寄稿 人類の歴史遺産を評価する場を政治利用した韓国ロビーの実態と「不戦」外務省の内幕を代表団の一員が語る  (ニューズウィーク日本版2015年7月28日号 2015/07/22)

 加藤康子(こうこ)(都市経済評論家・内閣官房参与)

ドイツ・ボンで開催された第39回ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界遺産委員会で7月5日、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録された。

10年以上にわたり、多くの地方自治体や市民、国内外の産業考古学者と共にこの日のために歩んできた。今まで知られていなかった産業遺産が、地域の資源として脚光を浴びることになる。地元の皆さんの顔が脳裏によぎった。

だが、歴史的瞬間に歓喜を味わいながらも後味の悪さが残った。ICOMOS(国際記念物遺跡会議)の登録勧告を受けていながら、日本は韓国に世界遺産の政治利用を許してしまった。

会議で登録の決定がなされたとき、砂をかむような思いをしたのは私だけではない。日本の各地で画面にクギ付けになって応援をしてくれた多くの市民がその思いを共有した。

私は16年間登録を目指して一緒に頑張ってきた皆さん、応援していただいた皆さんに、心から申し訳ないと思った――。

(編集部注)「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録を目指した日本政府は7月2日、世界遺産委員会が行われでいたドイツのボンで、産業連産に長年携わってきた都市経済評論家の加藤康子氏を内閣官房参与に任命した。故加藤六月農林水産相の長女である加藤氏は、産業遺産研究の第一人者で、財団法人「産業遺産国民会議」の専務理事や筑波大学客員教授を務める。

「明治日本の産業革命遺産」は8県(鹿児島県、熊本県、長崎県、佐賀県、福岡県、山口県、静岡県、岩手県)、11市(鹿児島市、長崎市、佐賀市、北九州市、中間市、大牟田市、荒尾市、字城市、萩市、伊豆の国市、釜石市)に立地する、19世紀後半から20世紀初頭にかけての急速な産業化を物語る遺産群である。

20世紀の初頭、日本は非西洋諸国で初めて工業立国の土台を構築し、造船、製鉄、製鋼、石炭など重工業において急速な産業化を成し遂げた。1853年、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の浦賀来航に呼応し、江戸幕府は2世紀余り続いていた大船建造の禁を解いた。諸藩は海防の危機感から蘭書片手に反射炉を建造し、大砲の鋳造と洋式舶用機械修理工場を建設、洋船の建造に試行錯誤で挑戦した。侍と科学の出会いだった。

それからわずか半世紀、明治日本は人材を育成し、蒸気から電力へ産業システムを構築し、自ら産業革命の担い手となった。8県11市の23の産業遺産群はこの急速な産業化の道程を証言している。今回の世界遺産委員会は人類全体にとってのその普遍的価値を世界に発信する場だった。

だが、韓国の執拗なプロパガンダにより、第二次大戦中の徴用問題という本遺産群の価値とは異質の政治問題を持ち込まれ、議論の論点がすり替えられた。

本来の私の役割は推薦書の作成と今年5月のICOMOS勧告までであり、その後は外務省にバトンを渡した。政府の一員として支援をしてほしいという要請を受けたのはボンに入ってからで既に会議が始まっていたときだ。私は自由な気風で生きてきたため、初めは2度お断りをした。

7月のボンはうだるような暑さで日は長く、レンタカーのハンドルを握ってホテルに戻るのは深夜を回ることも度々あった。私はやれることはすべて損得なしに全力で取り組むことをポリシーにしてきた。民間人とはいえこの5年間、政府と一緒にやってきたつもりだ。手弁当で日本から応援に来てくれた関係団体の皆さんの姿に、最後の局面で悔いを残さないよう、その要請を受けることにした。

韓国政府の執拗な反対運動

韓国政府は、今回の世界遺産委員会で執拗なまでの反対運動を展開した。ICOMOSの幹部が「日本に同情する。よく耐えられる。韓国政府は審査員全員に反対文書を持って訪問した。だからICOMOSは韓国のICOMOSに文句を言った。ルール違反だからやめてくれとお願いした。だが、政府がやっていることなのでとの一点ばりだった。早くこの世界遺産委員会が終わってほしい。韓国ロビーは耐え難い」と、語ったほどだ

世界遺産委員国の代表団の多くも同様な意見を述べた。誰もが日本に同情的だった。だが委員国の多くが政界から財界の大物まですべてのレベルにおいて、韓国政府のロビー活動を受けていた。

6月初旬、韓国の政府高官がパリのユネスコ大使たちを集めた会合で言ったそうだ。「(明治日本の産業革命遺産の登録を決めるための)投票の動議を出す国とその動議を支持する国を韓国は永遠に忘れない」「日本の大使が1回来ると、韓国は6回来る」

6月半ばに私がパリを訪問し世界遺産委員国の大使たちに会った際、すべての大使たちは、なぜ自分の国がこのような日韓の争い事に巻き込まれなければならないのかと嫌気が差していた。そして、何よりも韓国のロビー活動を止められない日本政府に不満を持っていた

委員会の冒頭、ポーランド代表は「今回の世界遺産委員会は政治に汚染されている」と演説した。カフェでイギリス代表団と昼食を取っていたとき、ポーランド代表団の1人が肩をたたいてささやいた。「君、分かるよね。あれは韓国のことだよ」

ICOMOS勧告が出てからは、韓国系NGOの活動が激化した。委員国の代表団には毎日のように、人権侵害を想起させるようなグロテスクな写真や、戦時中飢えてがりがりに痩せた人の写真が配られた。ボンの世界遺産委員会の審議の最中でも、韓国系NGOは今回の遺産とは関係のない写真を巧みに使ったパンフレットを作成し、配布した。

パンフレットはさまざまだったが、一番印象的だったのは「目覚めよ、ユネスコ、世界よ、人類よ」というタイトルを掲げたものだった。ユネスコの世界遺産センターは、韓国NGOの配布物や展示が審議に与える影響に対しては実に寛容だった

ただ、日本の外務省は韓国の団体のプロパガンダが「審議に影響する」とユネスコに抗議を申し込んだのだろうか。日本はこれだけの扱いを受けたのだから、ユネスコへの支援を再考してもいいはずだ。

毎日のように送られる写真に議長国ドイツは、「ドイツと日本は同じような歴史背景を持つ」と言った。さらにドイツ外務省はミーティングで必ずアウシュビッツを引き合いに出した。私は「戦時徴用を誤解していませんか。アウシュビッツはナチスドイツだけのもの、だから同じような歴史というのは当てはまりませんよ」と反論した。だが委員会の会期中もドイツ外務省の女性外交官は「あの写真を見た?いいかげんに認めたらどうなの。そんなポジティブな話ばかりじゃないでしょう」と、開く耳を持たなかった

日本の外務省は、議長国ドイツが韓国のプロパガンダに籠絡されていることに対し、正式に抗議したのだろうか。実際、ドイツの対応はかなり偏向していた。

そもそも世界遺産のルールにおいて、審査過程に政治が介入するべきでないことは自明の理だった。徴用問題は本件の世界遺産価値とは関係がない。それなのになぜ世界遺産と絡めて2国間で話し合いを始めるという罠にはまってしまったのだろうか。なぜ外務省は日韓外相会議のアジェンダに世界遺産を入れたのだろうか。

私は内閣官房チームと17カ国を歴訪し、この世界遺産の価値への理解を求めていた。ひと握りの人以外ほとんどがICOMOS勧告を支持していた。時に戦時徴用について聞かれたが、ほとんどの担当者が日本の主張に耳を傾け、一定の理解を示していた。

議長国であるドイツは、コンセンサスができない場合は延期動議が出され可決する可能性もあることを示唆したが、われわれはルールに従って粛々と議事を進めるようにお願いした。その結果、たとえ今年登録ができなくても闘い続けようと思っていた。16年も待ったのだから。

私はそもそも民間人であるため、形式にとらわれず各委員国の代表とは自由にコミュニケーションしていた。その時の委員国代表とのやりとりを通じて、外務省の闘い方によっては負ける闘いではなかったように思われてならない

これまでICOMOSの登録勧告を得られながら、登録されないことはほとんどなく、どの委員国もボンで結論を出したかったはずだ。どんなに韓国に反対をされでも、一緒に日本のために闘ってくれた委員たちはいた。

韓国は闘う覚悟ができていた

安倍晋三首相は終始、投票での決戦に積極的だった。だが仲良くすること、譲ることを美徳とする気風の中で、外務省にとって闘いは苦痛だったのではなかろうか。

ユネスコはコンセンサス重視であり、外務省内に投票での決戦の経験者がいない状況の中で、選択肢はどんどん限られていった。気が付くと、ボンの会議場で委員国に働き掛けをしていたのは内閣官房チームだった。一方、韓国政府はそれがどれだけむちゃくちゃな闘いであっても、退路を断って闘う覚悟ができていた。日本が反省すべき点は多い

歴史は国家の主権の問題である。韓国や中国が文句を言ったからといって、簡単に譲ってはいけない。前の政権が一度は譲っても、間違いに気が付いたら訂正すればいい。他国がどう反応するかではなく、正しいことを正しいと発信すべきだ。そうしてこそ、安倍首相らしいのではないか。

これから必要なのは、一丸となって本来の世界遺産としての価値を発信していくことだろう。


安倍首相も外務省も「最悪、登録されなくても良い」という選択肢を最初から除外していたのではと思われる対応が残念でしたね。

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2015年 7/28 号
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