(ニューシス 韓国語 2016/02/18)

韓国広報専門家ソ・ギョンドク(徐敬徳)誠信女子大学教授チームが、近づく三一節(祝日。1919年3月1日の独立運動を記念する日)を迎え、国内に残っている日帝時代の強制徴用地域に案内板を立てるプロジェクトを始めると18日、明らかにした。

現在、ソ教授チームが案内板を立てようとしている所は、仁川市富平区のサムヌン(三菱:日本の代表的な戦犯企業であるミツビシの漢字表現)地域と釜山市機張郡の日光鉱山(日本の住友鉱業株式会社(現・住友金属鉱山)が鉱山開発を進めた所)である。

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写真は日本の住友鉱業株式会社の事務所がそのまま保存された姿。(機械翻訳 若干修正)


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▲サムヌンの列社宅の過去の写真

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▲現在のサムヌン地域の列社宅の様子

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▲日帝時代の家屋そのままの姿で保存された家屋

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サムヌン地域のよく保存されていない列社宅の姿

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サムヌン地域の列社宅の路地の姿

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▲現在の鉱山の村の全景の姿


(聯合ニュース 韓国語 2016/02/18)

「我が国の中にある日帝強占期の強制徴用歴史遺跡はよく知らず、日本の端島(軍艦島)と高島などの強制徴用現場を隠そうとする一部(日本の誤記?)政府を咎めるばかりしないでおこう。」

ソ・ギョンドク(徐敬徳)誠信女子大学教授が強制徴用の辛い歴史が残っている仁川市富平区のサムヌン地域と釜山市機張郡の日光鉱山を見て回った後、自ら反省した

サムヌン地域は三菱軍需工場で強制徴用された労働者の宿舎があった所。当時、家が大規模に並んでいることから『列社宅』とも呼ばれた。また、日光鉱山は朝鮮人を強制的に銅採鉱に動員し、当時の事務所や労働者の住宅などがまだ原型そのままに残っている所である。

この地域を最近、現地調査したソ教授は18日、「日本の強制徴用の事実を全世界に知らせることをしてみると、自然に国内で行われた強制徴用地域も調査したが、案内板一つないことが残念だった」としながら「歴史を隠したり歪曲しようとする日本を咎めるだけして、肝心の我が国内の強制徴用遺跡には無関心だった態度を反省しなければならない」と打ち明けた。

彼は続いて、「強制徴用の歴史の現場に少なくとも案内板一つでも立てなければならないと考えた」とし「今後、ネチズン(ネットユーザー)と共にインターネット(nadofunding.sbs.co.kr/project/33/)を通じた募金運動を行い、近いうちに案内板を設置する」と明らかにした。

ソ教授は昨年、ネチズンと共に韓国人観光客および日本現地人に強制徴用の事実を知らせるために『長崎平和資料館』(長崎原爆資料館とは関係なし)に3か国語でつくられた案内書を製作して寄贈した。(機械翻訳 若干修正)


三菱の方は人が住んでいるようですね。

富平サムヌン、三菱社宅地の学術調査が必要
(仁川in 韓国語 2015/03/30

大統領直属の地域発展委員会(委員長イ・ウォンジョン/以下地域委)が去る24日、『脆弱地域の生活環境改造プロジェクト』事業の候補地85か所のうち仁川の3か所を含め、来る4月から本格的な事業に入ると明らかにした中、仁川地域の対象事業地の事業を推進する場合、該当地域の歴史的、文化的価値を先に調査し、仁川の価値を保存する方向で事業が推進されなければならないという意見が提示された。

地域委が仁川地域の『脆弱地域の生活環境改造プロジェクト』候補地域に選定したところは計3か所で、東区万石洞の漁村の脆弱地域住民自生のためのオーダーメード型都市再生事業(万石洞2-102番地一帯)、富平区富平1地区の脆弱地域生活環境改善プロジェクト(富平洞760-270番地一帯)は都市地域で選ばれたところで、江華郡江華山城西門の里の村の農村脆弱地域生活環境改造事業(江華邑官庁7里一帯)が農村型候補地域に選ばれた。

このうち富平1地区は地域委の発表によれば、日帝時代に建てられた老朽不良住宅が密集した仁川市富平区富平洞760-270番地一帯(7,659㎡)で、最終候補地に選ばれた場合、今後、約40億ウォンの国費が支援される予定だ

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▲解放直後の富平一帯と主な施設

富平区の発表によれば、富平1地区は生活環境が劣悪で87戸の住宅にわずか63人の住民たちだけ居住している。これらすべて脆弱階層で65歳以上の老人32人、障害者10人、基礎生活受給者(生活保護に相当)12人、次上位階層9人となった。(次上位階層:潜在的貧困層。基礎生活受給対象のすぐ上の階層を指す言葉)

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▲三菱新社宅地の現在の様子

地域委の候補地発表では、富平区は総事業費50億ウォン(国費40億ウォン、地方費10億ウォン)を確保し、今後3年間で合計87戸の老朽不良住宅と基盤施設を整備する計画であると明らかにした。具体的な住宅改良事業として富平区は許可建築物の改良28戸、無許可建築物の家の修理30戸、空・廃家の撤去20戸、良好建築物の存続9戸で計画している。富平区はまた、都市再生事業の趣旨により、富平1地区の住民の参加を拡大し、住民の再定着を積極的に誘導し、住居環境改善を推進するという計画も付け加えた。

富平1地区の別名『サムヌン』 -三菱新社宅と共に旧社宅もまだ存在

最近、万石洞ケンイブリ村の住居環境改善事業が住居地再生事業の優秀事例とされたのとは異なり、行政が事業を主導して住民共同体が破壊され、村が持つ空間的価値が少なからず毀損された点を知らせた仁川都市公共性ネットワーク会員たちが去る29日、富平1地区の現場を訪問した。

富平1地区はまだ富平の人々に『サムヌン』という倭色地名の記憶が遺伝している所であるそのことをそのまま見せてくれるかのように、29日に訪問した富平洞760-270番地一帯、約2,317坪の敷地は、周辺のマンションとアパート、商店街などに囲まれたまま三菱社の社宅村がその形態を維持したまま残っていた

サムヌンというのは、日本3大財閥企業(住友、三井)の一つである三菱の漢字音で、三大企業の中で対外認知度が最も高い企業であり、日本重工業の象徴格の企業である。しかし、軍需工場に飛び込んだ三菱は第2次世界大戦の代表的な戦犯企業の一つである。

富平1地区は、日帝廃亡直前である1940年代初めに軍事武器を製造する日本陸軍造兵廠の部品下請け業者である三菱社が工場労働者の寮団地を造成したところだ。現在、把握されている寮団地の規模は戸あたり33㎡前後で合計87戸が確認可能だが、正確な団地の規模は把握することはできない状態だ。(略)

富平の生まれ育ちで、この一帯で代々暮らしてきたという住民A氏は「ここはかつて三菱社宅地周辺にヴィラなどが建築されて今よりはるかに広かった。」としながら「ここは下士官が起居する所で、あの丘の上に将校が働いている社宅地が別途であったし、労働者たちはあの向い側の旧社宅地に住んでいたと聞いた。」と伝えた。(略)

現場踏査に共に参加した地域史研究者であるキム・ヒョンソク市民と代案研究所研究委員は「ここが新社宅地というのは合っている。ここから遠くないところに旧社宅地もあるが、まだ残っているのか分からない。今回の地域委の候補地域選定では旧社宅地は含まれないようだ。」と述べた。

富平米軍基地の返還控えた仁川 -仁川のアイデンティティと価値を保全するためにも近代遺産まともに調査しなければ

一行は住民たちに聞きながら三菱社の旧社宅地を訪ねて行った。そしていくらも行かずに“東樹北路72番地”、過去の地番住所では富平洞760-870一帯に昔の面影を見ることができる三菱旧社宅地を探すことができた。

旧社宅地の様子も新社宅地の状況と大きく異ならなかった。面積は新社宅地より小さくて実際に暮らしている住民も少なく見えた

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▲三菱旧社宅地の現在の様子


過去、京仁鉄道沿いに位置した三菱の工場建物はすでにアパートに開発され、現在は斗山アパートが入っている状況で、この地域の歴史的痕跡を教えてくれるのは三菱の旧社宅地と新社宅地が唯一残っている。

あらゆる再開発の余波の中でもこの2つの社宅地が残ることができた理由について、イ・ソンジン仁川都市公共性ネットワーク共同代表(協同組合仁川路地文化守護代表)は「小さな住居空間に多くの庶民が集まって住んだので、再開発をしたときは補償の難しさのために残ったようだ。」としながら「富平三菱社宅以外にも万石洞で仁川機械製作所の労働者社宅などがそうして残された」と解釈した。(略)(機械翻訳 若干修正)


住民は自称「強制徴用被害者・遺族」になるのかな。


Pen(ペン) 2016年 3/1号 [創刊400号記念 ニッポンの世界遺産]
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