(統一日報 2014/09/03)

「戦争の傷あと銘板」文言修正か

 大阪府茨木市が、市内に設置した「戦争の傷あと銘板」の撤去、または文言を削除・修正しようとしている。銘板に刻まれた「強制連行」の文言が問題になったようだ。これに対し、民団茨木支部は大阪府に対して抗議。市側は現在、府と調整中だ。


民団茨木支部は大阪府に抗議

 銘板は95年、大阪府と設置を希望する自治体が、戦後50周年記念事業として府内12カ所に設置した

茨木市内には同年、「大阪警備府軍需部安威倉庫跡地」に銘板が設置された。地下倉庫の建設にあたって「強制連行された朝鮮人が苛酷な労働に従事させられていました」などと記されている。

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ところが7月25日、茨木市の木本保平市長が「銘板には歴史的根拠が不明確に記述されている。(銘板を)撤去したいので特段の配慮をお願いしたい」とする申し入れ書を大阪府の松井一郎知事宛てに提出。「強制連行」との文言がそれにあたるという。

大阪にある全銘板のうち4カ所には「強制連行」の文字が刻まれている。変更を求めているのは茨木市だけだ。

茨木市によると、大阪府は「申し入れ書の内容だけでは茨木市側が何をしたいのかわからない」と回答。

茨木市は協議書という形で詳細を文書化し、「銘板の撤去」ではなく、「銘板の文言修正」という方向で調整していくとのことだ。

一連の動きを憂慮した民団茨木支部の朴貞旺支団長は8月25日、同支部の洪正一、鄭琦澤両常任顧問、朴鍾寛・民団大阪本部生活部長と共に大阪府庁を訪問

担当部署となる府民文化部人権局人権企画課の福永義博課長に対し、「(1)不戦の誓いの込められた銘版の表現変更を中止(2)国連人権規約委員会が勧告しているヘイトスピーチへの法規制実現(3)外国人に対する差別意識と行政の差別的扱いの解消」を申し入れた。

福永課長は「現段階では正式協議にまだ入っていないので、なんともいえないが、歴史認識の件では村山談話を戦後60周年の時の小泉元首相も安倍現首相も継承していくと言っている。強制連行というのは、広い概念で、募集、斡旋、徴用などで来日せざるをえなくなった状況を指す。茨木市長の発言に関しては我々が関知することではない」と回答した

朴生活部長は「正式協議が始まった時点で、撤去なのか、文言修正なのかを見定めて要望していく準備をしている」と語った。


碑の撤去 群馬でも

韓国・朝鮮人強制連行の追悼碑をめぐっては、群馬県でも同様の動きがみられている。

群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に設置された追悼碑について、群馬県は7月、市民団体が碑の設置許可条件に反する活動を重ねたとして設置期間延長を認めない決定を下している。8月7日には在日韓国大使館の金容吉総領事が群馬県庁を訪問し、茂原璋男副知事に強制撤去回避の要請をしていた。碑を設置した「追悼碑を守る会」は、10月にも碑の設置期間延長を認めるよう訴訟を起こす構えであり、今後の動きが注目されている。


茨木市の銘板の全文↓

大阪警備府軍需部安威倉庫跡地

我が国は、先の戦争において多くの人命を失い、同時にアジア・太平洋地域の人々に大きな災禍と苦痛をもたらしたことを忘れてはなりません。

本地域に現存する地下倉庫は、旧日本海軍吹田山田倉庫の衣料、食料庫が手狭になったため、1944年(昭和19年)初期から建設計画がたてられ、同年から掘削作業にかかったと思われます。

地下倉庫は、3か所(イ・ロ・ハ地区-総延長約1km)建設され、イ地区は完成して物資が保管されましたが、他の2か所は完成をみることなく敗戦を迎えました。

建設にあたっては、強制連行された朝鮮人が過酷な労働に従事させられていました。戦後50周年にあたり、悲惨な戦争を二度と繰り返さないよう、平和への誓いをあらたにするため、ここに銘板を設置します。

1995年(平成7年)12月 大阪府・茨木市


『強制連行』の文言がある他3か所はここ↓ですかね。

タチソ地下壕跡 (1995年(平成7年) 大阪府/高槻市)

このトンネル工事には、周辺の地元民、大阪高医・北野中学・関西工業学校などの動員学生のほか、最も危険で過酷なトンネル開削の分野については、強制連行その他の手段で集められた、3500人ともそれをはるかに超えるともいわれる朝鮮人労働者が投入され、多くの死傷者が出たといわれています。(説明文より抜粋)
大阪城公園内に残る戦争の傷あと (1996年(平成8年)3月 大阪府/大阪市)

公園東側一帯に広がっていた大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)は、面積1.18平方キロの我が国最大規模の兵器工場であり、戦争末期には大阪本廠を含めた全工場で一般工員のほかに動員学徒・女子挺身隊・一般徴用工員など64,000人が働いていました。その中には、当時の植民地支配の下で強制連行などにより集められた1,300人以上と言われる朝鮮青年も含まれていました。(説明文より抜粋)
生玉公園地下壕 (1996年(平成8年)3月 大阪府/大阪市)

この地下壕建設にあたっては、当時の植民地支配の下で「強制連行などにより集められた朝鮮人が過酷な労働に従事させられた。」との体験者の証言があります。(説明文より抜粋)


木本保平:茨木市議会議員 1971年(無所属)-1977年(自民党)-2011年(維新の会)、茨木市長 2012年4月~

自治体自ら修正に動くとは良いことですね。

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