(聯合ニュース 韓国語 2016/11/28)

この席にいらっしゃる主な潜竜が各党で国民の意思に合致する党論が早急に用意されるように党内で積極的に指導力を発揮してほしいという要請を申し上げ…真相調査と政局収拾までは党を中心に協力が行わればならず、その責任が成功的に遂行された時、国家の未来、ビジョンを中心にした私たち潜竜の競争がより有効に成り立つことができるのではないか、そのように考えます。」

去る20日、『非常事態政治会議』でシム・サンジョン(沈相奵)正義党常任代表(国会第4党、議席6。中道左派、社会民主主義を志向)の発言のうち一部であるシム代表が2度使用した『潜龍』という言葉はもちろん『潜在的な大統領候補』を意味するのでしょう。この言葉を文字どおり解釈すれば『水の中に潜っている龍』という意味である。しかし、王朝時代にはより具体的な意味が別にあった、『今後、王になる人物』という意味がまさにそれである。「私たち潜竜」という表現を使ったのを見れば、シム代表は自身も『潜竜』に含まれるものと考えているようである。『民衆運動』をしてきたシム代表がまさか自身を『王になる人』と考えているはずはないだろう

『チェ・スンシル(崔順実)国政壟断』事態の背景には、絶対王権に近い強大な大統領の権力と九重宮闕を連想させるほど隠密で陰険な権力の作動方式が位置している。このような弊害をなくさなければならないと言いながら、多くの人々が憲法改正とこれを通じた権力構造改編の必要性を強調しているが、それが果たして法と制度の問題であるだけなのかは疑問である。私たちは知らず知らずの間に民主共和国大韓民国の国家元首を王朝時代の王と同一視しているのではないだろうかそのような無意識が言語生活を通じて現れた一つの例が『潜竜』という言葉かも知れない。それなら『潜竜』が『潜』を離れて『龍』になった後、その顔は『龍顔』(王(天子)の顔))となり、彼が座る席は『龍床』(王座、御座)となるのか。

選挙シーズンになるとしばしば登場する『大権』という言葉も、民主共和国には似合わない言葉という感じがする。標準国語大辞典は『大権』について「国の最高統治権者である国家の元首が国土と国民を統治する憲法上の権限」という説明をつけたが、実際に憲法を見るとこの用語はただ一度も出てこない。この言葉も王の権力を指す言葉だった。朝鮮王朝実録には『潜竜』と同じように『大権』という言葉も何回も出てくる。例えば「官職に賞を与え、刑罰で威厳を施すのは人主(王)の大権で、下の人に移して与えられないものです」(太宗9年5月30日司憲府の上表文)という式である。

近代的意味で『大権』という用語の起源は、この言葉を『天皇(日王)の絶対権力』という意味として使った帝国主義時代の日本に探すことができる。日本世界大百科辞典電子版は『大権』について「大日本帝国憲法下で国法上天皇に属していた権能。広義では統治権の全範囲で立法権・司法権を含め、狭義には議会の同意や独立機関に委任せず、天皇が独自にする行為をいう」と説明している。我が国の憲法学者が確立した『大統領の非常大権』という概念も帝国主義日本の憲法から始まったということができる

大統領が側近を主な公職に任命するなどの方法で国政の掌握力を高めようとする時に『親政体制の強化』という表現をよく使ったりする。『親政』というのは『王が国の情事を直接つかさどる』という意味である。国王が幼かったり病気などの事情で統治できない時、誰かが王権を代理する『摂政』に対比される。『親政』であれ『摂政』であれすべて王政を前提とした用語なので、大統領制の下では話にならない言葉である。

かつてパク・クネ(朴槿恵)大統領と弟パク・チマン(朴志晩)EG会長の名前に付いた『令愛』や『令息』は、王に関連した用語ではないが、『上の人の息子・娘を高めて言う言葉』という点で、やはり身分制社会の遺産である。今でもよく使われる『令夫人』という用語は国家元首の夫人に対する優遇という次元で必要性が認められるかも知れないが、万人が平等であるという民主社会で大統領の子供だからと特別な尊称を付ける理由はないだろう

元・現職大統領が死去した時に使う『逝去』という言葉も、もう一度考えてみる必要がある。『崩御』などのように王の死去を特定する言葉ではないが、これも明らかな敬語である。大統領を務めた方が息をひきとったといって、その死を特に高く呼ぶべきか。現代社会でも宗教家が亡くなった時は『召天(キリスト教)』、『善終(天主教)』、『入寂(仏教)』など特定の宗教で死を言う用語を使う場合がある。しかし、これは故人の宗教を尊重するという意味以上に高めることの意味はないと見なければならない。大統領の殺害をめぐり『弑害』という用語を使うことも適切でない。この言葉は明確に『王を殺す』という意味であるためである

大統領は国民が委任した権力を一定期間行使できる『一番の公職者』であるだけで王や皇帝ではない。風雨をもたらす雲上の龍になることもできない。法が認める優遇を受けるのは当然だが、自然人としてはそれは誰の上にもいない一人の市民であるだけである。容易ではなくても、大統領自身も、その周辺の人々、そして国民皆がこれを忘れてはならない。

その為に大統領を王に比喩したり、大統領が万人の上の存在という趣旨を含んでいるすべての用語を話すことも、文として書くこともしないでほしい
。<論説委員>(機械翻訳 若干修正)


朝鮮半島版南北朝ですね。