(日本経済新聞 2017/5/31)

 北朝鮮の挑発が止まらない。国際社会の厳しい批判を無視し、弾道ミサイルの発射を繰り返している。ところが、就任したばかりの韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領には、しきりに南北関係の改善を求めている。政権発足から3週続けて弾道ミサイルを発射しつつ、秋波を送り続けるのはなぜか。

 「今こそ共に手を握り、関係を改善して統一の大通路を開くべきときだ」(19日)「同族同士で力を合わせれば、対話と協力、平和と統一の道が切り開かれる」(27日)

 最近の強硬姿勢から想像しにくい美辞麗句が並ぶ。2つとも北朝鮮メディアが発した文在寅政権へのメッセージだ。ラヂオプレスが伝えた論評などを読むと、朴槿恵(パク・クネ)前大統領は「許しがたい反統一犯罪を働いた逆徒」など激しい言葉で罵るが、現政権に関しては政策を批判しても文在寅氏の名指しを避けるなど配慮がうかがえる。

 北朝鮮の要求は明らかだ。決まり文句は「6.15共同宣言と10.4宣言を履行しよう」2000年6月に金大中大統領と金正日総書記による初の南北首脳会談で署名した「6.15南北共同宣言」と、07年10月に盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と金正日氏による2回目で合意した「南北関係の発展と平和繁栄のための宣言」を指す。

■南北協力事業で流れた巨額の外貨

 「6.15」を契機にして、金大中、盧武鉉両政権は「包容(太陽)政策」を掲げ、本格的な経済協力事業を開始。南から北へ巨額の資金が流れ込んだ

 1つは朝鮮半島の名勝、金剛山(クムガンサン)の観光事業だ。北朝鮮は約10年間で約5億ドル(約555億円)の外貨を獲得。その後もホテルや温泉など総額約3200億ウォン(約320億円)に上る韓国側資産を強制収用し、中国人など向けに観光事業を続けた。

 もう1つ、開城(ケソン)工業団地は韓国側の総投資額が約5500億ウォンに達する。04年末に稼働し、ピーク時には5万3000人を超えた労働者を通じて毎年9000万ドル規模の外貨を得た。韓国側から受け取る人件費の米ドルはすべて最高指導者の金庫に入り、労働者の賃金は北朝鮮ウォンで払った。その他、韓国が00年代以降に支援した肥料やコメ支援の総額も1兆ウォン超に達するとされる。

 南から北にわたった資金は、合法的なものばかりでない。00年の首脳会談では、大手財閥の現代グループが北朝鮮の「見返り要求」を受けて5億ドルを不正に送金した疑惑が浮かび、韓国の裁判所は金大中政権幹部の関与を認定。「カネで首脳会談を買った」実態が明るみに出た。

 さらに、南北経済協力の活発化とタイミングを合わせたかのように核・ミサイル開発を加速したため、「南北協力資金が軍事目的で使われた」との批判も強まった。金正日氏から金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長に代替わりした後は、いっそう巨額の費用をつぎこむようになった。

 韓国国防省の推計によると、これまでに寧辺(ニョンビョン)の核施設建設、ウラン濃縮とプルトニウム生産、計5回の核実験など、核開発に最大20億ドル近くを費やしたもよう。核専門家の「60億ドル以上費やした」という指摘もある。弾道ミサイルの開発・生産でも、10年ごろまでだけで「20億ドル規模」との推測があった。最近は日常的に試験発射を繰り返しており、その費用も雪だるま式に膨らんでいる。

 保守系の李明博(イ・ミョンバク)政権が発足すると、金剛山観光は08年に韓国人観光客の射殺事件で中断。10年の韓国哨戒艦沈没事件や延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件で、南北交易や経済交流はほぼストップした。残る開城工団の操業も、朴槿恵政権の16年2月に止まった

■カネかかる核・ミサイル開発

 国際社会の制裁強化にもかかわらず、正恩氏はカネのかかる核・ミサイルの挑発をやめようとしない。それでも、武器輸出など非合法な外貨稼ぎはもちろん、合法的な鉱物輸出や労働者の海外出稼ぎなども規制の網が狭まり、北朝鮮に友好的とされた国々にも呼応する動きが広がる。正恩氏が統治資金のやり繰りに焦っているのは間違いない。

 そんなとき、北朝鮮が待望した政権交代により、韓国に文在寅政権が誕生した。以前は「まず平壌に行く」と語っていた文氏は、北朝鮮の度重なる挑発を受けて「核問題が解決できる前提ができれば」と慎重な言い回しに変わった。それでも、さっそく韓国の民間団体に北朝鮮側との接触を承認。対話による関係改善に加え、開城工団や金剛山観光の再開も模索する

 文氏は「盧武鉉氏の遺産」の履行に強い意欲を示す。目標の一つが、盧武鉉氏が南北首脳会談で合意した「10.4宣言」の実現であり、まさに北朝鮮が要求しているものだ。「海州(ヘジュ)に経済特区を建設」「黄海に共同漁労水域を設置」「開城工団の第2段階を開発」「開城―新義州(シンウィジュ)間の鉄道と開城―平壌間の高速道路を改修」「南浦(ナムポ)・安辺(アンビョン)に造船協力地区を建設」「ソウルと白頭山(ペクトゥサン)に直航路を開設」……。読み返すと、具体的な経済協力の項目が並ぶ。

 当時、韓国統一省は実現にかかる費用総額を「15兆ウォン近く」と見積もり、民間シンクタンクには50兆~100兆ウォン以上に達するとの試算もあった。約10年たち、さらに巨額のプロジェクトとなる可能性もある。どれも国際的な制裁の流れに反し、動き出す気配はないものの、北朝鮮は南北対話を促すテコとして頻繁に持ち出してくるだろう

 北朝鮮外交の原則は「日米韓中ロ」の使い分けだ。正恩氏が直接交渉したい相手は自らの体制の安全を保証できる米国だけだが、過去には米朝関係を動かすために日本や韓国に一時的な柔軟姿勢を見せるのも常とう手段だった。

 「南北対話に前向きな姿勢を見せれば、手っ取り早く外貨を獲得できて、トランプ政権との橋渡しも期待できるかもしれない」。そんな正恩氏の計算は、韓国政府も承知のうえだ。だが北朝鮮は、中国が強く反発する地上配備型ミサイル迎撃システム(THAAD)を引き合いに出し「全民族の厳しい目を忘れず、遅滞なく撤去の勇断を下すべきだ」と強く迫る。今後も日米と足並みをそろえて核放棄を強く主張し続けられるか。まだ文在寅大統領は明確な方針を打ち出していない