(ソウル新聞 韓国語 2017/07/07)

ファン・ソンキ論説委員

韓半島(朝鮮半島)南部と日本の九州地方の往来は数千年前に遡る。それだけ釜山と日本の歴史は長い。高麗末に倭寇の侵入を受けたが、朝鮮時代に倭人が増え、ジャパニーズタウン、倭館を置いて管理した。草梁倭館だ。1876年に日本が釜山を開港させた後、領事館を設けたところも東光洞だ。解放後、日本総領事館が開設されたのは韓日国交正常化の翌年である1966年。このような地方総領事館が韓日の国際的関心を集めたのは先月だ。

日本外務省は6月1日、森本康敬釜山総領事の退任人事を発表した。後任は道上尚史ドバイ総領事(58)であった。6月16日付朝日新聞のコラムでソウル支局長を務めた箱田哲也論説委員は総領事の“更迭”経緯をこのように書いた。〈(釜山総領事館前の少女像設置により)一時帰国していた森本が記者と食事をしながら交わした発言が流出した。自国民保護を担う総領事だから早く戻って仕事ができたらいいといった発言を、別の報道機関の記者が『政権批判』とし、政府高官に流した。逆鱗に触れた。〉

「通常の人事」(日本政府)、「事実上の更迭」(安倍政権に友好的な産経新聞)、「異例の交代」(反安倍性向のの朝日新聞)。評価がまちまちである人事であった。

道上総領事が6月30日に釜山に赴任した。韓日第2の都市、釜山と似ているという大阪が故郷だ。『コリアスクール』で韓国勤務が4回目だ。正確な韓国語を駆使し、7年近い韓国経験を基に数冊の本を出版した。今年出版した『日本エリートはズレている』では、今もアジア最高だと勘違いしている日本、そして道上総領事の勤務経験がある韓国、中国、中東のグローバル化を比較した鋭い分析がおもしろい。

道上総領事は赴任するやいなや、2001年に東京に留学中、駅で日本人を助けようとして亡くなったイ・スヒョン氏の釜山の墓地を参拝した。釜山商工会議所会長、釜山市長を表敬訪問して赴任の挨拶回りをしている。だが、肝心の総領事館がある東区庁長に表敬訪問を申し込んだが拒絶された

パク・サムソク東区庁長に聞いた。「アメリカ,アトランタ日本総領事の『慰安婦は売春婦、少女像は憎悪の象徴』発言を聞き、政治的に利用されかねないと考えて面談の申請を断った。今後も会わない」という。

総領事館前の少女像を撤去しにきたのでもないのに、「国民感情もそうだし、会えばポータルサイトのリアルタイム検索に上るようだ」というパク庁長の心配は杞憂だ。一国を代表して釜山の人と疎通するという外交官を突っぱねるのは礼儀がない。(機械翻訳 若干修正)

2017年06月28日