(連合ニュース 韓国語 2017/04/13)

日本人が忠清南道天安市の国立望郷の丘(海外で死亡した韓国人のための国立墓地)に建てられた『日帝強制徴用謝罪碑』を『慰霊碑』に置き換えたことが確認され、警察が捜査に乗り出した。

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13日、忠清南道天安西北警察署と国立望郷の丘によると、11日午後、望郷の丘の無縁遺骨合葬墓地内の日帝強制徴用謝罪碑が『慰霊碑』と書かれた標示石に換えられたまま発見された

謝罪碑の標示石上板に慰霊碑という標示石を重ねたものと見られる

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標示石にはハングルで『(慰霊碑)日本国 フクオカ県・ヨシダ ユウト(吉田雄兎)』と書かれている

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警察は、1985年に謝罪碑を建てた日本人の息子が、自分の知人を韓国に送って標示石を換えたものと見ている

※参考:元の姿
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日本人の謝罪碑
あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制連行されて
強制労働の屈辱と苦難の中で 家族を想い 望郷の念も空しく
貴い命を奪われました
私は徴用と強制連行を実行指揮した日本人の一人として
人道に反したその行為と精神を深く反省して
謹んで あなたに謝罪いたします
老齢の私は死後も あなたの霊の前に拝跪して
あなたの許しを請い続けます 合掌
1983年12月15日 元労務報国会徴用隊長 吉田清治


先立って、自分が標示石を換えたと自任する日本人が、日本から望郷の丘に国際郵便を送ってきた文である。

手紙を書いた人は自らを〈1985年、ここに謝罪碑を建てた日本人、吉田雄兎の息子吉田エイジ(漢字不明)〉と紹介した

彼はA4用紙2枚分量の手紙に日本語とハングルで〈私の父は強制徴用の責任はない。謝罪する必要はない。慰霊碑が当然である〉と主張したという。

また、〈当初の謝罪碑には父の名が『吉田清治』と書かれているが、元々の名前は『吉田雄兎』である〉と付け加え、自分の電話番号と住所まで書いた

望郷の丘は去る7日に手紙を受け取って特に疑念もなかったが、11日、担当職員が休暇後に復帰して標示石が換えられたことを確認し、警察に捜査を依頼した。

無縁遺骨墓地には閉鎖回路(CC)TV(防犯カメラ)がないため、正確な時点を知ることはできないが、標示石が換えられた時期は先月末から今月初めの間と望郷の丘は推定した。

吉田エイジと実際に標示石を換えた日本人の知人など、同事件と関連した日本人は現在、日本にいる状態だ

望郷の丘関係者は「この問題をどう処理するのかをめぐり会議をしている」、「少なくとも1人の韓国人協力者がいたのではないかという気がする」と話した。

天安で石材加工をしているある専門家は、重ねられた慰霊碑標示石について「国内で製作されたものと見える」、「しかし、天安でこの標示石を作ることができるところはない」と伝えた。

警察は、標示石を換えた人が公用物損傷の疑いがあるとみて捜査しているが、日本に住んでおり、捜査が難航している

警察関係者は「外国人が国内で犯罪を犯した場合、刑法に基づいて処罰することができる」、「警察署に出頭して調査を受けるようにするが、出頭要請に応じない場合、積極的に対処するのには限界がある」と話した。

天安市西北部の聖居邑に所在の望郷の丘は、日帝強占期に故国を離れて亡国の悲しみと苦難の中、故郷を思い描いて亡くなった在日同胞をはじめ、海外同胞の安息のための国立墓地で、1976年に造成された。(機械翻訳 若干修正)


(連合ニュース 韓国語 2017/04/13)

(略)吉田清治は、日帝侵略時、強制徴用を主導した人物として知られる

彼は年が寄って、自分の行動を懺悔する内容の自叙伝を書いた。この謝罪碑は彼の自叙伝の印税で建てられた

彼は1983年に謝罪碑が建てられた際、イベントに直接参加もしたと望郷の丘は説明した。

望郷の丘関係者は「吉田清治は、石碑で自分を徴用隊長と称しながら自分の行動を懺悔したが、日本では彼を嘘つきと思っていると聞いている」「遺族たちは彼が徴用に加担したということ自体から全面否定し、このような蛮行を犯した」と説明した。(略)

望郷の丘は近いうちに施された『慰霊碑』碑石を壊し、原状回復する方針だ。(略)(機械翻訳 若干修正)