(朝鮮日報 2015/07/09)

 朴槿恵(パク・クンヘ)大統領寄りのグループにかつて属していて、朴大統領に背を向けた人はかなり多い。ソウル市江南区三成洞にある朴大統領の自宅に集まり、初めて親朴グループを結成したときのメンバーの70%が、すでに朴大統領に背を向けたという。「朴大統領は私たちを『臣下』だと思っている」。朴大統領から離れた人たちは一様にこう話した。朴大統領本人がどう考えているのかは分からないが、彼らはそう感じているというわけだ。政党の代表と議員たちが、王と臣下のような関係だとすれば、代表が大統領になった今、部下がどう感じているのかを推し量るのはそう難しくはない。

 実際、朴大統領は、一般市民の常識では納得できないような姿勢を見せることが少なくない。朴大統領は国会議員に初当選するや否や、秘書室長を任命した。政党の最高幹部である事務局長や政策委員会議長でさえ、秘書室長を置いてはいない。党の代表だけが秘書室長を置いているという事実を知らなかったはずはないが、あえて秘書室長を任命した。まさに空前絶後の事態だった。朴大統領は「私はあなたたちとは違う」という考えを持っていたのだろうか

 かつて熱烈な「親朴派」でありながら、完全にたもとを分かった国会議員の証言にも、信じられないようなことがある。この議員はかつて、ハンナラ党(現・セヌリ党)代表時代の朴大統領を迎えに行き、一緒に車で移動するとき、朴代表の隣に座っていたという。ところがあるとき、朴代表の秘書たちは「今後は運転手の横(いわゆる助手席)に座るように」と指示したという。一般的な政党の代表と議員の関係であれば想像もできないようなことだ。

 朴大統領はハンナラ党代表時代、たとえ国会議員であっても、外部で好き勝手な発言をすることを嫌った。マスメディアで「某議員」が何らかの発言をしたと報じられると、それが誰なのか調べ上げ、電話をかけ「何であんなことを言ったのか」と問いただした。そんな電話が1-2回かかってくることで、皆一様に口をつぐむようになったという。そのような人たちがやがて、朴大統領の元を去っていった。ある人は「自分は作男かと思うようになった」と語った。朴大統領が何か言えば、皆一斉にメモを取る様子は見た目がよくないと指摘する声も出た。それに対し朴大統領は「理解できない」という反応を見せた。自分の話すことを皆がメモするのが、いったいどこがおかしいのかというわけだ。

 朴大統領の周囲には神秘的なムードが漂っている。朴大統領がいつ出勤するのか、今どこにいるのか、大統領府の秘書室長でさえ分からないことがある。旅客船「セウォル号」沈没事故が起こったとき、さんざんひどい目に遭いながらも、中東呼吸器症候群(MERS=マーズ)が発生したときには担当の閣僚から報告を受けるまで6日もかかった

 人々は「なぜこうなのか、理解に苦しむ」と、もどかしく思っている。だが、大統領と閣僚の関係ではなく、王と臣下の関係だと考えてこれらの事象を見れば、そうおかしくは思えない

 前任の秘書室長の時代には、首席秘書官たちは秘書室長にも業務報告をしていたという。その秘書室長は「上の方の意向に従って」といった、王朝時代のような言葉を口にしながら朴大統領に仕えていた。そうして、大統領と閣僚、首席秘書官の関係は、君臣関係と言っても過言ではないようなありさまになった。閣僚の態度が気に入らなければ、大統領は更迭すれば済むことだ。ところが朴大統領は、前代未聞の「免職発表」までした。これは法律上の任命権を行使するのではなく、部下や臣下の不忠を懲らしめる行為といえる

 朴大統領は依然、熱烈な支持者を抱えている。ほとんど無条件に支持しているといってよい。かつて、朴大統領が選挙応援に出向けば、どこでも歓声に包まれた。全羅道でも人々が駆け付け、その姿を一目見ようと集まった。美容院でパーマをかけてすぐに駆け付け、歓声を上げる人もいた。それは政治的な支持ではなく、愛情に近いものだった。朴大統領の家柄に同情する心情も混ざっていた。そのような政治家は朴大統領以外にはそうそういない。朴大統領が「私は普通の政治家とは違う」と考える背景には、このようなことがある

 朴大統領は12歳のときから大統領府で生活し、18年にわたって韓国を統治した最高指導者の娘として過ごした。彼女を「姫」と呼んでもおかしくはない時代だった後にはファーストレディーの役割も果たした。12歳から30歳近くまでの時期の生活が、人格の形成にどのような影響を与えたのかは、誰もが知っている。大統領府を去ってからの18年間、朴大統領は一般社会とは事実上隔離された環境で暮らした。「姫」から自然に共和国の一般市民になったかもしれないその時期を、一種の空白期間として過ごしたのだった。

 朴大統領が当選した翌日、メディアは「大統領の娘が大統領になった」と報じたが、朴大統領をよく知る人たちの間では、そのときすでに「姫が女王になった」と表現する人たちもいた

 朴大統領に国民との意思疎通が欠けているという問題について、ある人は「王と共和国の間の問題だ」と話した。大統領と国民が、違う時代、違う世の中を生きているというわけだが、それは決して小さい問題ではない。一般人が国会議員に接するだけで身震いする中、朴大統領は国会の院内代表を「裏切り者」として追放したが、このことに対してだけは否定的な意見が多いという。王が君臨するかのような様子を目の当たりにした共和国の市民の反応といえるだろう。

 朴大統領がたとえ女王だとしても、個人の利益を追い求める王ではなく、常に国のことを思う王であることは間違いない。だが、今の時代は、いくら国のことを思い、よくしようとしているとしても、昔の帝王のようなスタイルでは通用しない。今の朴大統領のようなスタイルに対し、多くの知識人が幻滅を覚えるさまを見てきた。体に染み付いた考え方やスタイルを変えることができないのなら、「慈愛に満ちた謙虚な女王」にでもなってくれればと思えてならない。楊相勲(ヤン・サンフン)論説主幹


軍人あがりの独裁者である『大統領』にまわりの人がどう接するのかを間近に見て、その『大統領』の娘としての待遇を受けながら育ったのですから、すごく“自然”な振る舞いじゃないんですかね。

>常に国のことを思う王であることは間違いない。
この一文は免罪符のつもりですか?


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