(東京新聞 2015/11/11)

【北京=城内康伸】 本紙は北朝鮮の工作員を養成する「金正日(キムジョンイル)政治軍事大学」(平壌)でスパイ活動の目的や方法を教育する際に使用する内部文書を入手した。拉致工作の重要性を指摘し、その方法などを詳細に記述している。朝鮮労働党関係者によると、金正日体制下の一九九〇年代後半に作成されたとみられる。拉致について教える文書の存在が確認されたのは初めて。最高指導部の方針に従った国家挙げての工作活動の一環だったことを裏付ける一級の資料となる。

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▲北朝鮮の工作員養成機関の内部文書の一部。「1.拉致による情報資料収集」(赤線)と題された項目では、「首領(故)金日成同志は次のように教示された。敵情をよく理解し、戦闘しなければならない」(青線)などと記述されている=城内康伸撮影

 内部文書は、金正日政治軍事大学が発行した「金正日主義対外情報学」という題名の対外秘密に指定された文書。入手したのは、その上巻で、三百五十六ページという膨大な量に上る。労働党関係者によると、金正日氏が総書記に就任した九七年以降に作成され、少なくとも総書記が死去した二〇一一年まで、海外で活動する工作員を養成する過程で使われていたという

 金総書記は〇二年九月に行った小泉純一郎首相との会談で、「八〇年代初めまで特殊機関の一部が妄動主義に走って」拉致を行ったと釈明した。しかし、今回の文書で、北朝鮮がその後も、少なくとも拉致に備えた準備を周到に行っていたことも併せて判明した。

 文書は冒頭で「首領(金日成(キムイルソン)主席)が創始した対外情報理論を、金正日同志は深化発展させ、党が対外情報事業(活動)で指針とするべき理論的武器を準備した」と強調。文書に盛り込まれた工作活動が、金総書記の指導に基づくことを明記している。「工作員を情報核心として養成すると同時に、派遣組織(の運営)事業をしっかりと行わなければならない」との金総書記の言葉を紹介する。

 拉致については「情報資料の収集や敵瓦解(がかい)をはじめとし、さまざまな工作で適用される」と説明「拉致対象の把握では、住所や頻繁に出入りする所、日常的な通行ルート、利用する交通手段、時間などを具体的に把握しなければならない」などと列挙し、拉致における重要事項を挙げた。

 また「拉致した人物が抵抗する場合、処断することもできる。その場合には痕跡を残さぬようにしなければならない」と、拉致対象者の殺害にまで、内容は及んでいる。

 「拉致」など工作にかかわるいくつかの言葉は、北朝鮮の発音ではなく、韓国の発音に基づいて表記されるなど、工作員の主要な活動領域である韓国の実情に合わせて訓練されていたこともうかがわれる。

 <金正日政治軍事大学> 朝鮮労働党、軍、政府機関などの幹部となり得る人材の育成と工作員を養成する教育機関。別名で「労働党130連絡所」「人民軍695部隊」とも呼ぶ。1946年に設立された金剛学院が前身で数度の名称変更後、92年に現在の名称に。教育期間は4年とも6年ともいわれる。海外で活動する工作員の養成過程では、射撃や格闘、水泳、語学などを徹底的に教育。87年に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元死刑囚は前身の金星政治軍事大で、1年間の短期集中教育を受けたとされる。

【核心】 北朝鮮拉致 目的・手法生々しく
(東京新聞 2015/11/11)

本紙が入手した北朝鮮の内部文書で工作員養成用のテキスト「金正日主義対外情報学」には、拉致の目的や手法について詳しい記述がある。北朝鮮が工作員の一部による犯行だと主張する日本人拉致が偶発的な事件ではなかったことが事実上、証明された。日本人拉致の再調査結果報告をめぐり、膠着状態にある日朝協議の行方にも波紋を投げそうだ。(北京 城内康伸)

工作員養成文書

■釈 明
 「一九七〇年代、八〇年代初めまで特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走ってこういうこと(拉致)を行ってきた。私が承知するに至り、責任ある者は処罰された。これからは絶対にない」

 北朝鮮・平壌。二〇〇二年九月十七日、金正日総書記は訪朝した小泉純一郎首相(当時)との会談で、日本人拉致事件を認め、このように述べた。「拉致は自分の知らぬ問に、〝跳ね返り者″が勝手にやった」との説明だ。

 しかし、特殊機関を指導していたのは総書記自身ではなかったか、との見方はこれまでもあった。工作員を育てる「金正日政治軍事大学」の内部文書は、金総書記の釈明を完全に覆したといえる。「敵情を十分に理解するためには、舌(情報源など対象者)を捕まえてくる必要がある」。「拉致および奪取による情報収集」という項目は、故金日成主席による言葉の紹介から始まる

■教 育
 文書の題名にある「金正日主義」という言葉が北朝鮮の公式メディアに初登場したのは九二年八月。朝鮮労働党関係者は文書の作成時期について「早くても九七年後半以降」と断言する。金総督記が「拉致は八〇年代初めまで行われた」としたのとは異なり、その後もずっと拉致工作が教育されていたことになる関係者は「金総書記が一一年に死去するまでは使われていたはず」と話す。総書記が小泉首相に再発防止を約束した後も拉致教育は続いていたわけだ。

 文書は情報資料の収集や破壊謀略工作を目的とした拉致について解説。金総書記が拉致の背景について小泉首相に①特殊機関での日本語教育③被害者の身分を利用した韓国への不正入国―などと指摘したのと、文書が挙げた拉致の目的は異なっているが、拉致そのものの手法は共通する。

 その拉致の手法は、①拉致対象に甘言を弄して誘い出す②対象が通る一定の場所に隠れていて不意に連れ去る③対象がいる場所を奇襲して拉致する―に分類。過去の日本人拉致被害者の事例を当てはめれば、八三年にロンドンで失跡した拉致被害者の有本恵子さんは①に、七七年に新潟市で下校途中に拉致された横田めぐみさんは②に当たる。

■任 務
 文書は「拉致活動でまず重要なのは、対象に関する調査を先行させ、戦術をしっかりと立てることだ」と強調。「拉致グループは最小限度の人員で編成する半面、監視と拉致実行、援護などの任務を担当別に分けて遂行」「拉致対象の性格や趣味、特性、行動秩序などを具体的に正確に把握する必要がある」などと教える。

 拉致現場での実践要領も貝体的だ。「現場に痕跡を残してはならない。拉致事実が分かれば、捜査策動が始まる可能性がある」と警告。拉致対象の「迅速な制圧」方法として、薬で眠らせたり、強打で失神させたり、恐怖に陥れたりするなどの例を挙げる。

 衝撃的なのは「拉致された人物が必死にもがいたりする」場合には「処断も可能だ」とする点だ。金日成主席の「一部の反動者は処断するのもいいだろう」という発言を載せた上で、文書は次のように教示する。

 「銃殺する方法、毒針で刺したり毒薬を飲ませる方法、刃物で刺したり殴打したりして殺す方法、所持品に爆薬を設置して殺す方法など処断の方法は、実にたくさんある」

 韓国に亡命した元工員は言う。「文書は工作員養成の初期に使われるテキストだ。理論の学習が終わると、いよいよ厳しい実践訓練が待っている」 


なぜ東京新聞? それもこんな↓タイミングで・・・と思うのは勘ぐりすぎですかね。


拉致調査報告、北が「越年も」と説明 訪朝の有田議員
(共同通信/産経新聞 2015/10/31)

 北朝鮮を訪問していた民主党の有田芳生参院議員は31日、北朝鮮による日本人拉致被害者などの再調査について、報告書がほぼ完成しているが日本への提出は「年を越すかもしれない」との説明を北朝鮮側から受けたと述べた。訪朝を終え経由地の北京で報道陣に語った

 有田氏は27日から訪朝、日朝協議に関与する北朝鮮高官らと協議した

 北朝鮮側は、報告について口頭ではなく文書で提出したいと説明。また、日本政府が報告書の中身に納得できず受け取れないという局面になれば「一方的に発表せざるを得ないということもあり得る」と話したという。


新版 ブルーリボンの祈り
横田 早紀江 彼女を支える仲間たち
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