は324億ウォンにとどまった。これは新韓一電機の初の会計年度である2000年からの去る17年間の平均売上(865億)の3分の1に過ぎない金額だ。価格競争力に技術力まで兼ね備えた中国産ポンプと生活家電の氾濫にも売上だけは後退する兆しを見せなかった新韓一電機の売上墜落が始まったのだ。

営業利益(3億)と当期純利益(7億)はかろうじて黒字に達した。4年ぶりに再び両部門とも赤字脱出に成功した。57億ウォンの営業赤字と63億ウォンの当期純損失を被った2013年に比べて目覚ましい実績改善を成し遂げた

だが、祝砲を早く放ったのだろうか。新韓一電機は昨年の純利益の126倍(配当性向1,266%)(12.6倍?)に達する90億ウォンを配当金として支出した

昨年の事情はさらに深刻だった。27億ウォンの当期純損失を記録した中でも30億ウォンの年次配当を実施した。2014年に一度配当をスキップした韓一電機は、57億ウォンの営業赤字と63億ウォンの当期純損失を被った2013年にも5億ウォンを配当金として支給した。

このように、新韓一電機は金融監督院に監査報告書公示され始めた2000年以降、今まで合計197億ウォンを配当金支出に使った。それでも、この期間の新韓一電機の配当政策のすべてに問題があるわけではない。社会的に容認される程度の水準の、適切な規模の配当も数回行われた。ただし、これは2000年代初めのことで、徐々に時間が経つにつれ、新韓一電機は収益比で“身に余る”配当を実施した

◇10年分の配当金197億…オーナー一家・日本に分配

問題は、新韓一電機の配当金がどこにどのように流れたのかの把握が容易ではないという事実だ。新韓一電機の最大株主(100%)の韓一電機が株式構成を明確にしていないためだ。

新韓一電機を含めた韓一電機グループ全体系列会社が非上場社という点を考慮すると、株式は『韓一2世』キム・ヨンウ(金泳佑)会長を始めとした特殊関係者らが大半を保有している可能性が高い

これを土台に見ると、配当金もキム会長と家族あるいは周辺親戚に流れたものと見られる

配当金の一部は日本に流れた可能性も提起されている。韓一電機が日本企業である『湖南精工』から出発した企業という事実がこのような推論を裏付ける。湖南精工は在日同胞であるキム・サンホ創業者が設立した会社で、韓一電機の一部株式を保有していると知られる。

これと関連し、韓一電機グループ関係者は「会社の株式構成を公示しないことは内部方針による決定と考えら、配当については全く分からない」と話した。(機械翻訳 若干修正)

2016年06月13日


もう、外国企業と外国人、さらに在外韓国人の投資や株式購入を禁止しないとね。


キム・サンホ氏は亡くなるまで「民団滋賀本部顧問」だったようなので、生活の拠点は最後まで韓国ではなく日本だったんでしょうね。日本生まれで日本育ちのキム・ヨンウ氏はどこを拠点にしているのかな。

(the bell 韓国語 2017/04/18)

(略)一方、韓一電機は現在、創業者の息子であるキム・ヨンウ(金泳佑)会長が率いている。彼は1952年生まれで、日本,早稲田大学政治経済学部を出て、2007年から2012年までは新韓金融持株の社外取締役として活動することもした。創業者であるキム・サンホ(金相浩)前会長は昨年下半期に亡くなった。(機械翻訳 若干修正)


湖南精工(湖南グループ)のサイトを見ると

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代表は金原宣秀氏ですね。キム・サンホ氏は「金原」を名乗っていたことがあるようで↓、金原宣秀氏は自らを「2代目社長」といっているので↓、金原宣秀=キム・ヨンウかもしれませんね。

 [企業探訪] (株)韓一電機株式会社①
(江原福祉障害者新聞 韓国語 2017/01/11)

(略)韓一電機グループ創業者一石キム・サンホ(金相浩)名誉会長は在日同胞出身で、韓一電機の前身は日本の湖南グループで、ロッテグループと同じように韓日両側にまたがる。

キム・サンホ会長は、元々、家は代々数百石まきの田畑を所有した泗川郡の富豪だったが、当時、日帝の収奪とキム・サンホ会長の祖父が苦しい隣人の借金の保証を誤って家産をほとんど使い果たすことになった。

家族の生計のためにキム・サンホ会長の父は苦心の末、日本に渡っていくことにし、その後、妻と子供たちを日本に呼び入れた。当時、キム・サンホ会長の年齢満3歳であった

以後、神戸高等学校を卒業したキム・サンホ会長は、1943年9月、大阪の軍需工場である大同重機工業に入社して技術を磨きあげた。後に故国に戻って先進技術を導入するという一念で自分を叱咤した。

光復後、故国に対する懐かしさで帰国を推進したが、一身上の問題で挫折した。以後、家計が厳しくなり、家の生計のために伐採やガラス瓶事業を試みたが、相次いでき失敗した。以後、苦心の末、1951年1月16日にガラス工場跡で古物商である『金原商店』(現在の湖国商会)を創業し、技術者としての自らの才質を発揮して廃品を活用した洗濯機部品など機械部品を作り始めた。

このように製作された金原商店の製品は品質を認められて三洋電機から注文を受けるようになり、依頼を受けた物品をさらに補完して納品することによって信頼を築いた。これは普段から技術者を天職と考えて、暇あるたびに技術を練磨してきたキム・サンホ会長の技術第一主義が反映された結果であった。

これに支えられてキム・サンホ会長は1954年6月1日、機械部品を専門で生産する『湖南鉄工所』を設立し、絶え間ない技術改善と築かれた信頼を通じて、結局、三洋電機から1959年夏、アルミニウムパイプのバンディン加工などいくつかの部品を湖南鉄工所が作る条件でOEM方式で完成品の生産を依頼された。

キム・サンホ会長はこれに完全な完成品生産のために新しい工場を設立し、第一に品質の充実を図る。第二に安全作業を確立する。第三に計画経営を確立するという三つの経営哲学を立てて事業家としての地位を固めた。(略)(機械翻訳 若干修正)
事業創発・事業支援 「平成20年度「エグゼクティブ・プログラム」について
(滋賀大学産業共同研究センター報, No.08 2009/06)

湖南電気株式会社 代表取締役 金原 宣秀

当社は、草津市において某家電メーカーとの合弁企業として創業し、家庭用電気洗濯機・衣類乾燥機の一貫生産を主なる事業とし、今年で創業55年を迎える「湖南グループ」の中軸となる会社です。その中で、私はいわゆる2代目社長として約10年前から経営を任されるようになり、日々成功と失敗、挫折感と達成感を織り交ぜながら業務に取り組んでおりました。(略)