(済州トゥデイ 韓国語 2017/07/31)

「日帝強制徴用労働者像を済州に設置する」という7月20日付済州トゥデイの記事を読んで筆者は驚いた。

道内26個の労働、社会団体が参加する『済州地域日帝強制徴用労働者像建立推進委員会』の記者会見の記事であった。

「植民地支配を正当化し、多くの人々の人生を踏みにじった強制徴用は必ず責任を問わなければならない反倫理犯罪行為です。」

「すでに多くの国際社会でも、強制徴用が国によって暴力的に強圧された労働が明らかであると明確にしているにもかかわらず、肝心の当事国である日本は強制性はなく、合法的手続きによる行為であり、賃金未未払い差別待遇などの問題はないと主張している。」

「日本は自分たちの過去の誤りを認めず、最小限の謝罪や責任さえ回避する今の現実を変えなければなりません。」

「それは、過去を正しく記憶して変えることから始めなければなりません。過去を正しく記憶して正すことは、現在を生きていく私たちの責任」と趣旨を明らかにした。

推進委員会は今後、2,000人の参加を通じて、来る10月中に済州日本総領事館前に労働者像を設置することを目標にして事業を推進することにした

国家記録院によれば、済州地域の強制徴用者は1,700人という。日帝強制徴用労働者像は2016年に日本に設置されたのを皮切りに、ソウル、仁川、慶尚南道、済州で推進されている。

民主労組は、韓国労総と共同で平壌にもこの労働者像建立事業を推進しているという。

以上が7月20日付の記事の内容であった。全文に近い記事を紹介したのは、推進委員会が追求する事業目標を再認識し、筆者の意見を述べたかったためだ。

日帝強制徴用に対する日本政府の対応への批判には筆者も同感だ。しかし、その解決方法の一つとして日本領事館前の労働者像設置には賛成できない

日本政府に対する抗議と反省の要求の中で設置される労働者像が、そうした期待を満たすことができるのかについては、むしろ逆効果を招くだけだ。

駐韓日本大使館と総領事館の前に設置された慰安婦少女像は、韓日政府間に最も大きな障害として浮上し、解決の糸口ははるかに遠いまま、未だに漂流中にある。

少女像設置も日本の歪曲された歴史認識を正すための趣旨とし、日本政府に警鐘を鳴らすためのものだった

ところが、韓国のその期待よりも、日本政府はもちろん、一般の日本国民も韓国はひどいという認識により傾いている

韓日間の歴史認識では、日本の良心勢力だけでなく、普遍的な日本人たちにも韓国の論理に肯定的で共感する人々も多い

こうした日本国民も、自国の公館前に歴史認識の象徴的な慰安婦少女像に対した時、手は内側に曲げると冷静性を離れて韓国はひどいという感情の単純化に変わってしまう

私たちの当然の論理の中で展開された一つのデモ性に、彼らには熟慮が欠如した心理の中で過激であるという嫌悪感の対象として認識することになる

日本に住みながら日本人との日常の中で多くの日本の人々と知り合ってつきあった。その中には韓国をとても好きな人、韓国を体質的に嫌いな人、また、全く無関心な人々もいる。

韓国を嫌い・無関心な人々が韓日間の歴史認識で意図的に一方的な非難をするならば、少女像や労働者像を設置して正面抗議も必要である。

問題は、韓国を好きな日本人にまで、こうした韓国の正面抗議が嫌悪感の対象になり、反射作用で好意的だった韓国感が薄められるという事実だ

結局、愛国愛民族次元で反省を促すために設置した慰安婦少女像は、生産的な韓日関係とはかけ離れた葛藤の火種をもたらしてしまった。

労働者像も同じだ。まったく考えてもいない日本人の間では「今回は労働者像まで!?」という絶句が聞こえるようだ

私たちが要求する事項を貫徹させるためなら、相手方が理解して納得できる方法を模索しなければならない。互いに協議と合意が必要なことを押し通して解決されることはない。

済州日本総領事館前に設置するという労働者像は、それで再考しなければならない。韓日間の新たな葛藤だけを煽るものものである。逆効果だけ産む労働者像の設置に筆者は反対する。

▲キム・ギルホ(金吉浩)
1949年12月済州市三陽出身、1973年に兵役を終えて渡日、1979年「現代文学」11月号短編「汚染地帯」初回推薦、1980年<大阪文学学校>1年修了(本科52期)、1987年「文学精神」8月号短編「霊歌」で推薦完了、中編「生野アリラン」で2005年第7回海外文学賞受賞、2006年小説集<生野アリラン>発刊、2007年<生野アリラン>で第16回海外韓国文学賞受賞、1996年日本中央日刊紙<産経新聞主催「韓国とどのようにつきあうのか」>小論文1位入賞、2003年インターネット新聞「済州トゥデイ」の「キム・ギルホの日本の話」コラム連載中、韓国文人協会、海外文人協会、済州文人協会会員。現在、日本大阪に居住しながら執筆している。(機械翻訳 若干修正)