南北貨物列車、163回中150回は貨物なしで運行
(聯合ニュース 韓国語 2008/10/23)    


 南北をつなぐ京義線の貨物列車で、貨物を積まないまま運行した割合が92%に達することが分かった。

 列車運行は2007年の南北首脳の合意に基づき、同年12月11日に都羅山~板門駅区間の運行から始まり、週末と休日を除き毎日1回運行されてきた。

20081023100401_bodyfile.jpg

 国会外交通商統一委員会所属のハンナラ党議員が23日に明らかにした統一部資料によると、昨年12月から今年8月まで京義線のムン山から鳳東までの区間を運行した貨物列車は163回で、このうち貨物を運搬した回数は13回にすぎなかった

 内訳は昨年12月が3回、今年1月が4回、2月と3月がそれぞれ2回、4月と6月が1回で、合計308トンの貨物を搬出し、42トンを搬入した。

 この議員は、貨物なしの運行で総額2億7153万ウォン(約1967万円)の予算が浪費されたと指摘する。鉄道輸送関連のインフラ整備が不十分な状態とはいえ、現実的な状況を考慮せず開始されたもので、前政権の「見せる」性格の南北関係を端的に示すケースだとした



56年ぶりに開通した南北定期貨物列車 (朝鮮日報 2007/12/12
 
南北を往来する定期列車が56年ぶりに軍事境界線を越えて運行を開始した

 11日午前6時20分に韓国側のムンサン駅を出発した開城工業団地貨物列車S7303号は、午前8時30分に軍事境界線を通過し、8時40分に北朝鮮側の板門駅に到着した。韓国戦争(朝鮮戦争)中の1951年6月にソウル-開城路線が途切れて以来、初めて開通した定期列車だ。

242214502712681539.jpg
▲開城工業団地の道路工事用境界石や靴の材料などを積んだ京義線の定期貨物列車が11日、京畿道坡州市の都羅山駅を出発し、北朝鮮側の板門駅に向かっている。

 この日、板門駅広場で開催された記念式で李在禎(イ・ジェジョン)統一部長官は、「貨物列車の力強い汽笛の音は、韓半島(朝鮮半島)の心臓が再び鼓動することを示す音だ。鉄道は南北経済協力の土台となる核心的な基盤でもある」と述べた。北朝鮮側の権浩雄(クォン・ホウン)内閣参事は、「貨物列車が行き来するようになったのは、統一民族史の1ページを飾るに足る意義深いことだ」と述べた。権参事はこの日、行事に参席した金文洙(キム・ムンス)京畿道知事に対し、「開城に接する京畿道知事として今も有名でいらっしゃるが、1970年代はもっと有名な方だった」と述べた。

 韓国から運搬した貨物は開城工業団地の道路工事用境界石と靴の材料で、北朝鮮からの貨物は開城工業団地で作られた靴や衣服などだ。

 貨物列車は12日から週末を除く毎日午前9時に韓国側の都羅山駅を出発し、北朝鮮側の板門駅を午後2時に出発して戻ってくる。板門駅-開城工業団地区間の2キロはトラックで貨物を運送する。南北は当初、ムンサン-鳳東間の運行に合意していたが、鳳東駅は整備を終えるまで2年から3年はかかる状況だという。

 北朝鮮経済の専門家である梨花女子大の?東昊(チョ・ドンホ)教授は、「象徴的な意味合いは大きい。しかし、当分は鉄道が必要なほどの物流量はないだろう」と述べた。

【記者手帳】南北定期貨物列車は「張子の虎」 (朝鮮日報 2008/02/01

 軍事境界線を越え、北朝鮮の開城工業団地との間の物資輸送を担う京義線の貨物列車が、1日からは貨車を連結せず、機関車だけが行き来することになった。統一部が発表したところによると、韓国と北朝鮮は先月30日、開城で「鉄道運行協力分科会」を開き、「開城工業団地と韓国側を結ぶ貨物列車は、これまで通り毎日(月‐金曜日)運行するが、2月1日からは運搬する物資がある時だけ貨車を連結する」ことで合意したという。

 韓国戦争(朝鮮戦争)中の1951年6月に中止された京義線の列車の運行は、ムンサン駅(京畿道坡州市)と鳳東駅(開城工業団地内)の間で貨物列車の運行を再開することで合意したのを受け、昨年12月11日に56年ぶりに再開され、10両の貨車からなる貨物列車の運行が始まった。ところが、その翌日から貨物列車は運ぶ物資がほとんどなく、ただ列車の運行だけが続けられるという状況になった

 韓国鉄道公社(KORAIL)の関係者は「先月31日までに640両の貨車が南北を行き来したが、そのうち物資を運んだのは41両(6.4%)にとどまった」と話している。これは貨車1両だけで十分な量だが、これまで10両の貨車を連結して運行していたというわけだ。先月26日の南北軍事実務会談で、北朝鮮側が先に「貨物列車を走らせても運ぶものがないのだから、いっそのこと本数を削減しよう」と提案したが、これはもっともな話だ。

 開城工業団地と韓国側を結ぶ貨物列車の運行開始日は、昨年11月中旬に行われた南北首相会談で決まった。これは当時、大統領選を目前に控えていたため、政府が56年ぶりに南北を結ぶ定期列車の運行を再開するという「実績」を作ろうと話を急いだのではないかという見方が多く出ている

 政府のある関係者は「定期列車の運行が必要なほど貨物量が多くはないということは分かっていたが、南北首脳会談での合意事項の中で、できることをまず実行するという意味が最も大きかった」と話している。南北経済協力事業においてまず考慮されなければならない「経済性」は後回しにされたというわけだ。これは、運ぶ物がなくても貨車を10両連結して運行することで南北双方が合意したこととも無関係ではない。

 しかし、いくら実績づくりが大事だといっても、必ず10両の貨車を連結する必要性はないのではないか。これこそまさに典型的な「張子の虎」というものだ。中身が空っぽな南北経済協力事業は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が最後になることを願ってやまない。



見た目のみ気にして中身はカラッポだったんですね。やっぱり南も北もハリボテ国家ですね。


ちなみに京義線は日帝残滓ですよ↓。

京義線 (Wikipedia)

1904年、日露戦争の物資輸送のために、日本が漢城(現:ソウル)から北朝鮮と中国の国境の新義州までを突貫工事で結んだ鉄道(全長499.3Km)が起源になっている(1905年開通、1906年4月3日全線(京城駅~新義州駅)開通)。京城の「京」と新義州の「義」を取って京義線と呼んだ。(略)

1930年・1940年代には京釜線・京義線・満鉄線を結んで、釜山から満州国までの大陸連絡急行列車「ひかり」・「のぞみ」・「大陸」・「興亜」などが走っていた。





おあそびレール おあそびレール


Nゲージ 連結機 Nゲージ 923形ドクターイエロー車両基地 NゲージNo.3 エル特急 NゲージNo.41 DD-51ディーゼル Nゲージ ドリームセット JR東日本近郊車両セット

by G-Tools