(聯合ニュース 韓国語 2015/09/03)

忠清南道瑞山市は、姉妹都市である日本,奈良県天理市が昨年4月に撤去した日帝強占期の朝鮮人強制労働と慰安所に関する説明板の再設置を正式に要請したと3日、明らかにした。

撤去された説明板には、1944~1945年の柳本飛行場建設当時「多くの朝鮮人労働者が動員や強制連行によって、つれてこられ、きびしい労働状況の中で働かされました」「慰安所が設置され、そこへ朝鮮人女性が、強制連行された事実もあります」という説明が記録されていたことが分かった。

この説明板は1995年に天理市と天理市教育委員会が共同で天理市立公園に設置したが、昨年4月に撤去されると日本国内の一部の市民の間からも問題提起があったと現地メディアを通じて伝えられた。

市は書簡文で、朝鮮人の証言などを基に製作された説明板が撤去されたことについては韓国内でも懸念の声が高まっており、地域市民団体からも再設置を要求する建議が提起されたと指摘した。

また、説明板はそれ自体が平和と人権について考えることのできる立派な教育の場であり、一日も早く説明板が再設置されなければならず、瑞山市と天理市の長い間の友好協力が変わることなく続くことを期待するという立場も表明した。

イ・ワンソプ瑞山市長は「25年間も友好交流を続けてきた姉妹都市に敏感な事案についての要求書簡を送る決定は容易ではないことだが、真の友好交流はお互いの過去と現在の両方をありのまま受け入れ、それに基づく相互尊重から始まるというものであると考え、今回の措置を決めた」と明らかにした。

瑞山市は1991年に日本,奈良県天理市と姉妹提携し、行政研修と中学生交流など25年間、行政と文化交流を続けてきた。

天理市は2001年に歴史歪曲教科書の非採択を宣言し、西海岸油流出事故と台風コンパス被害当時に寄付を送ってくるなど、瑞山市と格別の友情を築いている。(機械翻訳 若干修正)


昨年4月まで設置されていた説明板↓

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大和海軍航空隊大和基地跡について
(通称・柳本飛行場)

一九四四年(昭和十九年)九月十五日から、大和海軍航空隊の飛行場(通称、柳本飛行場)の建設がはじまりました。建設事務所は、柳本駅西側におかれ、労働者の宿舎も建ち、一般団体からの勤労奉仕も加わって工事が進められていきました。

飛行場用地は、三〇〇ヘクタールといわれ、そのうち二七〇-二八〇ヘクタールは朝和村領でした。同村の田畑全耕地面積が五〇〇ヘクタールといわれ、五五%以上が軍公用に徴収されました。(天理市史より抜粋)

工事は、川の付け替えから始まり、神社・寺・墓地なども廃棄や移転が命ぜられました。


この建設工事には、多くの朝鮮人労働者が動員や強制連行によって、柳本の地へつれてこられ、きびしい労働状況の中で働かされました

強制連行された人たちは、次のように証言しています。

「寝ているときに急に人が入ってきて連れていかれた。一九四三年の秋だ。」

「トラックで運ばれたあと、貨物列車に乗せられて、着いたのが柳本だった。何百人といた。私の村からは四人いた。とにかく多かった。」

「朝五時半に起きて、飛行場建設にあたった。沖縄戦が始まってからは、夜にも(山の斜面に)トンネルを掘らされた。」

     「朝鮮人強制連行と天理柳本飛行場」(奈良・発掘する会)より抜粋 

また、「慰安所」が設置され、そこへ朝鮮人女性が、強制連行された事実もあります。その女性たちの過酷な半生は戦後一切わかっていません。

平和を希求する私たちは歴史の事実を明らかにし、二度とくりかえしてはならないこととして正しく後世に伝えるためにこの説明版を設置いたします。

      天理市・天理市教育委員会

2014年06月27日


“日本国内の一部の市民”?

天理・柳本飛行場跡の説明板撤去で学習会 「朝鮮人労働者強制連行」で最近の聞き取り報告
(奈良の声 2015/09/02)

 奈良県天理市内の太平洋戦争中の軍事施設、柳本飛行場跡に市が設置していた説明板が撤去された問題を考える学習会(市憲法を生かす会主催)が1日、同市守目堂町の市男女共同参画プラザで開かれた。

飛行場建設の際にあったとされる朝鮮人労働者の強制連行などの証言の聞き取りに取り組んでいる市民団体「いのちと平和を考える会」会長の稲葉耕一さん(72)が、最近の聞き取りなどについて報告した。

 市が1995年、同市遠田町の公園内に設置した柳本飛行場跡の説明板には、教員を中心とした市民団体の聞き取り調査結果などを踏まえて、朝鮮人労働者の強制連行や朝鮮人女性の慰安所設置があったとする記述があった。しかし、市は2014年4月、「強制性については議論があり、説明板を設置しておくと、市の公式見解と誤解される」との理由で撤去した。

 稲葉さんは、こうした説明板を「公が立てることは当時、画期的なことだった」と述べ、撤去後、再設置を求めて、市への申し入れや署名集め、学習会などの運動が起きていることを紹介した。

 最近の聞き取りでは、飛行場建設の勤労奉仕で動員された男性から証言を得たとした。当時、旧制郡山中学の生徒だった男性は、労働者が上官とみられる人物にむちで打たれたり、腕立て伏せをさせられたりする虐待現場を目撃したという。稲葉さんが男性に、飛行場建設における朝鮮人労働者の強制連行について説明すると、男性は「今にして思えばあれは朝鮮人労働者だったのだろう」と述懐したという。

 参加者との意見交換では、市内の年配の男性は、説明板撤去に対し議会はなぜもっと声を上げないのかと憤った。男性は「子供のころ飛行場跡周辺には在日朝鮮人がたくさん住んでいた。市議は親から聞いて飛行場建設のことは知っているはずなのに」と話した。


↑の証言は「朝鮮人」かどうかわからないし、意見は「強制連行」かどうかわかりませんが、こんな内容を集めて、「聞き取り調査の結果、朝鮮人労働者・朝鮮人女性が強制連行されたのは事実」とか言っているんですかね。